「オタク文化とラップが結びつくとは誰も思ってなかった」 ニコニコ動画黎明期に花開いたラップ文化をレジェンドが語り尽くす【らっぷびと×タイツォン】
ニコニコ動画が誕生して間もない2007年。コメントが画面に流れるという目新しい機能に注目し、いち早く作品の発表の場に選んだ人たちがいた。
次々と自作のラップを投稿し、若者の圧倒的な支持を集めるようになる彼らはこう呼ばれた。「ニコラッパー」と――。
そんなニコラップ界を牽引してきたラッパーが、”らっぷびと“と”タイツォン“の2人だ。2008年に投稿した2人の合作「オーディエンスを沸かす程度の能力」は、再生回数200万回に迫る大ヒットとなり、才能あるラッパーが集まる文化が生まれるきっかけとなった。
2016年10月に投稿された「オーディエンスを沸かす程度の能力Ⅱ」は、「8年前から来ました」と当時を知る人たちのコメントで埋まるなど、今でもその人気は衰えることを知らない。
ニコニコニュースでは「ニコラップ誕生10周年」を記念し、そんなレジェンド2人にインタビューを敢行。ニコラップ黎明期の歴史、知られざる制作秘話、そして現在も続くラッパー同士の交流など、盛りだくさんで貴重な話を存分に語ってもらった。
文/透明ランナー
企画・聞き手/野口裕太郎 ・荒波隼
ラップに出会ったきっかけ
――お二人にはまず、ニコラップを始める前のこと、そもそもラップをやってみようと思ったきっかけをお聞きしたいです。当時よく聴いていた人、憧れていた人、影響を受けた人などがいればお聞かせください。
らっぷびと:
中学生の頃にちょうどRIP SLYME、KICK THE CAN CREW、キングギドラがオリコントップ10に入るくらい日本で有名になって、ラップという文化があるんだなっていうのを知りました。最初は聞くだけだったんですが、高校1年の時に自分でも真似してラップの歌詞を書き始めました。16歳が時事を斬るみたいな。なんも斬れてないのにね(笑)。
そういう歌詞を書きつつネットで色々調べていたら、ネットラップというものがあることを知りました。「Underground Theaterz」というところでトラックを掲示板に上げる人がいて、それをダウンロードして自分のラップを録音して、もう一度その掲示板に載せるみたいな文化。アマチュアでも音源を作ってネット上で評価しあっている人がいるんだなというのを知って、そこに自分も参加してみたいと思ったのがきっかけです。
影響を受けた人は、やっぱりKICK THE CAN CREWのKREVAさんかな。
タイツォン:
え、そうなの? なんか意外。
らっぷびと:
最初はそう。そこからいろいろ聞いて、現在に至るまで自分の師匠と思っている人はRHYMESTER。この二大巨頭から影響受けていますね。
――憧れであり、影響を受けた存在なんですね。
らっぷびと:
RHYMESTERは初めてライブ見たときもうずっと泣いていましたから俺(笑)。
――タイツォンさんがラップを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
タイツォン:
僕は小学5~6年生のときにパソコンをいじるのが好きで、当時MSNメッセンジャーっていうソフトがあって、それでやり取りしていた高校生ぐらいのお兄ちゃんみたいな人がいたんです。
あんまり大きな声で言えないですけど、おすすめの音楽ファイルを何曲か送ってくれて、その中にZEEBRAさんのAKTIONをフィーチャリングした曲があって、それを聴いて「え、なんだこれ!?」と衝撃を受けました。今まで全く聞いたことのないジャンルだったので。
――未知との遭遇ですね。
タイツォン:
そう、すごく興奮してそっち系の曲をいろいろ漁っていったんです。そこからBUDDHA BRANDとかSHAKKAZOMBIEとか聴くようになって。憧れや影響の部分で言えば、餓鬼レンジャーのポチョムキンさんと、TWIGYさんにかなり影響受けていると思います。
らっぷびと:
クセが強いふたりだね(笑)。その前はどういう音楽を聴いていたの?
タイツォン:
俺、最初に買ったCDモーニング娘。とかだよ(笑)。
らっぷびと:
普通の小学生じゃん(笑)。
タイツォン:
ヒップホップっていうジャンルがあることすら知らなかったからね。
――ヒップホップ聴く人って、一曲に衝撃を受けて「なんだこれは」となって、そこから調べてはまっていくみたいなパターン多いですよね。
らっぷびと:
ヒップホップはたいていアルバムの中にフィーチャリングアーティストがいて、「この人の声が特徴的だったからCDも聴いてみよう」みたいな循環が生まれやすいんですよね。
――ラップづくりを始めるにあたって、歌詞やトラックの準備はどのようにしていましたか? またその時使っていた媒体などがあれば教えてください。
らっぷびと:
日本語ラップって当時は歌詞が検索してもネット上になかったんです。普通の曲はうたまっぷとかにあったんですけど。それでいろいろ調べていたら、有志が耳コピしたり、歌詞カードを見ながら打ち込んだり、それを今で言うWikipediaみたいな感じで載せているサイト「歌詞→HIPHOP系」を見つけたんです。そこのコンテンツのひとつが、さっき言った「Underground Theaterz」という掲示板だったんですよ。アマチュアでトラック投稿もよしラップしてもよしみたいな。
そこでトラックを自作で作っている人がいて、それを使わせてもらってラップしていましたね。そういうところでタイツォンや他のMCとかとも知り合ったりして、いろいろやってきたのがネットラップの初期なのかなと思います。
――Underground Theaterzで活動しているときから二人の名前はらっぷびととタイツォンなんですか?
らっぷびと:
いや、ふたりとも名前違いますね。僕が「風玉(かざだま)」で、こっちが「IGAKICHI(いがきち)」っていう。
――全然今と違いますね(笑)。後々どこかでふたりが会ったときに「あ、あの時の」みたいな感じになったんですか?
らっぷびと:
ニコニコ動画やYouTubeができる前に、2ちゃんねるでアニソンラップをやったときに「らっぷびと」に名前を変えたんですよ。そのあとニコニコ動画ができて、よく聴いたらこれIGAKICHIじゃない? となって、「あ、タイツォンって名前でやるんだ」というのはありましたね(笑)。
タイツォン:
それ全く俺も同じこと思ったんですよ。「こいつ風玉じゃない!」 って(笑)。
――タイツォンさんも歌詞やトラックの準備はらっぷびとさんと同じ感じだったんですか?
タイツォン:
僕もやっぱり自分でもラップやってみたいと思って、いろんなワードで検索して、ひっかかったのが「Alkaloid(アルカロイド)」というサイトでした。アップローダーがあって、トラックを何か上げる、ラップ乗っける、みたいなのがあって、そこで気に入ったトラックにとりあえず乗っけてみようというのが最初でしたね。
――その当時の録音環境はどういうものだったんですか?
タイツォン:
もうマイク直挿しですね。そもそも仕組みも全くわかってなくて、パソコンの裏見たらマイクのマークがあったから、「これマイク挿したらいけんじゃないかな?」って思って。
らっぷびと:
【※】SoundEngine使って。
※SoundEngine
ステレオ/モノラルな音声データ(標準ではwaveファイルのみ)を波形編集できる国産ソフトウェア。フリーウェアとシェアウェアのバージョンとがある。
タイツォン:
SoundEngineだよねやっぱり。
らっぷびと:
SoundEngineというフリーソフトがあって、今じゃ考えられないですけどミックスが手作業なんですよ。ミリ単位でずらしていかなきゃ合わないみたいな。SoundEngineはひとつの波形しか見られないから、録った声を切り取って、コピーして、新しくトラック並べてトラックの一番いいところで声貼り付けるみたいな。すごいアナログなめんどくさいソフトがあったんですよ。まあそれしかなくて、皆それを使っていたと思うんですけど。
――なるほど。ちなみに、Underground TheaterzやAlkaloidに曲をアップしたあと、聴いた人からの反響は何かありました?
らっぷびと:
掲示板にレスができて、「ここの韻がよかったです」とか、「ミックスが前より良くなってます」みたいなやりとりがあったりとか、アドバイスをいろいろしてもらったりしてましたね、
――その掲示板自体を楽しみにしている人たちというのもいるんですかね。
らっぷびと:
もちろんいたと思いますね。
タイツォン:
当時はそんな感覚は無かったけど、たまにライブで「Alkaloidで聴き専でいました」みたいな人もいましたね。
らっぷびと:
ニコニコ動画とかみたいに匿名でぱぱっとコメントできるような所じゃなかったんですよ。固定の人しかレスしないみたい感覚あったんで。なので「あの当時見ていました」みたいに言われると「いたんだ!?」ってなるんですよね。
――びっくりですよね。今はコメントしてくれることで、すぐそこに視聴者がいるっていう感じがありますからね。
らっぷびと:
今は再生数の伸びも見えますからね。その掲示板って再生数もダウンロード数も表示されていなかったので。ただやっぱり、いい曲があるとレスは伸びるし、いろんな人がコメントしている。
タイツォン:
レスを伸ばしたいというのがとりあえずの目標でしたね。
らっぷびと:
そうそう。「あ、有名なネットラップの人にコメントもらえた。嬉しい!」みたいな。
――その当時から有名な人って……。
らっぷびと:
もともと現場でやっているようなラップ歴がある人が、そこに流れ着いて音源を遊び半分で投稿してみるというのがあったので、はじめからめちゃくちゃ上手い人がいたんですよ。そういう人とかからレスもらえると嬉しかったですね。