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「マンガ作品の第一話として、100点満点の出来」評論家が『空手バカ一代』第一話を大絶賛する理由って?

自らの行動をもって反論していく主人公

岡田:
 もう一度ニューヨークの夜景を見せたあと、次のページではいきなり明るい太陽みたいなものが映り、場面転換となります。「太陽は中天に高くギラギラとかがやいていた……。1954年7月21日、ここはシカゴの野外競技場……”コミスキー・パーク”である!」というナレーションが入ります。

 うまいのがこの見せ方です。真夜中のニューヨークの薄暗い部屋から、急に太陽が中天高く輝く野外競技場に移る。ほかにだれも見てないような密室から、視界全体にびっちりとアメリカ人の観客に埋め尽くされた場所に舞台が移るという、この場面転換の鮮やかさ。 こういうふうに、ポンと場面を転換するんです。

 そして、さっきの地下室の第一声として「あんたはスーパーマンと聞くがね」と言わせることで、読者に彼はスーパーマンなんだと思わせたのと同じように、ここでも決めゼリフみたいなものから入ります。「マス・オーヤマ! クレイジー! マス・オーヤマ! クレイジー!」という観客の人々の叫びです。

岡田:
 こんな言葉を本当に放送していいのかわからないんですけど、「
人間が素手で猛牛と戦おうなんて……! おまえは日本の病院を脱走して、アメリカへ来たのかっ」と観客に言われています。ここらへんの不自然なセリフ運びというのは、連載当時はもちろん日本の精神病院とか、キチガイ病院と書いてあったのを、写植を貼り換えて修正しているからです。

 さっきは奇跡なんて起きないという決めつけに対して、主人公が実際の行動を持って反論するところを見せました。つまり、ここでも「マス・オーヤマ! クレイジー!」に自らの行動をもって反論するという流れです。

従来の漫画を超えるための見せ方

岡田:
 いよいよ牛との勝負が始まります。ここからの対決シーンも、「牛は男を見つけるや猛然と砂煙をあげておそいかかった!!……。ただの漫画なら迫力をもった画面でそうなるだろう……。しかしほんとうの牛はそんな行動には出ない……。(中略)ゆっくり弧をえがくように大またにかけながら、距離をつめる……」みたいに、やはり図解の説明口調っぽいんです。

 そして「ひゃ~っ、ありゃ五百キロ級の大物だあ!!」「警察はなにしてる!?」と、さっきまで「クレイジー!」とはやし立てていた観客たちが、今度は急に心配してくれるんです(笑)。「牛はふたたび立ちどまり……(中略)もっともおそろしいのがつぎの瞬間なのだ!」と牛が突進して来ます。

 ここらへんは説明ゼリフの山なんですけども、ここではただ状況を説明するだけじゃなく、見つめる観客たちの感情表現こみで載っけているから、あまり嫌な説明っぽくならないんです。むしろ、見ている人間のワクワクドキドキ感だけが高まる。僕はこれ、なかなか良いシーンだと思っています。

岡田:
 「
つのをつかんだぞ!」「あのクレイジーは牛と力くらべをする気かっ」と、牛と角を掴んだマス・オーヤマがにらみ合いになります。実はこのあとで、牛の角を空手の手刀で折るという見せ場があるんですね。

 そのクライマックスを見せるために、読者の注意を牛の角に集めたいのです。だから、まず角を掴むという画を見せて、次に角を掴んだというセリフをわざわざ言わせている。そして、角を中心にマス・オーヤマがにらみ合うコマを作っている。

 この見せ方は本当にうまい。この漫画はこれまでの漫画とは違うんだからと編集者からダメを出されて、何回も何回もリテイクしないとこんな完成度の高い第1話は描けないんです。

漫画のセオリーを無視したコマ配置を多用

岡田:
 一生懸命、牛の角を掴むマス・オーヤマ。しかし、ここで転んでしまう。「死んだっ!!」というセリフのあと、牛が大山のうえを通り抜け「いや、すりぬけたんだ!」「また牛がくるっ!!」と言うと、ここでマス・オーヤマが空手チョップを繰り出すために手を上げます。

 この掲げられた手が太陽と重なります。このシーンの最初に見せた中天高く上った太陽です。そして、上がった手は「ドリャーッ」というかけ声と共に牛の頭に叩きつけられます。そして、牛の角が折れる。これをページの縦を丸々使った縦ゴマで見せているんですよ。

 パンチを振り下ろすときも、空手チョップを振り下ろすときも縦ゴマだし、折れた角が宙を舞うのも縦ゴマで、もう本当にめちゃくちゃなんですよ。まず縦に読ませて、次のページをめくったらまた縦ゴマなんて、漫画のセオリーには絶対にないんですけど、ここはこのシーンを描きたいからやっているんです。

岡田:
 マス・オーヤマの手刀によって折られ、空高く舞い上がった角を、みんなはいつの間にか目で追っている。そして、ズンという音とともに牛が倒れる。「ミラクルだあっ!!」「牛を……!! 五百キロの猛牛を……!! 素手でっ!!」という言わなくてもいいセリフを言いながら観客たちが騒ぎ出し一転、絶賛ムードになる。

 その絶賛のクライマックスで出てくるのがこれです。ゴッド・ハンド(神の手)!!」というふうに観客の一人が称えるんですね。このコマの手前にあるのは、俺は無事だと観客に手を振ってアピールしているマス・オーヤマの手。それを見てゴッドハンドと称えたのは、東洋人と同じようにアメリカでは差別されていて、自分たちの実力でのし上るしかない黒人

まず、彼が正直にマス・オーヤマを絶賛するんです。つまり、アメリカという白人社会の中での差別構造というのをちょっと匂わせながら、まず真っ先に絶賛してくれたのが黒人であり、黒い肌の中でも唯一白い手のひらの部分を見せて、ゴッドハンドと言わせている。このコマを入れることによって、シーンの”本当くささ”というのを増加させているんです。

 さらに、「ニューヨーク・ギャングとの対決はアメリカで発行されている空手柔道などの東洋武術の専門雑誌『ブラックベルト』に……。猛牛殺しの記事はおなじく『ブラックベルト』および世界的有名な権威をもつ『ライフ』誌にそれぞれ報じられていた……」というナレーションが入ります。

 梶原一騎は本当に権威が好きですね。なにかというと権威と付けるんです(笑)。これは実話なんだということのダメ押しに、記事が掲載された雑誌名まで出してちゃんと説明しています。

権威ある存在に「すごい」と語らせる

岡田:
 舞台はまた飛びます。またもや縦ゴマで、「1959年――東京……内幸町東京中日新聞社……編集局『運動部』」と。これも本当に実録物っぽい語り口です。「当時、わたし(梶原一騎)は(中略)スポーツライターであった。まだ劇画の原作には手を染めず」と新聞社の中に視点が移ると、今度は作者である梶原一騎の話になるんです。

 このシーンにより、今までの話を梶原が中日新聞の記者に話しているシーンとわかります。「マス・オーヤマかあ……聞いたことないなあ。えーっ、ライフ誌にのってた?」とびっくりされるんですけども、しかしマス・オーヤマについての話はここで終わってしまいます。

 そして「空手といえば、力道山でしょ。書くんだったら力道山のことを書いてよ」というようなことで、梶原一騎は当時の大スターだった力道山の元へ取材に行くことになります。この時点では、まだマス・オーヤマは出てこないんです。いきなり出すのではなく、まず権威ある存在が、大山倍達はどんなにすごい男か語るという説明をゆっくり積み上げていくんです

岡田:
 力道山の所に行くと、明るい力道山は、「勝った! いやってほど勝った!!」と自分の話を聞かせてくれます。本人はそんなセリフは言ってないんだろうけど、いかにも本当に言ってそうなセリフですね(笑)。

 ここで力道山は「今までいろんなやつと戦って勝ったが、タム・ライスという男に俺の空手チョップを封じられ苦しんだ。それだけが唯一の負けた悔しい記憶だ。あいつはそのあと、“空手殺しの赤サソリ”と名乗っていたところを、俺よりもっとすごい空手使いに倒されたんだ。いやあ、世の中にはすごいやつがいるもんだ」というような話までしてくれる。

 それを聞いていた背広姿の梶原一騎が「力道山をやられた敵をたった一撃でたおした男がいる……!!」と驚いて聞き返します。「もしや、その”空手の鬼”はマス・オーヤマ……という人では……?」「そのとおり、マス・オーヤマですよ!!」。ここらへんの誘導もうまいです。

 「日本の空手界ではなぜか知られていない、おそるべき”空手の鬼”」と、取材の帰り道で独り言をこぼす梶原一騎。「――大山倍達――『神の手』といわれるまぼろしの超人は、まだ見ぬわたしの胸になぜか(中略)きびしい孤独の影をひいて……やどった!」と、これが第1話の最後のページなんです。

漫画の見本ともなる手法が詰まった『空手バカ一代』

岡田:
 この『空手バカ一代』の第1話というのは、構成が本当に優れているんです。まず、当時としては世間的に無名な人の見せ方として、最初にこの話は実話であるという売り文句から始めるんです。いわば、寄ってらっしゃい見てらっしゃいという感じの語りですね。

 次に絶体絶命の事件を見せて、そんな中を戦うことで生き延びたと見せる。さらに、話の舞台を地下室から数万人の観客が見ている明るい場所に移して、また見せる。こういう話をただ伝えたいだけなら、そんなことがあったというシーンを挟むだけで済むはずなんですよ。

 でも、そうせずに数万人の観衆が見ている中で実際に起きた事件として日付まで特定して克明に見せた。こうやって信憑性を上げていっているんです。そして取材に行った先で、力道山にたまたまその話を聞いたところ、あいつはすごいと言ったというシーンを見せる。当時の大スターだった力道山の名前を出すことで、さらに説得力を上げています。

 ここまで見せたうえで、マス・オーヤマはなんてすごいやつなんだということで、第2話に繋げているんですね。第1話から第2話への怒涛の展開で、漫画というのは、こうやって見せるのだという見本みたいな出来なんです。

岡田:
 作画を担当したつのだじろうというのは、さっき話したようにもともとは子供っぽい画を描く人だったんですけど、この漫画を描くために劇画タッチの絵を開発しました。そのおかげで、後に『うしろの百太郎』とか『恐怖新聞』とかのオカルト漫画を描くようになります。

 彼が、今やオカルト漫画の専門家になったのは、もともとオカルトが好きということもあるんですけど、やはりこの『空手バカ一代』を描いたからだと思うんです。

 この作品の中で、どうやって読者にこの話を信じさせるのかという手法を研ぎ澄ませていったからこそ、後にオカルト漫画を描いたときにも、それまでの単なるホラー漫画と一線を画すような“実際にあった話”としての恐怖というのが描けるようになったと思うんですね。

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