「音楽を作ることは、サービス業である」オーイシマサヨシが「より深いお客さんへのサービス」のために変えたこととは?
アニメ『ダイヤのA』でTom-H@ck featuring 大石昌良として主題歌を歌ったのをきっかけにアニソン界へと足を踏み入れ、『月刊少女野崎くん』主題歌「君じゃなきゃダメみたい」、Tom-H@ck氏とのユニットOxTでの作品や、さらに作詞作曲を手掛けた『けものフレンズ』の「ようこそジャパリパークへ」まで、アニメファンのみならず一般ファンも取り込み、輝きを増すオーイシマサヨシ氏。黎明期からのニコ動ファンだという彼が、満を持してニコニコ超パーティーに参戦する。
自ら「おしゃべりクソ眼鏡」と称し、様々な奏法・テクニックを駆使した弾き語り、そして軽快なトークでこれでもかと観客をもてなしてみせる彼。そのサービス精神のかたまりのようなステージングの理由とは?
古参のニコ動ユーザーだが、10年間 ROM専を貫き通していた
──ニコニコ自体を昔からご覧になっていたそうですが、いつぐらいからご覧になられるようになったんですか?
オーイシ:
長いですよ。いわゆる古参といわれるほどです。たぶん一番わかりやすいのは、踊り手さんでいうともう初代ですね。阿部子【※】さんとかの時代から見ていました。愛川こずえさんとかが出てきた時よりもチョイ前くらいですね。
※阿部子
【ネギ踊り?】みくみくにしてやんよ♪【二番煎じ】でニコ動に登場した踊り手。動画で、『くそみそテクニック』の登場人物・阿部高和のお面をかぶっていることから阿部子と呼ばれる。その動画の与えたインパクトにより当時一大ブームを引き起こし、フォロワーは「阿部子チルドレン」と呼ばれた。
──黎明期ですよね。
オーイシ:
ニコ動にユーザーさんが、ガガガって集まって来始めた時から見てますね。初音ミクが盛り上がり始めた一番最初の「みくみくにしてあげる♪」とかも、当時の音楽仲間とかに、「すごい文化がやってきたぞ!」って、パソコンを持って「これ見てよ!」って紹介していました。
──啓蒙活動をされていたんですね。
オーイシ:
まだ当時は、皆さんがニコニコ動画をそんなに知らない時期で、一番最初は、無駄な才能をひけらかしあって大きな文化祭になっていく雰囲気だったと思うんです。「えっ?もうここまで来てるの?」「こんなにできちゃうの?」というか、「よっぽど面白い事をやってるじゃん。こっちの方が!」って思い始めたのがその当時で、2007〜8年くらいだったと思いますね。でも自分は特に動画を投稿するでもなく、ずっとROMってて、Read Only Memberを貫き通していました。10年目にしてようやくこの間、自分で投稿したのが仮歌動画だったんです。
──タメましたね。
オーイシ:
そう、すごいタメましたけど、ずっと指をくわえて羨ましく見てましたね。
人に喜んでもらうサービス業であるという認識が非常に大事
──動画の投稿以外に弾き語りのニコ生もやってらっしゃいますが、今の弾き語りやMCなどのスタイルは、どのように確立されたのでしょうか?
デビュー当時は、スリーピースバンドをやってたんですけど、どちらかというと「俺が良い音楽を作ってたら、皆勝手に付いて来るだろう」と、よくありがちな自分の発するものに対する絶対的な自信みたいなものがあったんです。
言っちゃえば、サービス精神の「サ」の字も無かったんですけど、ドンドン時代が巡って変わっていって、ニコニコみたいなコンテンツとかも沢山台頭してきて、プロだからとか、運よくデビュー出来たからといって、もう胡坐かいていられない時代だと思うんですよ。素人さんも含めて、みんな同じステージ、同じスタートラインに立って、いくらでも自分を出せる媒体や、ソースがドンドン増えてきたので。
周りを見てても、その時代の天才と呼ばれる人たちがドンドン田舎に帰っちゃったりとか、音楽を諦めちゃったりとか……。でも、どうしても僕はまだ音楽でご飯を食べていきたいなーと思った時に、やっぱりその人に喜んでもらうという、いわゆるサービス業であるという認識が非常に大事だなと思い始めて……。
こういう「どうも、アニソン界のおしゃべりクソ眼鏡ですー」みたいなことを言い始めたんです。
──(笑)最初に、これじゃマズイって思われたのっていつぐらいでした?
オーイシ:
意外と遅くて、2012年とか13年とか、もうホントに4、5年位前ですね。アニメコンテンツに携わらせて頂いたっていうのが、一番大きかったかもしれないですね。
幅が広がって、要は「音楽を聞いてくれるスタイルにも色んな形があるんだな」って思ったのが、きっかけだったんですよね。音楽ファンに向けてだけ、楽曲や自分の音楽を落としこもうとしてたんですけど、でもアニメファンの皆さんも、こんなに凄く自分の音楽を必要としてくれるんだなとか、そういうことに気づき始めてから、「あっ!これって、音楽を作ることって、つまりはサービス業なんだな」と、ようやく大人になれた。そんな感じでしたね。
──まず何を変えていこうとか思われました?
オーイシ:
まず変えたのは、名前です(笑)。
──分かりやすい(笑)。
オーイシ:
カタカナに名前を変えることによって、いわゆる別人格というか、今も別の人物だって言い張ってるんですけど、それで開き直れる、いくらでもいろんなことが出来るっていうのがあったんで、それがすごく大きかったですね。
──なるほど、漢字の大石さんとカタカナのオーイシさんは「違う人物だから、やることも全く違うんだよ」とすることで、やりやすいみたいな感じでしょうか?
オーイシ:
そうですね。やっぱり自分が1番その音楽をやりやすかったり、お客さんに対して自分の音楽が1番伝わりやすいキャラクターを纏ってエンターテイメントしていく。もちろん今まで培ってきたスキルや技術はそのままに、一回別の人格としてリセットして、もう一回キャラづけを改めてしていく、そういうシャッフルが行われたのが、カタカナのオーイシマサヨシ名義を立ち上げた時だったんですね。アニメコンテンツとか、ゲームコンテンツファンに向けて、1番刺さりやすいそんなキャラクターを作ろうと思ったのが、きっかけでしたね。
音楽家としての体力、活動を長く続けていくことを考えた
──なるほど。アーティストの中には、最初に作り上げたスタイルを変えるのは抵抗がある……という方もおられますが、オーイシさんは臨機応変ですね。
オーイシ:
僕は、天才って2パターンいると思っていて……
──2パターン?
オーイシ:
凄く突発的、刹那的に現れる天才と、継続して初めて認められるタイプの天才と2パターンいて、分類するなら僕は自分を後者だと思っています。まだまだ天才には程遠いと思いますけど。
良いものを作っているっていう自負は昔からあったんですけど、それが認められるにはその時代性だったり、自分の努力だったり、自分が携わるコンテンツだったりとか色んな要因が出てくるだろうなと。
音楽家としての体力、つまりそれはモチベーションだったり経済力だったり、色んなことが含まれるんですけど。長いこと音楽人生を謳歌することによって認められる才能って、きっとあるだろうなと思ったんですよね。
──続けることで開花していく。
オーイシ:
いかに体力を持って音楽活動を長く続けていられるかっていうことを考えると、やっぱり素直にならざるを得ないし、考えざるを得ないんです。音楽がエンタメとしてお客さんに伝わったとき、「サービスしてくれてありがとう」と思っていただいて、ようやく対価としてお金をいただける。そういうことを常に年がら年中365日やっているっていうのが音楽家としての在り方だと思うので、自然とそうなっていった感じです。
でももともとそうだったわけじゃないですけどね。トンガっていたときは、「俺が作った音楽にみんながついてくればいいじゃねえか!」みたいに思ってましたし、「パッケージとか他のことは、大人のみなさんが全部やってくれたらいいよ」なんて。今や、スタッフも含めてみんなで2人3脚でお客さんに認められようというエンタメのベーシックを作っている感じで、今はチームがすごく楽しいです。