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金正男「韓国、北朝鮮、日本、いつか世界の壁がなくなればいいのに……」 10年以上追い続けた記者の記憶に残り続ける言葉

 金正男氏の死に伴い、東京新聞編集員で『父・金正日と私 金正男独占告白』の著者である五味洋治氏が日本外国特派員協会で記者会見を行い、その様子をニコニコ生放送にて中継しました。

 10年以上取材を続けてきた五味氏だからこそ知っている、父親との関係性や北朝鮮へ寄せる思いなど「金正男氏とその死」をテーマに会見を行いました。


会社のデスクに置手紙を残してまで会いに行った

五味:
 ご紹介いただきました五味と言います。今日は日本語でお話しさせていただきます。今回の金正男さんの毒殺については、個人的にも非常にショックを受けております。私だけではなくて、私の妻も非常にショックを受けていて、昨日も夜に何回も泣いておりました。

 本の話もありましたが、本の出版を一番反対したのは私の妻です。それは2011年1月に、金正男さんと会ったときに妻が同行してくれたからです。当時、私は子供がいませんでしたので、もし金正男さんを取材してトラブルに巻き込まれたときに、私だけ行方不明になるのはまずいと思って、妻に率直に話をして一緒に行ってくれと頼みました。彼女は同意し、私が取材しているところを写真撮ってくれました。

 会社には取材のことは言わず、机の中には手紙を置いて行きました。万が一、私の行方がわからなくなったら、ここのホテルに泊まる予定だったと、この飛行機の便に乗る予定で、ここに行く予定だと色々な日程を書いておきました。金正男氏が来ない可能性もあったので、来ない場合は(妻と)2人で観光旅行をしようと思っていました。

五味:
 私がなぜそんなリスクを冒してまでマカオに行って彼に会ったんでしょうか。それは私が長年携わっていた北朝鮮報道に対する考え方からです。ご存じの通り、北朝鮮と日本は最も敵対している関係の国です。しかし、噂話や政府当局者の話が先行し、直接実名で語ってくれる人がほとんどおりません。そのため私は彼に実名で、写真を撮って、ビデオも撮っていいかときちんと確認した上で取材をし、それらを本人にも見せ、事前に原稿も見せて東京新聞の記事にしました。その後、金正男氏は勇気のある発言をして嬉しかったと。色々なところから、特に韓国からそういう連絡を受けたと言っていました。

 皆さんご関心があると思いますが、その記事が出た後、金正男氏から私に「北朝鮮本国から警告があった」とEメールがありました。ですから「これから政治に関することはしばらく話しません。でもあなたとの交流は続けましょう」と言っていました。

 その年の5月に北京で再開し、その前後も継続してEメールのやりとりをしました。そしてその年の12月に金正日総書記がなくなり、北朝鮮の将来に対する懸念、不安が高まりました。

 金正男氏には私がこれまで積み重ねてきた取材やEメールについて本にしてもいいかということについては許可を受けています。「今はタイミングが悪い。ちょっと待って欲しい」と言われたのは事実です。タイミング的に非常に微妙な時期ではありましたが、彼の思想や北朝鮮に関する考え方、人間性を伝えることこそ、北朝鮮に対する関心も高め、理解が進み、日本だけでなく北朝鮮と他の国との関係が改善されるという信念の元、本を出版しました。

父・金正日と私 金正男独占告白』五味 洋治 (著)

批判しただけで抹殺? その方法に焦点が当てられるべき

五味:
 彼の主張を簡単に要約すれば、北朝鮮の体制のあり方に批判的だったということです。最初には「権力の世襲は社会主義体制とは合わず、主導者は民主的な方法で選ばれるべきだ」と言っていました。「北朝鮮は経済の改革開放を中国式の改革開放しか生きる道はない」とも言っていました。この発言を報道したり、本にしたことで、彼が暗殺されたと皆様がお考えなら、むしろこういう発言で1人の人間を抹殺するというそちらの方法に焦点が当てられるべきでしょう。

 この3日間、英語圏、中国圏、韓国語圏から数百件の電話をいただきました。私は皆様方にお勧めします。私に質問して全ての答えを得ようとせず、ご自分で直接ソースに当たって、取材をしてみてください。それが北朝鮮を変える力になります。

 元々私が金正男氏に興味を持ったのは、2001年【※】、北京の空港で取材の途中偶然に出くわしたことからです。遊び人で女性関係も複雑でギャンブル狂でと言った色んな噂がありましたが、私が会った印象では非常に知的な方で、礼儀正しくユーモアもあって非常に落差を感じました。彼は金ファミリーの一員ですから、現在の北朝鮮の情勢について率直に話してくれるのではないかと期待し、それから7年間私なりの努力を続けて彼に接触を続けてきました。私もかなりのリスクを冒して彼と会いましたが、今私が賞賛したいのは彼の勇気です。彼が例えその後、命乞いの手紙を出したとしても、彼は彼なりの決心で現在の北朝鮮の体制に関する批判をしたんだと思います。

※2001年
会見の後半で、北京の空港で取材したのは2001年ではなく2004年と訂正される

韓国、北朝鮮、日本、いつかこんなふうに世界の壁がなくなればいいのに……

五味:
 批判ばかりではなくて、私は彼と会って一番記憶に残っている言葉を一つ紹介します。彼は日本に少なくとも5回来ています。東京の高級な飲食店で、お酒を飲むのが好きだと言っていました。そこには韓国系、北朝鮮系、一般の日本人もいて一緒に歌を歌い、酒を飲んで楽しんでいた。「いつかこういうふうにして世界の壁が無くなればいいと思ったものです」と話しました。

 私は今、日本の外交関係の記事を書くことがありますが、時々彼の言葉を思い出しながら記事を書いています。できれば彼の言葉をより多くの人に知ってもらい、現在の北朝鮮を変えていく力につながればいいなと希望しております。

 最後に、今回の事件についての見方に関する質問をたくさん受けます。正直に言うと、私がコメントする十分な材料がありません。推測で色んな可能性を話すことは、私が最も避けたいことです。昨日妻とも話しましたが、私が今やることは彼の死を深く悼み、彼の思い出を妻と共有し、さらに世界のあちこちに彼の友達と共有したいなということです。

 たくさんの取材の申し込みを頂きましたが、私の思いは今の言葉で尽きております。昔から関係のあるいくつかのメディアの方にはこれからもお話しますが、取材は基本的にOKすることはしません。ご了解いただきたいと思います。個人的な時間もありませんし、まだ私は心が非常に混乱していまして、まとまったお話ができません。

 そろそろ時間になりましたのでこのぐらいにしていただき、質問を受けさせていただきます。

――金正男は金正日がなくなった後の後継者の1人として名前が挙がった? ただ藤本健二さん(金正日の(元)専属料理人)によれば、正妻との子ではないから元々後継者になる可能性はなかった?

五味:
 私の聞いた範囲でお答えします。彼は9歳からジュネーブに留学し、20歳になる前に一旦帰国しました。そのときにお父さんの金正日さんと全国を歩き、経済的な、開発の状態を視察したそうです。しかしヨーロッパで見てきた社会のあり方と北朝鮮のあり方があまりにも違うため、意見が合わず仲たがいし、彼の生活は荒れ、最終的に北朝鮮を去ることになったと聞いています。その話からして、一時的にせよ、後継者としてお父さんから見られていたと私は判断しています。

――金正男氏の仕事は?

五味:
 私は彼に何回もどんな仕事をして生きているのかというふうに聞きました。彼はそのたびにはっきり答えませんでした。投資の仕事をしているというだけでした。ですからそれ以上の手がかりはありません。

――金正男氏は北朝鮮ではどんな存在?

五味:
 金正男さんの存在というのは、北朝鮮では忘れ去られています。ただ最近は、携帯電話の普及や国境地帯での行き来を通じて彼の存在や彼の発言について知る人が増えているそうです。

 日本で会ったある脱北者の人がこう言っていました。噂話で金正日総書記の長男が北朝鮮のことを批判していると、何か北朝鮮が変わるきっかけになるかもしれない。北朝鮮でその噂を聞いたときに希望を持ったと言っていました。ただそれが反体制運動につながっていたかというのはわかりません。多分なかったでしょう。それほど重要な地位にあるなら1人で、空港に出かけたり、海外をあちこち行ったりするという行動はしないと思います。金正日さんと金正男さんが経済視察した時期は、多分1990年代前半だったと思います。

――金正男氏とはどのくらいやりとりとしたのか、また彼はどの言語を使えたのか?

五味:
 最初の出会いは、2004年、北京国際空港で偶然目撃したことです。2010年10月に再び彼からメールをもらい、2011年1月にマカオで会い、2011年5月に北京で会い、最後の連絡は2012年1月ということです。計7時間ほどお話を聞き、150通ほどのメールをやりとりしました。

 言語のことですが、フランス語、英語、ロシア語、特にフランス語は得意だと言っていました。日本語は日常生活程度、中国はあまり得意でないと言っていました。

――誰が暗殺命令を出したのか? また金正男氏と中国との関係は?

五味:
 暗殺命令を誰が出したかいうところについて私が確実に言える証拠がありません。中国と彼との関係についてお話します。彼は中国に家があり、中国にいる間には中国の公安当局のボディーガードがついていると認めていました。私が会ったときには中国人ドライバーの車で出迎えを受けていました。本人も中国から保護を受けていると言っていましたが、ここ数年はそういう保護が煩わしいと言っていたと本人の友人から聞きました。

 ここ数年、彼が東南アジアを行き来していたというのは私も確認しております。そのため中国と金正男さんの関係は必ずしも順調でなかったのかもしれないというふうに私は見ております。まだ中国はこの事件について正式な反応を見せていませんが、それが戸惑いの証拠だと思います。中国と北朝鮮は朝鮮戦争を戦った同胞・同盟関係ですが、この事件で、ますます遠ざかるんではないかと関係が悪くなるんではないかと感じもしています。

――金正男氏は金正恩氏と会ったことがあるのか?

五味:
 金正男さんは金正恩さんとは会ったことがないと言っていましたが、金正哲さんとは海外で会ったことがあると言っていました。金正恩さんとは会ったことがないので性格についてコメントできないと言っていました。これは私は当初信じられませんでしたが、多くの脱北者の人たちが会っていないのではないかという話はしていました。

――世界中のジャーナリストが金正男氏を追っている中で、なぜ五味さんはやりとりできたのか。彼は、五味さんを通じて誰に何を訴えたかったのか。

五味:
 それは非常に簡単なことなんです。金正男さんは2001年に日本に不法入国しようとして摘発されてから完全に後継者レースから外れたと、もう政治的意味はない。彼を追いかけても何も意味がないとほとんどの人は考えました。

 私は2004年に彼と偶然会ってから彼の魅力というか力というか……、彼は何か話してくれる人で、それが現在の北朝鮮に影響を与えるんではないかという予感があって、ずっと自分の時間とお金を使って、彼を取材し続けました。あちこち行きました。香港、マカオ、北京、シンガポールにも行きました。自分の時間をほぼそれに割いてきましたし、記事にもしてきました。

 そして、彼は平壌で私の記事を翻訳して読んだそうです。自身に関心を持っているジャーナリストがいるということを知って、彼は僕に連絡してきたわけです。多分その時には、彼に対する真摯な関心を持っているのは僕だけだったんじゃないでしょうか。記事からもそれを感じてくれたと思います。

 多分彼は自分の危険を感じながらも、私や他のメディアを通じて自分の意見を平壌に伝えたかったと思います。2011年1月にマカオで会ったとき、彼は私のインタビューを受けるときに全身に汗をかいて、非常に苦しそうな様子で答えていました。彼も自分なりにこの発言がどんなふうに受け取られるか感じていたのかもしれないと思うと心が痛みます。

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