ドラッグ・AV・死体写真etc…“90年代サブカル鬼畜ブーム”を振り返る【話者:吉田豪・久田将義・水野しず】
『完全自殺マニュアル』や「QuickJapan」が率先して導いた鬼畜ブーム
吉田:
水野さんはこの90年代サブカルとか鬼畜ブームの知識はありますか。
水野:
あんまりよくわからない。でも死体写真とか、どういう目線で見てたかわからないから、ピンとこないんですけど。
吉田:
キレイなものみたいな感じで。
水野:
え~。
久田:
アートに近い感じ。
水野:
じゃもう何も言うことない、いいんじゃない。自分は人間が死んでいる写真とかを見て、オブジェクトとしての自分を確認するためにそれを見るって言う見方だったら、それは別に構わないと思うんですよ。
自分もなんか、イラク戦争とか死んでる人とかの映像が流れてきて、自分はオブジェクトとしてこういう物体なんだという確認をすることってすごくあるので、そういう見方だったらまだ共感できる部分があるなとか思うので。当時の人の見方がわからないですけれど。
久田:
戦争写真じゃないんですよ。戦争の写真は太平洋戦争とかいろいろあるじゃないですか。心を打たれるものがあるじゃないですか。
吉田:
反戦のメッセージとしての死体写真。
久田:
そう。
水野:
どういう感じなの? おもしろくて殺しちゃうみたいな。そんなことはないか。
吉田:
事故とか事件の写真を撮ってきて、それを出す感じなんですけれど。
久田:
それで花村萬月さんという作家さんがちょっとキレて。
水野:
だってそれはもう盗撮に近い感じがしますよね。なんか戦争じゃなくて個人を撮ってる感じだから、そうなってくると。なんか他人をコントロールしようみたいな支配欲みたいな、身勝手な欲望みたいなのが出てきますよね。自分はサブカルっていう言葉がよくわからない部分が大きいけれど、ただどうしてもサブカルを自負する人で苦手なタイプっていうのがどうしてもいて。
それはやっぱり、何かを威圧するためにサブカル的な価値観を行使する人は本当に嫌いで。そういう人が磁場を作っている空間にいるとゲボが出る。本当に一回そういうことがあって、間違ってそういうバーに入ってしまった時に、もう入った瞬間にグラッとなって気持ち悪くなって。
猛烈な吐き気がして頭も痛くなって急いでトイレに駆け込んだんですけれど、ゲボは出ないんですよ。涙はボロボロ出てきて、こんなところにいたら死んでしまう、霊障なんじゃないかなと思って、慌てて階段を駆け下りて外に出たらちょっと落ち着いたんですけれど。
もう3日ぐらい霊障が続いて、そういう時も水のゲボが出るんですけれど。ビニール袋3袋くらい水のゲボを吐いて寝込みました。
久田:
サブカルマウンティングというか、マウンティングに近いものじゃないんですか。
吉田:
具体的に言うと何だったんですかね。
水野:
その空間はあとで聞いた話なんですけれど、いろいろ人がいろいろ人の悪口を言うことによって成り立っている場みたいな感じで。そこに足を踏み入れてしまった自分の間違いなんですけれど。その磁場を、邪気を受け取ってしまったんでしょう。
吉田:
僕、そんなところ聞いたことないですよ。うちの近所にサブカルバーと名乗る店ができて、何それと思ったら、ガンダムとかしか置いてない感じの。それサブカルじゃねえよって。アニメバーでした。邪気なさそうでした(笑)。
水野:
かわいいからいいね(笑)。
吉田:
時代によってはサブカルという言葉が違うし、世代によって受け取り方が全然違うから。
久田:
だって大学生の頃って、社会学部だったんですけれどサブカルって、いわゆるカウンターカルチャーのことだったので。
吉田:
サブカルチャーと略される前。
久田:
そう。社会学的には映画とかになるわけですよね。メインはオペラだったわけじゃないですか、昔は。そのカウンターカルチャーが映画になってくるので。
吉田:
最近僕はTwitterでもつぶやきましたけれど、地方のイベントでサブカル交流会というタイトルで、ただのアニメイベントで。本当に今、サブカルはアニメなんですよ。
久田:
そういうことか、なるほど。
吉田:
サブカルに鬼畜が入っていた時代とかも今では想像がつかないと思うんですよね。
水野:
自分もそんなにピンと来ないですね。
久田:
一瞬あったんですけれどね。
吉田:
鬼畜に寄っていた時代が間違いなくあったんです。
久田:
90年代かな。
吉田:
『完全自殺マニュアル』とか、「QuickJapan」がより率先してそういう方向に進んでいたことがあって。
水野:
『完全自殺マニュアル』みたいなのが必要とされた空気感みたいなのは全然わかりますよ。世紀末の時、あの時ってそういう空気感があったと思う。ハイグレーっていう。グラデーションのない感じとか、均質な感じとか。嫌いじゃないです、自分は。その時の感じは未だに好きだったなって思い起こすこととかあります。
オウム真理教のお弁当屋さんに、空気を浄化するコスモクリーナーみたいなのを置いてたっていうのとか。なんか違う世界が接近している感じとか、なんか素敵なことでもあるよなっていう。
AVで処女喪失、ハメ撮りで病んで自殺……鬼畜ブームの裏で逃げ場がなかった女性ライターたち
吉田:
雨宮処凛さんとインタビューでお互いに意気投合したのが、90年代は女性ライターとかの逃げ場がなかったというか、サブカルの世界にいる以上、もっと過激なことをやらなきゃいけないみたいな思いがAVで処女を捨てなきゃとか、変な体を張らなきゃと思っていたのが、ある時期から女性ライターが体を張る文化ってのもなくなってきたんですね。
今はもっと違うやり方で自己表現できるし、認めてはもらえるじゃないですか。あの頃は本当に逃げ場がそんなになかった。
久田:
だって「BUBKA」かわからないけれど、女性ライターはどんどんうちの原稿でも書いてもらったけれど、自殺しちゃって。エスカレートしちゃって、結局ハメ撮りみたいなことをやっちゃって、病んじゃったのね。かわいそうだったね。
僕が作っている雑誌じゃないんですけど、他の雑誌でそういうことをやっていたから。僕じゃないから(笑)。
吉田:
久田さんの過去で言うと、立ちんぼを買った時に領収書を会社に出した人なんですよ、「立ちんぼ代」って(笑)。
久田:
「立ちんぼ8000円」って書いて。
水野:
確かに立ちんぼの8000円とキャバクラの8000円と、ご飯を食べた8000円って何が違うんだって。
久田:
ちゃんと記事に書いたので、だからこれでいけるかなと思って経費で出したら経理から電話がかかってきて「立ちんぼって店、どこにあるの」って(笑)。
一同:
(笑)
久田:
店じゃないんですよって(笑)。立っている人なんですよねって(笑)。記事のコピーを出して、ちゃんと出しました。遊んだだけじゃないですよって。税理士に通るかはわからないけれども。
吉田:
そういう時代だったんですよね。
久田:
そういう時代でしたし、いいと思いますけれど。
吉田:
ここ最近思うのが、今の価値観と昔の価値観は決定的に違うから。
久田:
確かに。2000年になる前は、混沌としていたかもしれないですよね。だって2000年問題とかって、パソコン壊れるみたいなのがありましたよね(笑)。
水野:
楽しかったよね(笑)。2000年になったらAIの反乱が起きるとか(笑)。
吉田:
時計のズレ程度でしょう(笑)。
久田:
確かに。何も起こらなかった。
水野:
あれすごい好きだったんだよね。
吉田:
世紀末でわくわくしたのもあっただろうし。
久田:
そうだね。それもあったのかもしれないな。
吉田:
それこそ雨宮さんの話を聞いて思うのは、オウムとかでわくわくした派、しなかったか派というので決定的にわかれるじゃないですか。
久田:
確かに。俺、普通に事件としか思っていなかった。完璧に地下鉄サリンもオウムだと思っていたしね。
吉田:
雨宮さんの話を聞いてすごくわかったのは、そういうのも本当にも知りたかったし、世の中もう全部どうにかなってくれればいいなと思った人だから、ああいうことが起きた時に感情移入しちゃったっていう話。だから被害者がどうとかの視点は見えてなかった。
久田:
そういう人多かったよね。ロフトプラスワンもそれに乗ったっていうのもあったよね。
吉田:
僕がロフトプラスワンと距離を置いていたというのは、本当にそういうのもそうだし、その女性ライターが脱いじゃう感じが痛々しいのも含めて、もう辛い。積極的にやっているならいいけれど、追い込まれてる感じがする。
久田:
ここまでやんなきゃいけない、ここまでやって私、書かなきゃっていうのが、かわいそうだったね。今はちょっと違ってると思うんだけどね。
吉田:
もっと突き抜けている人がやっている分にはいいけれどね。そうじゃないクラスの弱者が無理してそうやってる感は見たくないんですよ。
久田:
本当に病んじゃった子も多かったと思うし。その点まだ「GON!」のほうが優しかったと思いますよ。体当り取材はやっていましたけれど、せいぜいハプニングバーに行くぐらいで。
吉田:
「裏モノJAPAN」とかのほうがハードでしたよね。
久田:
あれはハードだったよね。鬼畜はいいんですけれど、そのある一定の部分で線引きしたいんだよね。死体とか人の命は線引きしたいですよね。そこだけは。あとはもうしょうがないですよ。大麻とかもうダメですよ。ダメだけど今は解禁の方向に向かっているかもしれないし。でも人の命にかかわることだけは僕は線引きしたいですね。