話題の記事

「日本がアメリカのケツをなめる以外しない」辺野古基地問題から見える沖縄の“怨念と事大主義”について宮台真司らが解説

沖縄の若い世代が本当に心配しているのは基地問題よりも貧困問題

宮台:
 97年に仕事で那覇に行った時に、たまたまコンベンションセンターとの行き帰りを若い人が運転してくれるワンボックスカーで移動したんだけれど、印象的なことがあったんですね。僕が沖縄に行きはじめたのは80年代半ばぐらいからだけど、80年代後半から90年代にかけて内地ではトレンディドラマのブームがあったんですね。

 それを沖縄で見るたびに違和感がありました。それで沖縄の若い人たちも違和感を持つのかなと思って、「内地のトレンディドラマとか見てて違和感ない?」って尋ねたんです。ところが答えは「いや、憧れますよ」って。「内地の人はいい暮らししてますもんね。僕たちもあれが夢です」って。

 「おいおい、あんなところに住んでる若者なんていねえよ」って(笑)。その勘違いはいいとして、「憧れますよ」っていうのが衝撃でした。「憧れるんじゃなくて、沖縄でああいう生活をしている人っていないってことに怒らないの?」って重ねて尋ねると、やはり「いやぁ憧れますよ」と返ってくるわけです。

 僕も仲村さんとの共著本で言ったけれど、90年代前半までは、僕自身が沖縄の食堂で内地のテレビドラマを見ていて、言いようのない違和感を感じたのですが、90年代半ばになると、不思議なことに感じなくなったんですね。それで沖縄の若い衆に尋ねてみたのですが、彼らも男女を問わず「違和感ありませんねえ」と言うわけですよ。

 それでで驚いたということだったんだけれど、その意味で言うと、コンビニ化やファミレス化やショッピングモール化などの「生活形式の本土並み化」と並行して、ある種の「精神風土の本土並み化」が生じているように感じました。その意味で、沖縄の内地化が、今から20年前の時点で、かなり進んでいたような気がします。

 なので、実は今おふたりが話してくださっていることに、改めて驚きすぎたりするということは、本当は良くないことで、実際には前から進んでいた動きが続いた結果、こうなっているんだろうな、ということがあります。

 あともうひとつ。少女暴行事件のときの知事であり、直後に軍用地の代理署名を拒否した大田昌秀さん。もともとは社会学者でアメリカ留学もされています。僕は大田さんの生前に4回お会いして話をしてきたことがあります。そこでお会いするたびに僕は一つのことを申し上げてきました。

 仲村さんも普久原さんもおっしゃった、怨念の表出と、損得の計算の、ふたつの要素がせめぎあって二転三転しているように見えること自体、内地の役人や政治家から「所詮は金目でしょ」とバカにされる理由なのだから、せっかく大田さんが国際都市形成構想や基地返還アクションプログラムで21世紀沖縄のボジティブなグラウンドデザインを描いた流れで、二転三転をせざるを得ない事情を沖縄内部で克服すべきじゃないか、と。

 すると最初の3回は激怒しておられたんですね。「そういうふうになっているのは全て内地のせいなんだ」とおっしゃっておられた。まさにその通りで、沖縄の人たちに諦めを強いてきた「ケツなめ政府」と、それを支えてきた内地の人たちが悪いに決まってる。僕が申し上げたのは、それを百も承知の上でで、あるいは現状を打開する責任が政府にあることが分かった上で、しかし現実に事態を動かすには、「金目でしょ」と言われる振る舞いを何とかするしかないという話です。

 すると、4回目にお会いした時、大田さんが突然、実は宮台の言う通りだ、沖縄に古くから染みついている事大主義、つまり、得になるから大きな力がある者に付こうするクセを、なんとかしなければ、内地になめられたままになる、とおっしゃったんですね。

 事大主義というのは中国の言葉です。『阿Q正伝』を書いた魯迅が中国人の何が嫌だったかと言うと、事大主義、つまり、たとえバカにされても得になる者にノコノコ付いていく浅ましさとさもしさで、それを中国人に知らせるために『阿Q正伝』を書いたという事情があったわけですね。

 普久原さんに伺いたい。大田さんが最初僕に対して「ふざけるな宮台」とおっしゃっておられたのが、最後には、沖縄には、怨念を語り継いできた側面と事大主義的な側面とのふたつがあって、つどつど反転するから、内地の政治家や役人になめられる結果になっている、それを何とかせねばというのは、宮台の言う通りだとおっしゃったことについて、実際どうすればいいと思いますか。この課題意識は間違っていますか。あるいはピンと来ない感じでしょうか。

普久原:
 僕も微妙な諦め観みたいなものは持っているので、こういうお話を伺った時に、感情で怒るかというのもない(笑)。  

 「ですよね」みたいな感じになってしまいそうな怖さが。じゃそのために自分は何をしているかみたいな感じになった時に言えなくなるのはありますね。直接的に政治の話をするよりは、僕は沖縄のことを仲村さんたちと話をしたり調べたりしながら進めてくというような。

宮台:
 僕が普久原さんに伺った理由は、大田さんがおっしゃった事大主義、たとえ笑われようと得になる側についていこうとする傾きが、本当にあるのかな、と思うからです。

 普久原さんの話を伺うと、事大主義じゃない感じがするのですね。確かにケツなめ政府に対する諦めはあるにせよ、もっと当たり前の感覚があると感じます。内地にあるものを自分たちが欲しいと思うのも、その意味で経済格差や生活格差を縮小させたいと思うのも当然です。

 得になる大きなものに這いつくばるというより、日本政府が本来ならば無条件でなすべき格差縮小化を、政府が動かないので平凡な条件取引で成し遂げようとする感じ。その際、日本政府が必ずしも敵として認識されていないのが大きい。

 つまり、若い世代が欲しているものと、年長世代が欲しているものとの間に、隔たりがあるわけです。実際、米軍基地をめぐって、内地の権力に敢えて這いつくばる方が得だと思うような若い人って、いないように感じます。

普久原:
 それはないですね。

ジョー横溝:
  仲村さんは実際に大学で教えられていて、学生たちはどうなんですか。

仲村:
 深層心理は難しいんですけれど。やっぱり基地は嫌なんです。依存しているということも気分的には嫌なんです。では自分たちはどうすればいいのかということが見つからない。じゃあ、その前の世代は何をしたかと言うと、大田さんも含め対「ヤマト」なんです。ヤマトを対峙し、対ヤマトで語ってきた世代と、もうそれは通じない世代との分断が今来ています。

 その分断があるがゆえに沖縄内部で世代間や考え方の溝が深まり、沖縄問題を語る大人への無関心と無視が広がっています。このことは僕自身がよく使う言葉なんですけれども、埋めるべき溝は本土より前に沖縄の内部にあると思います。公告・縦覧代行に応じたときに大田昌秀さんにお会いしたのですが、そのときかなり乱暴な言葉を使っていらっしゃったんですね。

 「あなた方には基地問題の難しさが分からないんだ」と。そこなんですよね。基地問題は行政のトップにいるものでさえ難しくて、伝え方も分からない。本音の思いが土壇場で逆転する。これがずっと今まで続いている感じがしています。

 大学生に聞くと、今いちばん関心のある問題は基地ではなくて貧困です。子供たちの3人に1人が貧困に陥っている現実。自分もその中に入ってしまうんじゃないかと怯えています。今若い世代の最重点課題というのはそこですね。沖縄は世代間の分断もありますが、求めているものも世代によってあからさまに違うんです。

▼下記バナークリックで番組ページへ、31:30~
記事化箇所が始まります▼

―関連記事―

辺野古基地問題に取り組む沖縄の若者たちの動向を宮台真司・仲村清司らが語る「“恨みベース”か“希望ベース”かで運動の性質が変わる」

日本国憲法は戦後押し付けられたという“風潮”に社会学者・宮台真司が提言「戦争を勝手にやって負けた国が押し付けられるのは当たり前」

なぜ沖縄に基地が置かれたままなのか? 安全保障と向き合う必要をジャーナリストらが提言「沖縄がどのような経験をしてきたか歴史を知ることが大切」

この記事に関するタグ

「報道」の最新記事

新着ニュース一覧

アクセスランキング