「まどマギ」ほむほむのルーツは80年代にあり!? “ジャパニメーション”の歴史を「パーツの描かれ方」で振り返る【語り手:マンガ家・山田玲司氏】
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『Bバージン』、「絶望に効くクスリ」シリーズの作家として知られる、マンガ家・山田玲司氏(@yamadareiji)によるニコニコ生放送「山田玲司のニコ論壇時評」が放送されました。
今回の放送は「パーツの描かれ方」の系譜を切り口に、手塚治虫、ディズニーから『けものフレンズ』まで、“アニメ絵”の歴史を一気に振り返るという大変興味深い内容に。
長大な“ジャパニメーション”の歴史に興味のある方は必見です。
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山田氏、テンション高めに講義開始
山田:
やるか!
乙君:
どこから。
山田:
ぶっちゃけね! テンション上がりますけども、こんな楽しい仕事はないっすよ!
一同:
(爆笑)。
山田:
それは、それはそうなのよ。もうだってさ、10代20代の頃からさ、延々とこんなことばっかりファミレスで話してたんだよ。
乙君:
はいはいはい。
山田:
で、漫画家じゃん。きたがわ翔とかと友達なわけだよ。
そうすると、もうなんつうのかな、この時期の漫画で、こういう表現が出てきて、こういうアニメが生まれてきたよね、っていう話とか、誰々が出てきたせいで、鼻の表現変わっちゃったよね、みたいな。
乙君:
うん。
山田:
この鼻の描き方知ってる? みたいな、描きながら散々やってて。漫画家が見てたら、山田何言ってるんだ? ってことばっかりですよ、今日は(笑)。
だから俺なんかが語っちゃっていいのかなっていうくらい。浅い感じに思われる人と、全然それ知らなかったっていう人と2通りだと思うんで、まあ色々とやっていこうかなと。先に言っちゃいますけど。30年間の話をするのに、1時間なんか無理です。
一同:
(笑)。
山田:
これは1年間かかる講義で、1年間の枠で大学に通ってもらってようやくちょっと伝わるかなくらいの話を、ざっくりとクロニクルでやります。その時に平成という強引な括り方をしてますが。
乙君:
はい。
山田:
あー、平成というとアニメ、アトムが出てきてね、TVアニメなるものが生まれてから、もうクロニクルで言うと、大きなトピックは、主に昭和ですからね。
乙君:
ああそうなんだ。
山田:
昭和で発芽したものが、平成に変化していく。そして平成のある時期からは、もうループになっちゃってる。テクノロジーだけが先に行って、表現は非常に脆弱なものになっていくという。
本当に豊かだったのは、60年代、70年代、90年代くらいで、そこをピークにして段々先細っちゃってるのが、内実なんで。だから実際の所、どんなビッグバンが過去に起こってて、それの影響下にあるのがこの作品です。みたいな話をするしかないという。
乙君:
ほうほう。
山田:
で、じゃそれでざっくりと大きく分けまして、ジャパニメーションとは何か? っていう話をする。
ミッキー+ピノキオ=鉄腕アトム?
山田:
ジャパニメーションは、主に手塚治虫が作った。
乙君:
出ました!
山田:
そしてオサムはディズニーからもらってる。これはもう強引な仮説として出します。これは諸説あるんですが、ディズニーとオサムからスタートしたとしますわ。そうするとそれぞれにルーツがまたあるわけ。
実を言うと、ディズニーみたいなアニメを作りたいと言って手塚先生がアニメを作ってるんです。鉄腕アトムって、ミッキーマウスとピノキオが足されたもので。それをアレンジして手塚キャラになっているという。ただし、ものすごくわかりやすく言いますと。
乙君:
あら! あらら。
山田:
背後霊のように、アトムの後ろには、こいつがいるわけですよ。そうです、浮世絵です! 浮世絵って何かっていうと、立体ではないんですよ。要するに線で起こしていて、それぞれが分離独立してるんです。
だから、「福笑い」が出来るわけですよ。目だけ、鼻だけ、口だけっていって、輪郭があって、それにペタペタ貼っていくみたいな。
乙君:
ホンマや! 福笑いって日本しかない!
山田:
ないっす。何故かというと、西洋絵画は、光と影で、線ではないからです。
乙君:
ああ! ああ!
山田:
もちろん線で描いていた人もいるし、近代絵画になっていくと浮世絵の影響を受けて、大きく表現主義的な変化をするわけだ、印象派以降は。
乙君:
なるほどなるほど。ようやく気づくんですよね。
山田:
そう。で、ミッキーマウスなるもの、つまりディズニーは最初、西洋絵画の文化圏に生きていて。最初は漫画なんだけど、すぐにアニメーションをやろうとする。意識としてあるのが、立体なんです、この人は。
乙君:
へえ。
山田:
で、こっちの手塚先生は、意識としてあるのは線なんです。2D対3Dの戦いっていうのが、ここからスタートしてるんです。
ただし日本人は手塚治虫だけじゃないんだよ。後に、手塚治虫を超えるような、3Dの脳みそを持った世代が登場していくという流れになっていく。
まあ最初はこれがこう分かれちゃってるというふうに、解釈してくれればいいでしょう。まずはこのブロックがあった後に、次のブロックです。
60年代に台頭した描画スタイル
山田:
手塚先生は口癖のように「僕の絵は丸から発想する」言ってました。「丸が描けなくなって辛いんだ」とインタビューでも言ってましたけど。
手塚治虫に影響を受けて漫画家になったのが、トキワ荘世代の3人組。彼等の絵は、シルエットにすると丸なんです。先端が丸くなります。
乙君:
ほんまや!(笑) 誰とは言わんけど、もうわかるという(笑)。
山田:
初期の「スタジオ・ゼロ」が作っていたアニメで、基本的に先端が丸くなっているという。このシルエットのルーツは、“丸から発想する”彼らの師匠にあるんです。
乙君:
はいはい。
山田:
そして60年代、手塚先生と同時期にいたのがこの方です。
乙君:
ああ! 水木先生。
山田:
丸いのは親父だけなんだよ(笑)。
乙君:
(笑)。
山田:
あとは違うんです。同時期にもう一人いた、さいとう・たかを先生の『ゴルゴ13』ですね。カクカクじゃないですか。
そしてこれ、最大のライバルだった白土三平の『カムイ伝』ですけど、これも丸くないんです。タッチが違ってて。
宮崎駿の登場
山田:
この2つの派閥で抗争が繰り広げられるんだけど、60年代70年代になると、そこに東映さんが入ってきて。
で、東映にいたのが宮崎駿。だから後のジブリ派閥になってくるんだけど、奴らはニュートラルにな立ち位置になってる。だから、熱すぎる若者文化……なんというか、リアリズムなんだよ。
戦争行ってるか、学生運動やってるかが、こっちブロックにいる。リアルな劇画の世界で。
乙君:
なるほど。
山田:
そしてこっちは戦後、「手塚先生〜」って言って憧れて上京してきた連中。
まあ子供の時に戦争を体験している世代もいるんだけど、そういう感じに分かれていくっていうのが、まず第2ブロック。この辺りから始まってって、そして70年代、まだ平成入りません(笑)。
乙君:
はい、まだ平成行きませんね。そうなると思った。
山田:
ここからパーツの話がようやくしやすくなる。何故ならば、ヨコ目とタテ目の分割が始まっていきます。
で、明らかな横長の目っていうのは、八代亜紀さんとか、和田アキ子さんの若いころとか、要するにツケマ第1世代。
乙君:
ああ、もうブワーなってる頃ですね。
山田:
ブワー、ブワーですよ。
乙君:
70年代。
山田:
あとこの後れ毛ですね。まあこれ流行なんですわ。要するに、この辺りから当時の流行の髪型、化粧、ファッションみたいなものが、漫画の中に導入されていって、それが同時にアニメの中に入っていったと。
だから80年代アイドルそっくりの、あだち充が登場するわけだよ。
乙君:
はあー!
山田:
だからこの髪型っていうのは、当時の何だろうな、小泉今日子さんとか、石野真子さんとか、あの辺りが。
乙君:
ああ石野真子だ!
山田:
ちょっとモッサリした、今ちょっと流行ってるね、前髪重めスタイルですね。これは縦目なんですよ。
この『Dr.スランプ』、『マカロニほうれん荘』などの縦目の系譜っていうのは……実をいうと、このまま縦目が寄ると、皆さん大好きな『けものフレンズ』のサーバルちゃんになってきますね。
乙君:
ほお!
山田:
系譜というのはこっちなんです。こっち側は、「週刊漫画ゴラク」とかあっちの方には残ってます。あちらの方に。
乙君:
ああ。あっちの方に行っちゃうんですね(笑)。
山田:
あちらの方に住まわれてます。
乙君:
(笑)。
山田:
滅んだわけじゃないんですが、住み分けが行われまして、70年代カルチャーとして残ってるという。
乙君:
はいはいはい、そしてそして。
山田:
それで細かい話します。
乙君:
はい。細かい話行きました。