任天堂 VS エポック社の一騎打ち。『ファミリーコンピュータ』『カセットビジョン』など、家庭用ゲーム機の誕生と競争の歴史をまとめてみた
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『ファミリーコンピュータ』爆誕。任天堂“一強”の時代へ
その後も、シェアを広げ続けるエポック社。各社が様々な策を講じるも、カセットビジョンの牙城を崩せず。「もはやこれまでか」と諦めかけていたその時、とある企業が時代を揺るがす“革命”を起こすこととなる。
1983年、言わずと知れた任天堂の据置きゲーム機『ファミリーコンピュータ』の誕生である。
“ファミコン”の愛称で呼ばれる当ゲーム機は、当時は革新的だった「十字キー」をコントローラーに搭載し、本体も高性能の8ビットCPUを内臓、14,800円の低価格を実現し、爆発的な売り上げを記録した。特に、1985年に発売された『スーパーマリオブラザーズ』は世界的なヒットとなり、ファミコン本体の売上にも大きく貢献した。これを受け、最終的な出荷台数は、日本国外版にあたるNESも合わせて、全世界累計で約6,291万台を記録した。
爆発的なヒットとなったファミコンは、これまで王座にいたカセットビジョンのシェアを遂に奪還。
その後も、新たに参入したSEGAの『SG-1000』や『SC-3000』、トミーの『ぴゅう太Jr.』、エポック社の『カセットビジョンJr.』の追随を許さず、王座に君臨。80年代の家庭用ゲーム機の覇権を握ったのである。
『テレビテニス』を皮切りに、猛烈な勢いで世間に浸透していった家庭用ゲーム機は、発売当時、熾烈な市場争いを繰り広げていたのである。
なお、動画ではより詳しく、当時の状況について紹介されている。フルで見たい方はコチラ。
―参考動画―
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