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『スター・ウォーズ』や『平成ゴジラ』映画ポスター画の匠、生賴氏が遺した作品を回顧する

 数多くの名作映画のポスターで知られるイラストレーター・生賴範義(おおらいのりよし)氏。1980年にSF雑誌に発表した『スター・ウォーズ』のイメージ画がルーカスフィルムの目に止まり、正式に『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』のポスターを手がけて以来、広く世界にそのビジュアルが知られるようになりました。

 『スター・ウォーズ』『平成ゴジラシリーズ』『日本沈没』など、生賴氏の名は知らずとも彼の手がけた映画のポスターが記憶に残っている映画ファンも多いことでしょう。

画像は『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』Amazonより。

 そんな生賴氏の展覧会が2018年1月6日から東京・上野の森美術館で催されることに際し、8月10日に行われたキックオフ・イベントのトークセッションに、生賴氏のご子息であり画家のオーライタロー氏と映画監督の樋口真嗣氏、みやざきアートセンターの石田達也氏が登場しました。

 幼少期から生賴氏の絵に憧れを持ち、自身が監督した映画『日本沈没』では生賴氏にポスターを描いてもらった樋口氏ですが、完成品に困惑してしまった理由をトークセッションでは明かしました。


生賴範義が描くポスターの魅力

左から石田達也さん、オーライタローさん、樋口真嗣さん。

樋口:
 今は私も映画の仕事などをするようになっていますが、どうして映画の仕事をするようになったかというところに生賴先生との歴史があります。最初は会場にいらっしゃる皆さんもそうかと思いますが、単なる「映画のお客さんと映画のポスターの絵描き」という関係でした。

 1979年に『メテオ』という、隕石が落ちてくるのでそれをなんとかして日本と当時のソ連が核ミサイルを使って隕石を割っちゃおう、という映画がありました。

樋口:
 このポスターを見て「こういう映画かな」と思って見に行くと、こういう絵が出てこないんですよ(笑)。『テンタクルズ』もこのポスターの場面がないんです。

 当時は「人類が滅亡する」とか「ニューヨークに隕石が落ちる」とか、そういう映画ばかりでした。結局、お客さんに映画館に行ってもらえれば、それで勝ちみたいな。当時ってすごいダイナミックな発想な下で映画を売っていた(笑)。今も同じですが、映画を作る人と売る人が全く別ですからね。

オーライ:

 盛大な呼び込みですよね。

石田:

 そして樋口監督の『日本沈没』が出てきます。 

樋口:

 そこにいくまでにはいろいろあるんですが、『復活の日』という映画があります。これもまた「ウイルスで人類滅亡」という映画なのですが、イメージボード【※】と言って、まだ完成していない映画をスタッフでイメージを共有するために、ものすごい量のイラストを描くということがよくあったんです。それを見るとやっぱりすごい。

※イメージボード
未完成の作品の中にどのような世界やキャラクターが存在しているかを描きだしたもの。

樋口:
 でもやっぱり映画を見ると、生賴さんの描いたイラストのような画はひとつもなかったんです。イラストはかっこいいんですよ。だから僕はそれを見たくて映画館に行ったのに、そのシーンが出てこなくて。そのうち生賴さんのポスターを見ると、「こういう内容の映画じゃないんだ」と思うようになってしまって(笑)。映画館の前でポスターを見ているだけで充分なんです。お腹いっぱいになります。

「お前らが作る映画よりも俺のポスターの方がいい」

樋口:
 そして時は過ぎて2006年の『日本沈没』。まさか自分の映画のポスターを生賴さんが描いてくれるとは思わなかったんです。かなりの枚数のポスターを描いてもらったのですが、映画の台本を渡して「好きに描いてください」という発注方法でした。なので、ポスターの出来上がりを見たら、「俺、こんな映画撮ってないぞ」となりました(笑)。

画像は『映画ポスター「日本沈没」』Amazonより。

樋口:
 「ポスターの方がかっこいいじゃん!」と、まさか自分もそうなるとは思っていませんでした(笑)。新幹線で濁流にのまれたり、逆流する鴨川とかかっこいいなと思いました。これらは見事に全部、映画に出てこないですからね。

 でも、だんだんわかってきたんです。きっと生賴さんは映画に対して「お前らが作る映画よりも俺のポスターの方がいい」っていう戦いを挑んでいますよね。

 あとは『ゴジラ』シリーズのポスターは、映画を作る前にポスターの発注があったらしいです。どういう映画にするかっていうのは、実は生賴さんのポスター次第で決まっていたらしいですよ(笑)。

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