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鉄道が儲からないなら“街”を作ろう──まるでシムシティのように大阪をイチから作りあげた阪急電鉄の創業者・小林一三のすごすぎる功績

 今回紹介するのは、いつかやる社長さんが投稿した『【ゆっくり解説】世界の奇人・変人・偉人紹介【小林一三】』という動画。

 木と土以外何もなかった大阪に鉄道を走らせ、住宅地を作り、現代日本のまちづくりの礎を築いた偉大なる実業家・小林一三の功績について、音声読み上げソフトを使用して解説しています。


 

解説してくれるのはベルサユスタ
(投稿者・いつかやる社長さんの動画に登場するオリジナルキャラクター)

ベルサ:
 金は大切かもしれないけど、人の心を無くす様なビジネスは先がないわ。小林 一三(こばやし いちぞう)の様に人々のことを考えてこそのビジネスよ。

ユスタ:
 小林一三? 誰それ?

ベルサ:
 現代の生活スタイルを多く発明した天才実業家よ。

ユスタ:
 わー、何それ!教えて教えて!

ベルサ:
 それじゃ今日は小林一三のお話で、人々のためのビジネスを教えてあげるわ。

ユスタ:
 やったー! お姉ちゃん大好きー!

ベルサ:
 小林一三、まず彼を一言で言うならば、リアル・シムシティ

ユスタ:
 あの街を作るゲーム?

ベルサ:
 そう彼は木と土以外何もなかった大阪で、鉄道を走らせ、住宅地を作り、新たな経済システムを考え、劇団や劇場を作り、プロ野球の球団を作り、学生野球を活発化させ、大阪や東京の都市開発を行い、暮らしを現代化させた人だったわ。
 彼無くして今の便利な暮らしはないと言っても良いわ。

ユスタ:
 めっちゃ凄いやん!

ベルサ:
 一三は1873年山梨県に生まれる。1月3日に生まれたから一三と名付けられたわ。

ユスタ:
 誕生日、絶対に忘れないね。

ベルサ:
 彼が生まれた家は超がつくほど金持ち商家で、一三は不自由なく過ごしていくはずだったのだけど、一三が生まれてすぐに母親が病死。
 その後父親も実家に帰ってしまい、わずか一才で親戚の家に預けられたわ。

 その家では我が子同然に育ててくれたのだけど、10才の時に別の親戚の子供が【本当の親ではない】とバラしたため、幼少期の頃は居づらく気を使って暮らしていたの。

ユスタ:
 可哀想……。

ベルサ:
 そんな塞ぎ込む一三をなんとかしようと、義理の両親は多くの場所に連れて行ったわ。その中で彼は自分の運命とも言えるある物と出会った。それが【お芝居】だったわ。

ユスタ:
 お芝居? 演劇の事?

ベルサ:
 そう。一三は芝居を見る時だけは唯一心を開いたの。特に【武智光秀】や【オッペケペー節】を好んでいたわ。

 どんな事も芝居を見ている時は忘れられる。彼は【人々を楽しませる】芝居に魅了されていったわ。そうして一三の性格は次第に前向きになり、義理の両親との関係も良くなっていったわ。

 そんな一三が14才になると、福沢諭吉の作った慶応義塾に入学。この学校で、彼は本の素晴らしさに目覚め、仲間内で小説雑誌を発行。
 これが好評となり、新聞社から小説家としてスカウトされるのだけど、スカウトした人物が転勤したために話が立ち消えとなってしまう。

ユスタ:
 不運だね。

ベルサ:
 その後は学校の推薦で現在の三井住友銀行に入社するのだけど、あまりに小説家になれなかったのがショックで、入社してから3か月間一度も出勤しなかったそうよ。

ユスタ:
 よくクビにならなかったね。

ベルサ:
 銀行の仕事は一三にとって退屈だったのだけど、この銀行時代にある人物との出会いが彼の人生を変えたわ。それが【岩下清周】だったわ。三菱東京UFJ銀行の前身となる銀行を作った人で、現在のトヨタや森永製菓などを大企業にさせた人よ。

ユスタ:
 とんでもねーな。

ベルサ:
 この岩下から証券会社の支配人にならないか? と誘われ、岩下の考えに惹かれていた一三はこれを承諾。34才で銀行を辞め、妻子と共に大阪に移るのだけど、今度は彼が初出勤の時に恐慌で株価が大暴落。わずか1日で勤め先の会社が消し飛んでしまう。

ユスタ:
 どんだけツイていないのさ!

ベルサ:
 しかし岩下が更なる提案を持ってきた。それが鉄道だったわ。大阪の梅田から池田までを結ぶ鉄道の開発を任されたの
 当然一三に鉄道の知識はなく、更に当時のこの地域は人の少ない、可哀想な位のド田舎。鉄道を走らせたところで乗る人なんていなかった。おまけに鉄道会社自体も恐慌の影響で開発資金が出せなかったの。

ユスタ:
 何もないじゃん。

ベルサ:
 そう、まさに【0】からのスタートだったわ。しかし何もないからこそ、彼は新しい未来を作る事が出来たの。それは鉄道だけでなく、現代に生きる人なら、必ず知っている物にも繋がっていくわ。不運な過去を乗り越え、天才的アイデアで日本を大前進させた一三の快進撃が始まるわ。

ユスタ:
 誰もいないのに鉄道作っても意味ないじゃん!

ベルサ:
 だから一三はこう考えたの。街も人も無くて鉄道が儲からないなら、【いっそここに街を作ろう】と。

ユスタ:
 うえええええ!?

ベルサ:
 そこで鉄道会社でありながら街を同時に作ったわ。レールを敷けばその周りに住宅やビルを建設する。更に住宅を作っても住む人がいなければ意味が無いと考え、住宅をお金がない人でも買える様に分割払いというシステムを発明

 一括で購入できない人でも家を手にする事を可能にし、更に鉄道の沿線に商業施設があればより豊かになると考え、大阪箕面市に日本で3番目の動物園を開園。さらに宝塚線の沿線には宝塚遊園地を開園。これを目当てに全国から観光客が殺到したわ。

 そして鉄道の利用者が増えると、今度は電車に日本初の中釣り広告を出し、各駅の近くに日本初の【ビジネスホテル】を多数展開

ユスタ:
 この人が作ったの!?

ベルサ:
 また、宝塚市には温泉施設【宝塚新温泉パラダイス】をオープン。ここは当時日本で珍しいプールも併設していたのだけど、プールが珍しい事と温度管理が上手くできず中々流行らなかったの。

ユスタ:
 どうするのさ?

ベルサ:
 しかし、これこそが日本の超有名なものと化していくわ。一三はプール部分に床を敷き更衣室を舞台に改装し、即席の舞台を作り上げると、【少女のみ】で構成する演劇団を作ったの。それは黒木瞳、天海祐希、真矢ミキ等スター女優を生み出す、清く、正しく、美しい劇団、それが宝塚歌劇団よ。

ユスタ:
 宝塚作ったのこの人かよ!

ベルサ:
 若いころの芝居や小説の才能を生かして台本や演出まで行っていたわ。

ユスタ:
 台本を書いてたの!?

ベルサ:
 更に彼のアイディアは留まらず、これからは野球のブームが来ると考え、【大阪阪急野球協会】というプロ野球の球団を創設。このプロ野球チームが現代でも残るオリックス・バファローズの前身よ。

ユスタ:
 この人が作ったんか!

ベルサ:
 また野球推進のため、大阪の豊中市に豊中グラウンドを建設。当時大きかったこのグラウンドで行われたのが、第1回全国高等学校野球選手権大会よ。

ユスタ:
 甲子園のあれ作ったんか!

ベルサ:
 鉄道を敷きその沿線に住宅や施設を作る。現代の【スカイツリー】や【あべのハルカス】が沿線にあるのは、一三のこの田園都市構想をまねているからなのよ。

ユスタ:
 まさに日本の未来を作ってるんだね。

ベルサ:
 そう、その後、自分のいた会社を【阪神急行電鉄】と改め……。

ユスタ:
 阪急の誕生!

ベルサ:
 神戸本線、伊丹線、甲陽線等を走らせ、同時に街を作り上げる。人がいない地域には自虐的な宣伝文句が使われ有名になったわ。

ユスタ:
 ガラアキって。

ベルサ:
 こうして一三は大阪を近代的な都市に作り替えたの。そして遂には誰もが利用したことのあるシステムを作ったわ。それが【駅ビル】よ。そう、当時のデパートはどこも駅から離れた場所にあり不便だったの。

 だから一三は、「いっそ駅に百貨店を作ればわざわざ移動しなくて済む」そう言って鉄道会社でありながら駅にデパートを作ったの。これが日本で最初の駅ビルにして、現在でも大阪の顔を言っていい、【阪急百貨店うめだ本店】よ。

ユスタ:
 まさに未来を作ってたんだね。

ベルサ:
 そう、未来に向けた投資こそ一三のやろうとした事なの。それが分かりやすく出たのは百貨店食堂の【ソーライス】よ。

ユスタ:
 何それ?

ベルサ:
 当時、大阪ではカレーライスが人気メニューだったのだけど、恐慌の煽りで若者はお金が無く、安いライスだけを注文し、それにソースをかけて食べるのが流行したの。売り上げにならないと、多くの店が禁止していた。

 しかし一三は「今は若いから貧しくても、いずれ結婚し子供が出来れば家族で来る」そう言って【ライスだけの客大歓迎】と宣伝を行ったの。こうした未来への投資が今でも続く会社になるのよ。

ユスタ:
 未来のお客さんに投資したんだね。

ベルサ:
 こうして鉄道、都市開発、娯楽、駅ビルと多くの成功を収めると、大阪だけではなく東京の鉄道と都市開発をも依頼され、そしてここから一三は都市を築き上げた。現在の【東急】を創業し、東急電鉄を走らせ、その周りにあった田園調布を開発し高級住宅街にした

ユスタ:
 田園調布に家が建つ。

ベルサ:
 東京にも【宝塚劇場】を作り音楽学校も設立。更に当時の収容数の倍以上入る宝塚大劇場。

ユスタ:
 どんだけ作るのさ。

ベルサ:
 日本初の均一料金で入れる【日比谷映画館】。コマ劇でお馴染みだった【コマ・スタジアム】。国産映画の総本山【東宝】まで作っているわ。

ユスタ:
 東宝もこの人が作ったのかよ!

ベルサ:
 こうして日本の都市開発と娯楽等の生活スタイルを作り上げ、それらが今の私たちの生活や便利さに繋がっているのよ。

ユスタ:
 今の生活はこの人が作ったんだね。

ベルサ:
 その後の一三は政治家にまでなり、現在の経済産業大臣を任される等、国の中枢でも活躍し、1957年84才でこの世を去った。未来を見て未来に投資し未来を創造する。

 しかも人の便利さと面白さを追求し、がむしゃらに働いたい一三は、未来の若者達に向けてこう残しているわ。「働けば良い、そこから先は運命だ。朗らかに、清く正しく働けば良い。さあついてこい、意気地のない若者たちよ」これが小林一三よ。

ユスタ:
 まさに未来を作った人なんだね。

ベルサ:
 ちなみに元テニスプレイヤーの松岡修造は、一三の曾孫にあたる人物よ。

ユスタ:
 あの熱さは血筋なんだね。

ベルサ:
 真のビジネスは全ての人が満足を目指す事よ。人々に愛されるからこそ多くの成功を掴めるのよ。

 

 ノーカットの解説は下記の動画から視聴できます。
 投稿者のいつかやる社長さんは他にも、世界の奇人・変人・偉人を紹介する動画を投稿しています。


▼動画はこちらから視聴できます▼

【ゆっくり解説】世界の奇人・変人・偉人紹介【小林一三】

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