アメリカが実行した悪魔の核実験「ブラボー実験」とは? 1954年に起きた、設定ミスで2万人以上が被爆、日本船も被害にあった事故の真相
今回紹介するのは、事故と災害を解説するところさんが投稿した『【ゆっくり解説】核実験で予測を誤り広範囲に甚大な被害を生んだブラボー実験(第五福竜丸被爆事故)』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、1954年に発生した大戦後初のアメリカの核実験「ブラボー実験」について解説します。
設定ミスで被害が拡大
霊夢:
今回は日本の漁船「第五福竜丸」も巻き込まれた核実験、「ブラボー実験」について解説するわ。ブラボー実験は、キャッスル作戦として、1954年3月1日にアメリカ合衆国によりビキニ環礁で実施された高出力熱核爆弾を用いた最初の核実験なの。
実験当時としてはアメリカの最大出力かつ、世界初の水素化リチウムを用いた核融合平気で、リチウム7の核反応が想定よりも多かったことが原因で、ブラボー実験での出力は事前に見積もられていた値の2.5~3倍となってしまったの。これによりビキニ環礁の東地域で想定外の放射能汚染が発生してしまったわ。
魔理沙:
1954年ってことは、第二次世界対戦が終わって9年後だよな。戦争が終わっても核兵器は作られ続けていたんだなって今更ながらに思った。
霊夢:
そうよ。ビキニ環礁では1946年から1958年にかけて、アメリカ合衆国が23回の核実験を行っているわ。12年間にわたった実験の総威力は、広島に落とされた原爆の約7000発分に相当するんですって。
核実験場はビキニ環礁だけじゃないし、核実験を行っている国は他にもたくさんあるから、地球は核実験でずっと汚染され続けているとも言えるわね。
魔理沙:
なんか人間のひとりとして、地球と他の生き物にごめんなさいって気持ちになっちまった……。ビキニ環礁の周辺って、住んでいる人はいなかったのか?
霊夢:
いたわよ。核実験場周辺の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ、さらにキリ島へと移住させられたの。強制移住させられた人たちは住み慣れた土地を奪われ、食糧難に苦しみ、アメリカ政府から生活保障費を受け取っているとはいえ、今も故郷に戻れないままなの。
ビキニ島に人が居住できるようになるのは、早くても2052年ごろと推定されているわ。
魔理沙:
まだ30年もあるじゃないか。早く戻れるようになるといいな。
霊夢:
ブラボー実験による放射性降下物は、想定外のエリアにまで降り注ぎ、地域住民は避難が3日後となったために、多くの住民が放射線障害に苦しむこととなったの。
また日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員23名も、放射性降下物に汚染され、急性放射線症候群を訴えたわ。
ブラボー実験を契機として、世界的に大気圏内での核実験に対する反対運動が盛り上がりを見せることとなったのよ。
魔理沙:
第五福竜丸は実験当時どの辺にいたんだ?
霊夢:
第五福竜丸は、実験が行われたビキニ環礁の東にあるマーシャル諸島近海で操業していたわ。そのエリアはアメリカ合衆国が設定した危険水域の外だったのよ。
魔理沙:
さっき、ビキニ環礁の東地域で想定外の放射能汚染が発生って言っていたよな?
霊夢:
そうよ。核出力の見積もりを誤ったことで、危険水域の設定も不十分となり、第五福竜丸をはじめとする数百隻の漁船が被ばくしたの。その上ロンゲラップ環礁などにも死の灰が降って、2万人以上が被ばくし、ブラボー実験はアメリカが核実験で引き起こした最悪の被ばく事故となったわ。
実験を行った島は消え去り、深さ120メートル、直径1.8kmのクレーターが生じたことからも、爆発の威力がうかがい知れるわよね。
魔理沙:
そんな危険な実験をするのに色々と読みが甘すぎるし、実験後の対応も本当にいい加減だよな。
霊夢:
実験後のアメリカ政府の対応の不適当さから被ばく者の数が増え、特に当時のマーシャル諸島の住民に対する処置は、「事実上の人体実験ではないか」とする批判があったの。
それにアメリカの国家安全保障会議作戦調整委員会は、第五福竜丸の被ばくを矮小化しようとしたし、被ばくから半年後の9月に放射能症で第五福竜丸の久保山愛吉無線長が亡くなったことも「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けているのよ。だからご遺族に対して明確な謝罪も行なっていないわ。
魔理沙:
明らかに被ばくが原因じゃないのか?
霊夢:
実は久保山無線長の直接の死因は、重度の急性肝機能障害で、放射能症の主な症状は、白血球や血小板といった血球の減少、小腸からの出血、脱毛などだったわ。
肝機能障害は放射線障害特有の特徴的症状ではないこと、被ばくが原因で肝機能障害が起きたなら、同様に被ばくしたはずのマーシャルの被ばく者にも多数の肝機能障害を起こした被ばく患者がいるはずよね。
でも実際はマーシャルの被ばく者に重度の肝機能障害の患者はまったく発生せず、第五福竜丸の被災者17名でのみ発生しており、治療中の死亡に至っては久保山無線長のみだからというのが理由なの。
魔理沙:
うーん……。どうして第五福竜丸の被災者にだけ肝機能障害の症状が見られるんだろう。
霊夢:
実は日本人医師団は久保山無線長の死因は放射線症であると公表したのち、後年の再分析によって、死因は輸血の結果感染したC型肝炎であると結論しなおしているの。
事件当時は医療器具、特に注射針に関しては今みたいに使い捨てはほとんどなく、消毒して使い回しされることもしばしばあったそうよ。また、乗組員17名が重度の肝機能障害を引き起こした原因は、ウイルス感染した売血による輸血であるという指摘も存在するの。
魔理沙:
なるほどね。でも被ばくしなかったら輸血することもなかったわけで、実験のせいで健康を損なったってことには変わりないと思うけどな。
霊夢:
そうよね。実験の直後に話は戻るけど、乗組員らは目も口も開けられないほどの降灰に見舞われ、危険を察知して海域からの脱出を図ったものの、延縄(はえなわ)の収容に時間がかかり、約4~5時間、放射性降下物の降灰を全身にかぶり続けながら作業を行うことになって、23名全員が被ばくしたのよ。
その後の帰港までの2週間、乗組員は船体や人体も十分に洗浄しないまま強い放射能汚染のある状態の船上で生活をし、やけど、頭痛、嘔吐、目の痛み、歯茎からの出血、脱毛など放射線による急性放射線症状が見られ、帰港した後乗組員は「急性放射線症」と診断されたわ。
魔理沙:
つらかっただろうな。被ばくするなんて想定外だろうし、どうすればいいのか分からなかっただろうな。
霊夢:
実は第五福竜丸は救難信号(SOS)を発することなく、ほかの数百隻の漁船同様に自力で焼津漁港に帰港したの。これは船員が実験海域での被ばくの事実を隠蔽しようとする米軍に撃沈されることを恐れていたためと言われているわ。
魔理沙:
そんな心配もしながら必死で帰港したんだな。
霊夢:
第五福竜丸ほか、多くの漁船が被ばくしたことが日本の反核運動につながり、さらに反核運動が反米運動へと転化することを恐れたアメリカ政府は、日本政府との間で被ばく者補償の交渉を急いだの。
一方の日本政府も、復興のためにアメリカ経済に依存せざるを得ない状況であり、かつ平和的利用のために原子力技術をアメリカから導入できる可能性も出てきた時期でもあったことから、アメリカを刺激したくないという思惑もあったわ。
その結果、両者は「日本政府はアメリカ政府の責任を追及しない」という確約のもと、事件の決着を図ったのよ。1955年に200万ドル、当時のレートで約7億2000万円が支払われたけど、連合国による占領からの主権回復後間もなかったこともあり、賠償金ではなく「好意による見舞金」として支払われたの。
魔理沙:
なんか被害者が蚊帳の外って感じだな。
霊夢:
第五福竜丸以外の太平洋上で漁をしている漁船でも汚染はあったのに、アメリカ政府からの見舞金は第五福竜丸だけに支払われたの。
当時としては破格の金額(ひとりあたり200万円)だったために、他の漁船からのやっかみがあり、また放射能が伝染するという間違った情報で、第五福竜丸乗組員は将来の病気の恐怖を抱えながら、焼津と漁師の仕事を離れなければならなかったのよ。
魔理沙:
好きで被ばくしたわけじゃないのに、お金の問題じゃないよな。
霊夢:
その通りよ。被ばくもつらかっただろうけど、差別はもっとつらかったと思うわ。事件が一般に報道されると焼津では「放射能マグロ」による風評被害が発生したの。被ばくしたのは焼津の船だけじゃなかったんだけど、高知県の室戸など遠洋漁業中心の港では、風評を恐れて被ばくは公にならなかったのよ。
魔理沙:
当時は今ほど放射能に関する知識も情報も広まっていなかっただろうし、広島や長崎の惨状も記憶に新しかっただろうから、怖がって当然だよな。
霊夢:
1954年当時のアメリカは、放射性物質は海の広さと深さで爆心地から離れると影響は薄まると言いつつ、日本産の放射性物質が検出されたマグロを禁輸にしたの。
広い海洋で放射性物質が薄まるというアメリカ原子力委員会の見解に対抗するため、水産庁の呼び掛けで顧問団が結成され、1954年5月14日から同年7月4日まで顧問団から派遣された科学者22人は、ビキニ環礁と周囲海域の調査活動を実施したわ。
放射線測定器での測定を行い、食物連鎖でマグロの内蔵に放射性物質がたまり高濃度になること、海流で同じ地域を循環するので放射性物質の濃い地帯が存在しつづけ、海全体で薄まることはありえないことが証明され、1955年5月に報告書をまとめて政府に報告したのよ。
魔理沙:
やっぱり放射能の影響ってそんな軽いものじゃないんだな。
霊夢:
あと1954年公開の怪獣映画『ゴジラ』の製作には、この事件が大きな影響を及ぼしているの。『ゴジラ』のプロデューサー田中友幸さんは、社会問題化していたブラボー実験と第五福竜丸ほか漁船の被ばく事件から着想を得て、「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」という特撮映画の企画を立てたの。これが後の『ゴジラ』誕生につながったのよ。
2008年4月、ARCオーストラリア研究会議は、ビキニ環礁のサンゴ礁の現状について、80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅したと発表したの。
それから14年経過しているからさらに回復は進んでいると思うけど、絶滅してしまったサンゴはもう戻らないわ。
魔理沙:
そうだよな。でも、今も残っているサンゴを守ることは、これからの人間の努力次第だよな。
霊夢:
そうね。もうこれ以上被ばくで苦しむ人が生まれないこと、自然が破壊されないことを切に願うわ。
魔理沙:
うん、平和が一番だ。
危険水域が狭く設定されていたため、想定より多くの被害者が出てしまった悲劇の事故でした。解説をノーカットで聞きたい方はぜひ動画を視聴してみてください。
『【ゆっくり解説】核実験で予測を誤り広範囲に甚大な被害を生んだブラボー実験(第五福竜丸被爆事故)』
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