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「孫悟空」と「鉄腕アトム」の共通点を現役漫画家が語る! 『ドラゴンボール』鳥山明の絵のルーツは手塚治虫と50年代アメリカ文化にアリ

 鳥山明氏による漫画『ドラゴンボール』は、連載誌『週刊少年ジャンプ』で完結してから現在にいたるまで、数多くのファンを生み出し続けている大ヒット作品です。

 ニコニコ生放送「山田玲司のヤングサンデー」にて、漫画家・山田玲司氏は、鳥山氏が描く作品のルーツについて言及し、『ドラゴンボール』のヒットが後年の鳥山氏にどのような影響を与えたのか解説。

 さらに、連載当時の担当編集を務めた鳥嶋和彦氏と鳥山氏の関係性に関しても紹介しました。

左上段から山田玲司氏、奥野晴信氏。左下段から久世孝臣氏、シミズ氏。

※本記事はニコニコ生放送での出演者の発言を書き起こしたものであり、公開にあたり最低限の編集をしています。

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■漫画に興味がなかったから大ヒット!? 鳥山氏の立体的な画風はプラモデル的表現にアリ!

山田:
 有名な話になりますが、鳥山明さんがどこから来たのかという話をさせてください。じつは鳥山明さんは漫画家になろうと思っていなかった人なんです。名古屋の人で、妹がいて、明るい両親に育てられました。

 そして、工業高校を卒業してからデザイナーになっているんですよ。だけど、23歳ぐらいのときにデザイナーをやめてしまいます。その後、漫画の賞があることを知って、それまでに漫画を読んでいなかったのに、23歳ぐらいから漫画を描き始める……。

奥野:
 えっ!? でも、構図や製図は、やっていたわけですよね。

山田:
 絵はむちゃくちゃうまいし、デザインセンスもありました。さらに、その当時の漫画を読んでいないから、漫画に毒されていなかったんですよ。

 つまり、漫画をずっと読んでいる人だったら「いまの漫画はこういう感じだ」と影響を受けますが、まったく受けてない人がいきなり漫画を描いたので、これまでに見たことがないものになってしまったんです。

 それを『週刊少年ジャンプ』の賞に投稿したのですが、結果としては落ちてしまいます。そんなところを発見したのが、当時のジャンプの編集者だったこと鳥嶋和彦さん【※】です。

※鳥嶋和彦(とりしまかずひこ)
『週刊少年ジャンプ』の編集に長らく携わった編集者であり、同誌の6代目編集長。マシリトの愛称で読者からは親しまれ、鳥山明を見出したことで知られる。

 鳥嶋和彦さんは、鳥山明さんを発見しただけでなく、桂正和【※】さんも発見してメガコンテンツをいくつも生み出しています。後は『ドラゴンクエスト』の立ち上げ時に裏で携わった人でもありました。

※桂正和(かつら まさかず)
漫画家。代表作に『ウイングマン』『電影少女』『I”s』など。

 一言でいえばフィクサーだし、イノベイターですよね。だけど編集者としては、とにかく容赦なくボツを出す人なんですよ。この絵でも「ボツ」と言っているところが描かれていますよね。

 鳥嶋和彦さんには、何を描いても「ボツ」と言われる(笑)。過去にインタビューで「漫画家を育てようとして、デビューさせようと思ったら、3年はかかる」と語っていました。

 そんな鳥嶋和彦さんのもとで、鳥山明さんは1977年から3年間、徹底的に修行させられていたんです。これも有名な話ですが、鳥山明さんは1年間に500ページ、単行本2、3冊ほどに相当するボツを出されていました。

 鳥嶋和彦さんがどういう人かといえば、1952年生まれなので、鳥山明さんと3歳しか年の差がないんです。また、1952年と1955年生まれのふたりは、「しらけ世代」と呼ばれた世代でもありました。

 熱い時代が終わって「世の中なんかどうでもいいよ」というようなクールな風潮が始まる世代です。明石家さんま世代で、その1世代前のビートたけし世代は、まだ政治的だったんです。

 それ以降の世代は「楽しければいいだろう」というところに振り切っていったんです。「おしゃれじゃなきゃいけない」、「車乗ってなきゃ駄目だ」、「女の子のことしか考えない」というね(笑)。

奥野:
 バブル世代みたいだ(笑)。

山田:
 プレバブル世代であり、プレオタク世代であり、しらけ世代なんですよね。人生や社会について考えることを放棄して、「そんなことよりも目の前の女の子の方が大事」、「バイクに乗りたい」、「車に乗りたい」、「サーフィンやろう」と言い出した世代です。

 一方で、鳥嶋和彦さんがいたからこそ『Dr.スランプ』は生まれました。ここで有名な話をもうひとつしますが、1970年代テイストのアクション漫画『ドーベルマン刑事』を描いた平松伸二さんという漫画家がいて、その人が描く美女は細面だったんです。

 当時の鳥嶋和彦さんは、まだ若かったのに、いきなり「こんな古い絵では売れませんよ」と言い放ちました。そのうえで、当時の人気アイドル榊原郁恵さんの写真を持ってきて「これに変えてくれと」と言って、細面の美女がムチムチに変わったら漫画がヒットしたんです。

 平松さんはそれで救われて、鳥嶋和彦さんはあちこちでそういうことを仕掛けていました。ところが、鳥山明さんは女の子との関係性が好きじゃないので、恋愛を描きたくない人だったんです。

 鳥山明さんは『Dr.スランプ』を描いていた若い頃に『徹子の部屋』に出演することがあって、そこで「女の子としゃべったことがありませんでした」と言っていました。

奥野:
 オタクだったわけではないの?

山田:
 オタク中のオタクです。ただ、このときにオタクという言葉はありませんでした。そして、この人はプラモデラーでもあったんです。つまり、とんでもないオタクのひとりです(笑)。

 そんな鳥山明さんの絵がすごいということは、日本中の人が知っていますよね。『Dr.スランプ』の時期に、この画集が出て世間は度肝を抜かれました。

奥野:
 すごい! 生きてるみたい……。

山田:
 そうです。当時の『Dr.スランプ』もそうですが、カラーイラストがバーンと表紙に入ってきていました。これにみんな「こんな漫画家がいるのかよ!?」と驚愕していたんです。

 そうしたイラストを描く鳥山明さんには、ルーツがいくつかあります。たとえば、『鉄腕アトム』のアトムの髪型と悟空の初期の髪型が非常に似ていますよね。そして、『鉄腕アトム』の前の時代には、ディズニーのミッキーマウスがいるんですよ。

 鳥山明さんは、手塚治虫の漫画の模写もしていて、とくに『鉄腕アトム』に出てくるロボットの模写をしていたらしいです。だから、『鉄腕アトム』に出てくるロボットっぽいものと、後の『スター・ウォーズ』に出てくるメカっぽさが鳥山明さんで合流するんですよ。

 ほかにも、その時代にみんなが欲しかった実在の車が出てきますが、それは鳥山明さんが欲しいものが買えなかったときに、徹底的に絵として描いていたからなんです。

 欲しいものは描くという人だったので、それを徹底的にやって、欲しい車を非常にリアルに描いていました。それで『101匹わんちゃん』の絵も描いていたらしくて……。

奥野:
 『101匹わんちゃん』? 鳥山明さんはダルメシアンが欲しかったんだ……(笑)。

山田:
 つまり、鳥山明さんはディズニーの絵からスタートしていて、手塚治虫もディズニーの絵からスタートしています。ディズニーはアニメを制作していたから、3Dを意識した絵が描かれているので、手塚治虫も立体派なわけですよ。

 しかし、漫画には浮世絵由来の絵もあるので、二次元として3Dに起こせないような漫画もたくさんあります。それがまた日本の漫画のよさでもありました。

 でも、鳥山明さんは基礎の部分に、ディズニーの要素があるので立体的になったんです。鳥山明さんは口の中をしっかり描くことでおなじみで、とくに歯を描くんですよ。ほかには、アメリカのイラストレーターも大きく影響を与えています。

 見てもらえばすぐわかると思いますが、その主なひとりはアメリカの画家でありイラストレーターのノーマン・ロックウェルですね。ロックウェルの抜きの部分、緻密に描いている部分、移動している感じ、たたずまい、これらは古きよきアメリカのようなものを賛美しているんです。

 1980年代には、フィフティーズ(1950年代)ブームがあったので、鳥山明さんが出てくる直前まで「アメリカ黄金時代って、イケてるよね」という風潮があった時代でした。

 だから、音楽もフィフティーズが非常にはやっていて、THE CHECKERSが出てきて、シャネルズも出てきた時代で、みんながヤングアメリカンだった時代なんです。

 その代表格としてのロックウェルに影響を受けているのは、よくわかりますよね。ロックウェルは、いろいろなものを描くのがうまいんですけど、メカも非常にうまくて、こういう絵も描いていました。さらに、鳥山明さんはプラモデル作りが恐ろしくうまいということでも有名です。

奥野:
 実際にプラモデルを作る人なんですね。

山田:
 しかも、プロ漫画家として活躍しているときなのに、「鳥山明」という名前で雑誌の模型コンテストに乗り込んでいたんです。そんな経緯もあって、鳥山明さんが後の模型雑誌にも参加していくという話は超有名です。

 人物だけ描いていればいいのに、モデラーだからメカも必ずイラストにセットで入るんです(笑)。

 乗り物としては、ドラゴンが描かれることもあって、鳥山さんは恐らく旅をしたかったんじゃないかと思うんですよ。もしくはバイクに乗って、どこかへ行きたかった人。

 『Dr.スランプ』では、舞台となるペンギン村をバイクで移動する描写があって、『ドラゴンボール』は世界の果てまで旅をしていく。作品に旅の要素が多いうえに、旅が大好きな世代ということから、そういった側面があると思います。

■ふたりのスティーブとふたりの鳥が成し遂げた世界征服

山田:
 鳥山明さんがあまりにも模型を好きなので、キャラクターが乗っている乗り物は、そのままプラモデルにもなっています。それはキャラクターも含めて全部3Dで起こせるように描けていたからで、これまでの漫画家の系譜に、そういう人はあまりいませんでした。

 劇画系譜の人たちが大活躍していた1970年代、1980年代において、鳥山明さんは革命を起こしてしまったんです。この天才絵師鳥山明を見つけた鳥嶋和彦さんにも、鳥という字がありますよね。鳥鳥コンビは、この画像のふたりに非常に似ていると思います。

奥野:
 くると思った(笑)。

山田:
 明らかに、このふたりに似てますよね。スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、ふたりのスティーブでしたが、鳥山と鳥嶋はふたりの鳥なんですよ(笑)。しかも、ウォズニアックはエンジニアに徹して、ジョブズは夢を描いて世界を征服しようとしていました。

 そして『Dr.スランプ』で悪役として世界征服を企んでいたDr.マシリトは、鳥嶋和彦が「悪役は自分が嫌いなやつを書けばいいんだよ」と鳥山明にアドバイスした結果、生まれたんですよ。

奥野:
 めっちゃいいエピソードじゃないですか(笑)。

山田:
 いいエピソードだし、これをやれたということは、ふたりの仲がよかったということですよね(笑)。鳥山明本人は世界征服をしようだなんて思っていないんですよ。でも、マシリトこと鳥嶋和彦が「世界征服してやろうぜ」と鳥山明さんに語りかけて、こうなりました。

 鳥嶋和彦さんは、慶應義塾大学を卒業していますが、その後に漫画に携わろうと思ってなくて、文芸をやろうと思っていました。そういうこともあって、鳥嶋和彦さんは漫画を馬鹿にしていたんですよ。

 だけど、自分にクリエイターの才能がないことに早々と気付いて、「自分はサポートする側にまわろう」と行動して『週刊少年ジャンプ』に配属されました。

 そこから鳥嶋和彦さんは読んだこともないのに、漫画を徹底的に分析し始めます。たとえば、ちばてつやの漫画がどうして読みやすいのかということをコマ割から何から全部分析していったんです。

 そういった裏付けがあって「じゃあ、こういうふうに漫画を描け」と言えるところまでいくわけですよ。さらに、恐ろしいのは『Dr.スランプ』の段階で、ふたりともまだ20代だったということですよね。

奥野:
 なるほどね、ところで鳥嶋和彦さんは新潟の人なんですか?

山田:
 高橋留美子さんも同じく新潟出身なので、新潟は漫画王国ですよね。

奥野:
 新潟は恐ろしいなあ……。


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