ハリウッドのほぼ全ての作品が“アニメ”になった理由――その秘密はCGが可能にした「天才不要の制作システム」にあった
ハリウッドからネットフリックスへ 流通を制するものが作品を制する
――ゲーム業界を鑑みると、マニアックな作品がまずあって、それでコンシューマが成り立っていたという状況がかつてありました。その後、ガラケーやスマホ用のゲームが出てきたことで、それまで普段はゲームをやらなかった人までやるようになって、結果として市場規模が広がったという事例があります。映画産業においても、たとえば映画ファンのものだったファンタジー映画がそうでない人にも受けて、市場を広げたというような事例はありますか?
増田氏:
アニメに関してなら、そういうことはあると言えます。僕は専修大学や法政大学の大学院でアニメーションの授業を持っているのですが、今の20代はアニメとテレビドラマを区別していないんですよね。
この間、ある女子学生が企画発表をする時に開口一番、「アニメとはドラマです」と言ったので、僕は椅子から転げ落ちるくらいビックリしたんです。彼らには、僕らみたいに映画とドラマとアニメを区別する感覚がないんじゃないでしょうか。
そもそもアニメはすべて作り物で、虚構世界でありそれ自体がファンタジーです。そういう意味でドラマとアニメには決定的な違いがあると思っていたのですが。何せ僕は、「うる星やつら」のときに日本武道館でファンクラブイベントをやって、元祖「アニメおたく」を相手に商売してきた世代ですから(笑)、その女子学生の発言でアニメが一般化して来たのだということを実感しました。
吉川氏:
そういう人が作る側になると、アニメやCGで何でもできると思うようになるんでしょうね。
増田氏:
東映アニメーションに関弘美さんというプロデューサーがいるのですが(現在は企画製作本部企画開発スーパーバイザー)、彼女は十数年前に「月9」でアニメをやりたいと言っていたんですよ。今でもそう思っているかもしれない。
吉川氏:
今ならありえないとも言えない話ですね。
増田氏:
映画で言えば金曜ロードショーも1年中アニメを流せるようになるかもしれないですね。今のジブリのラインナップに、細田監督、庵野監督、新海監督の作品を獲得していけば年間50週回せる「金曜アニメロードショー」になるかもしれない(笑)。
――テレビと映画の関係で言うと、アメリカではケーブルテレビのオリジナルドラマが大ヒットしました。最近では、ネットフリックスがやはりオリジナルドラマを制作し、ヒットを飛ばしています。
増田氏:
アメリカの場合、映画流通はファーストウィンドウ(最初に公開するメディア)を劇場に置くのがこれまでの原則でした。そしてそのあとシャワー効果でスピンアウトのテレビドラマを作ったりする。『スター・ウォーズ』がいい例です【※】。ちなみに日本は逆で、テレビドラマやアニメが当たると劇場版になる。
そして、今はネットフリックスもアマゾンビデオもすごい制作費でコンテンツを作っていますよね。これは流通を制した者が作品を制するという、映像の歴史が繰り返されることを予感させます。
ハリウッドもかつて、ニッケルオデオンという小さな映画館をやっていたユダヤの人たちが映画館をチェーン展開し、ある程度足場を作ったところで自分たちも映画製作をするようになりました。
テレビもそうですよね、電波という流通を支配して番組を制作する。それが現在ではネットフリックスやHulu、アマゾンのような配信サービスがネット流通を支配して、自社製作を手がけるようになったというわけです。まさに歴史は繰り返すのだと思います。
ただしハリウッドでもディズニーだけは例外で、アニメーション制作会社から始まって後から流通(ブエナビスタ/ABCネットワーク)を持つようになりました。ただディズニーがネットフリックスを買うという噂もあります。現在アメリカはメディアとコンテンツか垂直統合したコングロマリットになっているので、流通を制するものが制作を制するという点では変わっていないと思いますよ。
※『スター・ウォーズ』のスピンアウト
テレビスペシャルドラマとして放送された『イウォーク・アドベンチャー』(1984)、『エンドア/魔空の妖精』(1985)のこと。ヨーロッパや日本では劇場公開された。
――ゲーム産業に置き換えると、プラットフォーム競争も、つまるところ流通を押さえるということですからね。もう一つ最後に伺わせてください。最初の問題提起に戻りますが、世界の興行がファンタジーとキャラクターに向かっているとされています。キャラクターのことはマーチャンダイジングのビジネス的な理由も予想されますが、ファンタジーに向かっているのはどのような理由からだと思われますか?
増田氏:
それは人間が本質的にファンタジーを求めているからじゃないですか。人間の根源的な問である「自分がどこからきて、どこから去るのか」といった宗教的、哲学的命題、霊界や異次元の存在、宇宙の秘密といった根本的なテーマ。さらに神話や魔法、異世界といった未知なる世界への興味があり、それを疑似体験したいという欲求をファンタジーマンガや映画が満たしているのだと思います。そういう形而上学的なことに大衆の興味が向かうようになったのは、生活の余裕ができたところに、何でも描けるCGが出てきたからだと思います。
中国でアニメが見られるようになったのは、国が豊かになってきたからだと思います。文革以降に生まれた「80后」「90后」世代は一人っ子政策もあり、「小皇帝」と言われるような豊かな世代です。生活感覚も日本の若者とほとんど変わりません。基本的な衣食住が満たされ、次の段階として、自分の趣味趣向に時間とお金を費やせるようになると、大人になってもアニメを見続けるという現象が現れます。
今の若い子が「自分探しの旅」とかを考えているのをみると、やっぱり余裕のある時代だなと思いますよ。僕なんか昭和20年代の終わりの生まれで、戦争の記憶もある中で育ったから、「そんなこと言うヒマがあったら働け!」って言われた世代です(笑)。生活の心配をしないで自分の存在意義を考えられるようになったのは、豊かになった証拠だし良いことなんじゃないかなと思います。
吉川氏:
そして同時に、時代がそれを表現できる力、すなわちCGを獲得した。
増田氏:
そうですね。考えていることが映像化できるようになった。エンターテイメント寄りの考え方ですけども『ジュラシック・パーク』の衝撃もそうでした。
吉川氏:
『タイタニック』もそうですが、最初期からいきなり出来が良かったのが幸いした。だからみんなCGに向かっていったんですよね。
増田氏:
ハリウッドって、「今まで見たことがないものを見せてやるぞ!」という意気込みがスゴいじゃないですか。そういう興行師のDNAが延々と続いている。そして「見たことがない映像」を追求していくと、ホントに見たことがない映像が作れたりするんですよね。
人の想像力を表現するのにアニメはピッタリのメディアなんですよ。日本で言えば『鉄腕アトム』が今のロボット産業の礎となっているように、クリエイターが直感的に考えていたことが、意外と深いところで未来に繋がっているものがあるんじゃないかと思うんですよね。(了)
作品作りにおいて「技術」と「表現」は両輪の関係と言われている。技術があってもそれを使って表現するものがなければ作品は生まれないし、イマジネーションを具現化するには技術が不可欠だからである。
その点で、CGという技術が黎明期のうちにスティーブン・スピルバーグやジョン・ラセターという創造性のある天才のもとに届いたのは、世界にとって幸運だったと言える。
そして、生まれた作品をプロデュースすることについて、作品単位のプロデュースから、マーベル・シネマティック・ユニバース【※】のようなブランディング、そして会社の戦略的な買収まで、ハリウッドは先々を考えた広い視野を持っていた。
商売の基礎となるキャラクターと、表現の根源にあるファンタジー。アメリカの映画興行収入の潮流からは、そんなビジネスとクリエイティブが互いに磨き上げた成功の証が見えた。
※マーベル・シネマティック・ユニバース
実写版マーベル作品が持つ共通の世界観。同じ世界観を共有することにより、人気キャラ同士が共闘したり、あるいは対決したりすることが容易になった。