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『君の名は。』が”萌え”に支配されたアニメ業界から僕を救った――山本寛・アニメ監督への復帰を語る

「アニメ・イズ・デッド」の真意とは?

岡田:
 じゃあ次。アンケート行こう。次はどれが嫌?

山本:
 それを言ったら絶対それになるから(笑)。

岡田:
 アニメ・イズ・デッドはちょっと知りたいな。そのことに関して。

山本:
 あーそうですね。(岡田さんの)影響受けてますからね。

「アニメ・イズ・デッドの真意は?」が1位、「2016年一番面白い・注目アニメは?」が2位

岡田:
 おお、言った通りだね。「2016年」が2位で、「アニメ・イズ・デッドその真意は」が1位。『アニメ・イズ・デッド』ていうの、あれ、なんかどっかで話したの?

山本:
 はい、話しました。大阪でちょっとイベントをやらせてもらって、7月に1時間くらい。残りの2時間は別のスタッフ入れた時事放談みたいになっちゃったんですけど、1時間だけ講義という形でやらせてもらって、大きな影響を受けているのがやっぱり『オタク・イズ・デッド』ですね。今年に入って、ようやく見たんですよ。ようやく見てね、本当もう最後の方、涙しました。

岡田:
 あの映像のやつ。俺がロフトプラスワンで泣きながら話したやつ(笑)。

山本:
 あれは本当に感動的ですよ。笑い事じゃないですよ。ちゃんとね、僕らオタク第2世代、僕ら第2世代だと思っているんですけど、ちゃんと認めてくれたっていうのがまず嬉しかったです。本当にみんな同調圧力、本当仲間意識は強いんだけど何かお前ら違うよな?で、僕はtwitter上で戦っていたわけですよ。俺とお前ら絶対違うよ、でも俺オタクだったし、っていうそのモヤモヤをね、吹き飛ばしてくれたのが岡田さんの講演で、第1世代、第2世代、第3世代とちゃんと分けて、で第1世代2世代の苦労というのを第3世代はもう理解できずに「萌え」という洪水の中で皆がズドーンと沈んでいくっていうのが、凄くね、自分のイメージとぴったり合ったんですよ。

岡田:
 僕が『オタク・イズ・デッド』の中で言ったのが、そのオタクという民族、民族意識が無くなるだけであって、もうサバイバルですよと。もう守ってくれる人居ませんから、みんな独自で頑張りましょうっていう解散宣言?いわゆる遠足の解散のようなものだと、個人的に思っていたハズなのに、後半になってくると、なんかね申し訳ないような気分が出てきて……

山本:
 いやー、もうあれは感動的ですよ。

岡田:
 結局、そこまで引っ張ってきたり、いろいろもの作ったりしといて解散宣言かよって、自分の中で思ってるんだけど、もうレジュメの進行通りやるしかないからさ、それで感極まって泣いちゃったんだけども。

 で、『オタク・イズ・デッド』に対して『アニメ・イズ・デッド』ってどういう意味なの?

山本:
 これはもう、もっともっと個人的なパーソナルなものですよ。僕にとってのアニメはもう死んだんじゃないのか?っていう。さっき言ったとおり、自分のやることとどんどん真逆に行くんですよ、アニメの流れが。

パンチラを見せるときは男の欲望に従って見せろとか、「萌え」に対する不文律がいっぱいできている

岡田:
 今、アニメの流れってどう見えてるんですか?

山本:
 やっぱり、「萌え」っていうのが一種のファシズム化されているっていう。その「萌え」っていうのはなんぞや?と聞いても、「さあ?」って思うんだけども、何となく不文律ができてるじゃないですか? 例えば、パンチラ見せるなとかね。パンチラを見せるときはちゃんと男の欲望に従って見せろとかね。そういう不文律がいっぱいできている。

岡田:
 そんなのあるんだ。

山本:
 えらい、やられましたから。そういう良いパンチラと悪いパンチラがあるとかね。良い「萌え」と悪い「萌え」があるとかね。なんかもう出来ているんですよ。

岡田:
 良い「萌え」と悪い「萌え」。ほー。

山本:
 それを辞書化したり、教科書化する人はもう居ないんです。岡田さん以降やっぱり居ないんですけども、なんか細かい俺ルール、パーソナルルールが出来ていて、こうしなきゃダメだからヤマカンはクソだって、バーッて言われるっていう時代は、ちょっとかなわんなっていうことですよね。同調圧力だけが残ったって僕はそう思っているんです。

岡田:
 それは自分がアニメ業界に入りたいと思ったようなアニメはもう終わったっていう意味なの?

山本:
 それに近いですね。で、宮崎さんがそれこそもう引退なさったから、その瞬間にあーっ、終わったーっていう感触はすごく強かったんですよ。それを、まあ『君の名は。』でまだ仲間がいるんじゃないか?っていうところまでちょっと希望が持てたんですけども、まあ大勢は変わってないですね。なんかもう本当に僕一人ぼっちだなーっていう。アレ?僕の知っているアニメはもう何処にも無いよっていう。

岡田:
 どういうやつのこと? 具体的に昔の作品でいうとどういうやつ?

山本:
 まさにナウシカです。で、宮崎さんの作品全部と言っても良いですね。宮崎さん、高畑さんの作品全部。それから庵野さん、ガイナックスさんで言うんだったら旧エヴァンゲリオンまでです。

岡田:
 TVのエヴァまでな。

山本:
 いや、僕は劇場版までイケます。

岡田:
 どの劇場版まで?

山本:
 『THE END OF〜』(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)までですね。僕にとって……

岡田:
 じゃあ『Q』(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q)とかはもう入んないわけね? もうデッドの後のゾンビ?

山本:
 『序』『破』『Q』はゾンビとは言わないけど……

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岡田:
 ゾンビだよね!でも、その意味でいうと、今アニメっていうのは死なない「萌え」がうろついているゾンビだよね。まだ死なないの?綾波!まだ死なないの?アスカ?っていうやつらが「うあ゛ぁ〜」ってやってて。

庵野さんの音楽の使い方がよく分からない!なんか、俺らバカにされてんじゃねえの?

山本:
 ちょっとコレだけは言っておきたいんですけど、庵野さんの音楽の使い方よく分からないんですよ。ヱヴァの『Q』であのN-ノーチラス号のテーマかかった瞬間に僕出て行こうかと思ったんです。あ、なんだバカにされてる俺たちって思って。あれはね、ショックでしたね。ヱヴァの『Q』でナディアの劇伴かけちゃダメでしょっていう。

岡田:
 『シン・ゴジラ』はそこら辺でもカチンと来たの?

山本:
 そうですね。なんか、俺らバカにされてんじゃねえの?って思って。

岡田:
 あれは吉本新喜劇だから。いつもの曲がかかって、花紀京が出てきて、岡八朗がでてきてっていうのの流れだからさぁ。

山本:
 まあ、それも分かるんですけど……

岡田:
 庵野映画はエヴァじゃないし、ゴジラじゃないから。アレ庵野秀明のコスプレ大会をみんなで観ているもんだからさ。そこで本気になって、綾波とかアスカとか言ってるヤツの気が知れない。それ、綾波、アスカのコスプレをしている庵野がいるだけだぞ!って思うからさ(笑)。

山本:
 そう、あれもよくわかんないんですよね。

業界全体で当て方が本当に分からない。で、当たった方も分からない

岡田:
 そういうふうなアニメこそがアニメ。いわゆるその『THE END OF ~』までの、エヴァンゲリオンまでのアニメを、正しいアニメという言い方は変だけども、生きてたアニメだとしたら、今のアニメっていうのは、とりあえずもう生きているかどうかわからない。死に体かも分かんないけども、無理矢理蘇生剤打って、アニメファンという人たちから円盤代を出させるために……

山本:
 円盤代は出ませんからね。

岡田:
 もう出ないか。

山本:
 もう通説になってるんですけど、円盤代が出ないので、もう必死に延命措置をしているだけっていう。生きてるかどうかっていうのはもう本当に判断しずらい。

岡田:
 じゃあ今さ、当たるっていう条件何なの?パチンコ化されるみたいなこと?

山本:
 もう博打だ!って言うしかないですね。あの、これは業界内で今年に入ってから結構ヒアリングしたんですけども、もう博打だ!当て方なんてもうわかんない!って、もう何も通用しないって、業界右往左往しているというか。こんなこと言っていいのかな?大丈夫かな?まあいいや。

岡田:
 じゃあ、それでいうと『ヤマト愛の戦士たち』(『宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち』)の制作発表なんて、大博打なわけだよね。この時代で『宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』今やります?って……

山本:
 いや、だから一周して当たる可能性もあるじゃないですか? それは本当に、本当にみんなね、プロデューサークラスが戦々恐々としてて、当て方が本当に分かんないんですよと。で、当たった方も分かんないっていう。何でコレ当たったんだろうみたいな。恐ろしい時代になりましたよ。

アニメという文化っていうのは、もう溶けて滲み出てる

岡田:
 まあ、ちょっとまって『アニメ・イズ・デッド』っていうのはヤマカンさんが思っていたような、あのどういうふうに言ったら良いんだろうね?大掴みに、ちゃんとしたアニメって言うのかな?っていうのがもう無くなってしまって、で、今はみんなどっち向いて作って良いのかわかんないけど、とりあえず当たるだろうっていう、マーケティング主体みたいな形で作ってる?

山本:
 もっと漠然としてますけどね。まあ文化民族としてのオタクが死んで、個々の趣味に変わったというように、アニメという文化も無くなって個々の作品になっている?もっと言うと、3DとかCGによって、それこそ『シン・ゴジラ』みたいに、あれはアニメじゃないんだけど、なんか俺たちのカルチャーだ、みたいに思っている。

 まあ実写でもなければアニメでもないみたいなボーダレスな状態も起こっているんで、本当に一つ一つの作品であって、アニメという文化っていうのは、もう溶けて滲み出るんじゃないのかな?一つ一つ個々の作品っていうことですね。というふうに見えてます。

岡田:
 じゃあ逆に言えば大勝利なわけでしょ? いわゆるSFの浸透と拡散みたいなもので、例えばエヴァンゲリオンが文学っぽいけど、文学はアニメに負けたのか?って言うけどそうではなくて、エヴァに文学賞あげなかったから、文学は負けてしまったのだ。だから日本の文学っていうのは、既にアニメのサブカルチャーの一つになってしまった。

 と同時に、俺らがやったことは日本の映画文化、映像文化っていうものを全てアニメに置き換えてしまったということで「やったー!俺たちの大勝利だー!」って言えないこともないじゃん?今聞いてたら、そっちの捉え方も出来るなと思った。

山本:
 それはね、本当に正に言っていた人もいます。岡田さんくらいの年代の方はそういう主張をする人結構多いですよ。でも、僕らはなんか取り残された感じ?コレ、同世代の監督やクリエイターと喋るんですけど、誰もそこには乗っかってないですね。なんか、置いてかれたって感じが強いです。

全てがアニメになっていくのだったら、頑なにアニメの枠を守ろうとすると、不幸になる

岡田:
 全てがアニメになっていくんだったら、そしたらこっから先はハイブリッド種というか、ここから先それを当たり前だと思っていたヤツらが次の世代のクリエイターとしてバァーっと出てくる。で、頑なにアニメの枠を守ろうとすると、不幸になるんじゃない? 

山本:
 う〜ん。

岡田:
 ヤマカンさんが居る場所ってそこかもわかんないよ。かつてのその萌えアニメの前を知ってるだけにさ。で、萌えアニメっていうのを作っただけにアニメーションの中で守らなければいけないと思っているものがあるからさ、よけいにその護るべき国体っていうのを庇おうとして死んでいった新選組みたいなポジションに今居かねないじゃん。

山本:
 本当そうかもしれないですね。新選組とかね、白虎隊とかに近いんですよね、たぶんね。

岡田:
 それで、それに対してどんなに頑張っても感謝されることはあまりなく、時代に取り残されたような烙印だけ押されかねないポジションだから、後世になってその美学を褒めてくれる腐女子がいるかもしれない。

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山本:
 ありがとうございます! やったー!

岡田:
 それは俺らが死んでからのことであって……(笑)

山本:
 うわー、そうか、華々しく散りそうだな。

岡田:
 『アニメ・イズ・デッド』って考え方って、侍なんて一人もいなかったのに、侍とはこうだ!って新選組が死んでいったような感じになっちゃうから。それはそれで切り替えたほうが得かも。

山本:
 得、損でいえばそうですね。

岡田:
 損得で言っちゃうとね。まあナントカ・イズ・デッドって言い出すようなヤツは損得で生きれねえわけだけどさ。

山本:
 そう、髷(まげ)を切るしかないのかぁ。でも、まあ髷にこだわっているんじゃなくて、さっき言ったように自分のやりたいイメージっていうのはやっぱり未だに残っているし、思い出したし、それができればまあなんだって良いんですけどね。もう萌え萌えであろうがパンチラ見せようが、なんでも良いって言えば良いんですけど。

アニメと実写、交互にやるのが一番良いんじゃないですか?

岡田:
 あの、庵野が『シン・ゴジラ』でやろうとしたコトと、あとヤマカンさんが『私の優しくない先輩』でやろうとしたコトって、本質的に違わないんでしょ? つまり、アニメっていうのを表現ではなく概念?演出技法とか、なんといっても良いんだけど、ドラマ作りといっても構わないけど、それで置き換えればこうなりますよっていうやり方だよね。だから、昔の庵野秀明の『帰ってきたウルトラマン』も特撮のようでいて、あれ作り方が根本的にアニメなんだ。だから、コンテを細かく書いて、その通りに撮ろうとするんだよ。

 でも、特撮作品ってコンテ切ってその通りに撮れないじゃん? CG作品でない限り。でも、庵野は厳密にコンテとって、この通りマットアロー1号飛べ!って言うんだよ。で、赤井はそれを見て激怒するんだよ。「コレ、アニメだ!」と。吊りで飛行機飛ばしているのにこんな風に飛ぶわけがないと。「お前は本当に特撮に見えて、所詮はアニメ屋だ!」って言って大げんかしているの見たコトあってさ。

 だから今回『シン・ゴジラ』CGでやってるの見て、あ、庵野やっとやりたいコトができるんだと。元々はアニメの人間が、特撮がちょっと好きだからなんか特撮っぽいテイストで作りたいだけなんだよ、たぶん。今回のCGのゴジラってのは凄いイイところに帰ってきた。ヤマカンが持っている演出論っていうのがそれはアニメ向け、特撮向けって色々あるかも分かんないんだけど、『らき☆すた』とかで、なんか分かってきた、あ、なるほどコレなんだ!っていうやつを実際の人間に当てはめていくと、『私の優しくない先輩』になるんだけども。

山本:
 あー、そうですね。

岡田:
 あれって、庵野で言えば『式日』みたいなもんで、「踊ってみたシリーズ」「撮ってみましたシリーズ」みたいな。あれ続けないと、式日やって、アニメやって色々で、わりと『シン・ゴジラ』に行き着くわけなんですけど。

山本:
 あー、なるほど。

岡田:
 交互にやるのが一番良いんじゃないですか?

山本:
 実写はやりたいですね。ちょっと媒体変えたりだとか、うーん……だからそこまで頑なにアニメにこだわっているわけじゃなくて、アニメ文化を護りたいとは思ってないんですよ。自分のやりたいことができねえなぁっていうトコロだけなんですよね。ちょっと偉そうに講義にしちゃいましたけど。モチベーションはすごいパーソナルなところであの講義もしたので、アニメを守るんだ見たいな意識よりかは、僕はずっとバリエーションだって言ってるんですね。

 アニメーションはゆくゆくはお年寄りになったオタク層からもちろん子供まで、ありとあらゆる人間が、ありとあらゆるジャンルを見れる媒体であって欲しいと思うんです。だから『火垂るの墓』みたいな暗〜い話があっても良いし、『トトロ』があっても良いし、もちろん「萌え」があっても良いし、『君の名は。』があっても良い。それが一方にギュッと偏るっていうのが僕は一番危険視しているトコロですね。

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岡田:
 うーん……

山本:
 散らしてくれれば、あ、やったやっと俺のやりたいクソ暗い話が出来るっていうそれを望んでいるだけですね。どちらかというと。

岡田:
 じゃあ、アニメ・イズ・デッドっていうのは、ヤマカンにとってはどういう宣言なんだろうな?だって別に「これでアニメ作るのやめます!」っていう宣言じゃないんでしょ?

山本:
 ないですね。

岡田:
 今から、もう新作準備しているわけ…… なんですか?

山本:
 それはなかなかちょっと言えないんですけど。

アニメという文化が、溶けた世界で生きていくんだっていう話

岡田:
 言えないんだ。じゃあ、どういう宣言になるの? リセット? それともこっから先俺は、アニメを作るぞ!なの? それともお前ら向けのアニメは作んないぞ!宣言なの?

山本:
 それを言うんだったら、もう岡田さんの話に乗っちゃいますけど、そのアニメという文化が、溶けた世界で生きていくんだっていう話だと思いますね。アニメという文化がバァーンと枠組みというか城壁が取れて、ボーンと人が流出したその中で僕は生きていくっていう。城塞都市だったアニメはもう無いっていう。

岡田:
 えー、具体的にそれを現実の言葉にするとどうなるのかっていうと、アニメファンっていう人達がいなくなってしまって、そうではない個別の人の心に向けて作んなきゃいけないってことなの。

山本:
 むしろアニメファンっていう、ライトな層って言っても良いんだけど、アニメが好きだけども、リア充だし、彼女も居るし、最近本当に多いんですけど、他のファッションにもこだわるし、別の趣味もやるし、でもアニメが好きなんだよっていう人のためのアニメっていうものが、増えていくだろうし、増えていくべきだと思いますね。

 それが『シン・ゴジラ』であったりとか、『君の名は。』であったりとか、そのあとね、結構一般向け、一般層に訴えかける大作がちょっと続いていると思うんですよ。あの片渕監督の『この世界の片隅に』とかね。そういうアニメファンに向けての作品をもっと増やしたほうが良いんじゃないかなと思います。

岡田:
 『ズートピア』観ているような人達?

山本:
 うん、『ズートピア』ですね。だから、本当にそこにディズニーが入っても良いって、本当にライトな目線でアニメが見られるようになったんだから、そこに打って出ない手はないのかな?って考え方ですね。でもそれは、もう僕らの言っていたアニメでもないし、僕らはアニメオタクでもないんだね、っていう確認作業です。

岡田:
 その意味でいうと、もうあらゆるグッズを買いまくるような人って居なくなりつつあるよね。

山本:
 居ないです。

岡田:
 いわゆる腐女子の人が、『おそ松さん』グッズを買い漁るみたいなものは、最後のムーブメントみたいなもので、『君の名は。』を観ている中高生も『君の名は。』のグッズ買い漁ってないもんな。

山本:
 事実そうなっているんで、それを目の当たりにしたらもう往く先は一つしかないよねっていう確認作業ですね。『アニメ・イズ・デッド』っていうのは。

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