武豊&羽生善治、2人のレジェンドが32年ぶり対談 目標は「凱旋門賞制覇」「藤井二冠とタイトル戦」など貴重なトークを展開【対談全文】
競馬界のレジェンド・武豊氏、将棋界のレジェンド・羽生善治九段の2人による32年ぶりの対談が、日本中央競馬会(JRA)協賛のもとニコニコネット超会議2021で実現。
「超レジェンド対談」と題した番組は、ニコニコ生放送で中継され約14万人が視聴、Twitterでは「#超レジェンド対談」がトレンド入りをするなど、2人天才の対談は大きな注目を集めました。
本稿では、「長い現役生活で経験した天才ならではの苦悩」「今後の目標」「これまで一番驚いたハプニング」などのトークをはじめ、2人の対談の内容を余すところなく紹介します。
▼番組はこちら▼
※アカウント登録不要でどなたでもタイムシフトを視聴可能。(視聴期限は2022年4月27日23時59分まで。スマートフォンから視聴する場合、ニコニコ生放送アプリのインストールが必要)
※本記事はニコニコ生放送での出演者の発言を書き起こしたものであり、公開にあたり最低限の編集をしています。
30年以上、最前線で活躍し続ける2人
小籔千豊:
お互いがご活躍されているところは見聞きしていたとは思います。
32年ぶりの対談ということで、改めて武豊さんは羽生さんのご活躍をどのように見られていましたでしょうか?
武豊:
歳も近くてプロデビューもほぼ同じタイミングだったと思うんですけど、本当に天才だなという思いでずっと拝見させてもらっています。
羽生さんの活躍の報道とかも見させてもらうと、すごく励みというか勇気をもらっています。
小籔千豊:
なるほど。羽生さんは武豊さんのご活躍をどのように見られていましたでしょうか?
羽生善治:
もちろん最初にお会いした32年前からもうすでに大きな実績を残されていたんですけど、それから30年間ずっと変わらず活躍し続けていて、武さんだけ時間が止まっているんじゃないかという感じをさせるぐらいすごい活躍で。
どうしたらこんなにずっと一線でいられるのかというのは、不思議というかただただすごいなというふうに思っています。
武豊:
いや、それはそのまま羽生さんに言いたい言葉ですよ(笑)。
小籔千豊:
僕ら関係ない一般人から見たら「アンタらどっちもやから!」って全員多分ツッコんでると思います(笑)。
三十数年はずっと小さい困難の連続
小籔千豊:
そんなお二人にお伺いしたいテーマがありまして、まずは「困難を乗り越える力」についてにお伺いしたいなと思います。
僕らから見ると、何の困難もなく、華々しい記録、結果を残し続けているお二人かなと思うんですけど、きっとご本人からすると天才なりの困難や壁なんてものがあったのかなと思います。
長い現役生活が全て順調だったわけでもないのかなというふうにも思いますがいかがでしょうか?
武豊:
困難でもいろいろ大きさがあると思うんですけど、小さい困難はもう毎週のようにあります。
三十数年ずっとその連続だと思うんですけど、今思えばあの頃がちょっと大きい困難だったのかな~とかっていうのはありますね。
小籔千豊:
それはいつ頃でしょうか?
武豊:
2010~12年とかは確かにちょっとしんどかったですね。
小籔千豊:
結果が自分の思った通りに出ない時期があったということでしょうか?
武豊:
そうですね。勝ったり負けたりの連続なんで多少は「こういうこともあるかな」とかはあるんですけど、あまりにも良い結果が出ないことが続いたりすると、流石にへこむというか「ん~キツイな~」とかそういうのはありますね。
小籔千豊:
それが数年間続いたと。武豊さんの場合は本当に名馬に出会ったりということもあったと思います。
やっぱりその困難があったとしても、「あの馬に乗れた」「あの馬がいるから頑張る」みたいな部分もあるんでしょうけど、そういう時期には心の支えとなってくれる相方みたいなのにもちょっと恵まれなかった部分はあるんでしょうか。
武豊:
いや、ん~。騎手一人ではなかなかこう何ていうんですかね、状況がいっぺんに変わるということは難しいのかなと思うことはあったと思います。
しっかり現状をこう見て少しでも状況が良くなればいいなという感じで、毎日やることをやっていました。
小籔千豊:
なるほど、じゃあ「今までとは違うぞ今年は」みたいなことを続けてらっしゃるときにも、ある程度は「辛いな」と思いながらも、「目の前のことを頑張ろう」「いつかは好転するだろう」と思っていたということですか?
武豊:
そうですね。はい。
小籔千豊:
なるほど。
1年に7回も8回もカド番を経験していると慣れてくる
小籔千豊:
では、羽生さんはいかがでしょうか。長い棋士人生だったと思うんですけども、「困難に直面したな」と思った時期、出来事などありますか。
羽生善治:
そうですね、最初に思い浮かぶのは19歳で初めてタイトル取ったときのことです。
その翌年には初防衛戦があって、今まではもう若さの勢いというか、それに乗ってただがむしゃらに前に進むという感じだったんですけど、初めて守る立場というか防衛する側に回って負けたら何か失うという恐怖心というかプレッシャーみたいなものを感じたシリーズでした。
第三期竜王戦だったんですけど、それが非常に印象に残ってます。
今から振り返れば当たり前なんですけど、当時はまだ二十歳で何もわかっていなかったので、カド番【※】って言うんですかね、そういうすごく追い詰められる感じって言うのは、やっぱりよく覚えています。
※カド番
タイトル戦のような対局数が定められている「番勝負」において、あと1敗すると番勝負敗北になる状況
小籔千豊:
なるほど。守るものが大きくなって、それを守らないといけない立場になったことないけども、初めてなったとき、やっぱり焦る気持ち、初めての感覚みたいなものがあったということですね。
羽生善治:
そうですね。前に向かって行くときと、守る側のときの気持ちって全然違っていて、それは経験してみて初めて分かりましたね。
小籔千豊:
なるほど。
羽生善治:
でもだんだん人間って結構慣れっていうものがあるんでカド番も、1年に7回も8回もやっているとだんだん慣れてきます。
それは良い意味なのか悪い意味なのか、ちょっと緊張感を持った方がいいのかもしれないですけど、そういう感じになってくるってことは、この30年間ではあったかなと思います。
小籔千豊:
そうですね。その後、羽生さんは守る方の経験の方が長くなってるわけですもんね。
羽生善治:
そうですね。ただ将棋の世界の場合ってちょっと変わってるところがあって、例えば片方はもう一勝でタイトルを獲れるけど、もう一方ではあと一回負けたらタイトルを失うみたいなことが、結構同じ一週間の中にあったりします。
そうすると心境の中がわけがわからなくなってくるという変な状況になることはあります(笑)。
小籔千豊:
そうかそうか。なるほど、大変ですよね! そんなタイトル戦を経験している人っていないですもんね。
競馬も将棋もシミュレーション通りには進まない
羽生善治:
私も数多く対局をやっているつもりなんですけど、武さんは騎乗が2万回くらいでしたっけ?
武豊:
そうですね。2万回以上ですね。
羽生善治:
それで約4200勝ですよね。自分の感覚からすると、ちょっと信じられないような試合数をこなしているように思います。
武豊:
いや、でも負けの方が圧倒的に多いです。だから負けに結構慣れていますね。
羽生善治:
でも、レース前に「今日は行けるぞ!」とか、そういう手応えみたいなものって長いことやってくると、だんだんわかってくるとかそういうことないんですか?
武豊:
そうですね。「今日は行けるんじゃないかな」って思うときはあるんですけど、その通りの結果にはあまり繋がらないことも多いですね。
羽生善治:
例えば、事前にいろんなシミュレーションみたいなものとかもすると思うんですけど、やっぱりシミュレーション通りにはレースはいかないんですか?
武豊:
あ~、いかないですね! ほとんどその通りになることは少ないですね。
まず自分自身が相手というか乗る馬もいますし、他の馬と騎手がいるのでこれはなかなか難しいというか読めないですね。
羽生善治:
ずっと調教で乗っていて馬と意思疎通というか「こんなこと思っているのかな」「こんな気分なのかな」とか、そういうのはわかったりするんですか?
武豊:
一応、調教とかレース前とかスタートまでの20分間とかその馬に乗っているんですけど、なかなか馬は話してくれないので……。
羽生善治:
そうですか(笑)。
武豊:
わからないですね! 打ち合わせできればレースもすごく乗りやすいと思うんですけど(笑)。
羽生善治:
なるほど、面白いですね(笑)。
じゃあ馬の方も結構変わったりするんですか、気分が変わったりというか……。
武豊:
本当にそうです。馬が考えていることとかは、わかっているのかどうかがわからないですね、自分自身が。
羽生善治:
あ~そうなんですか。へぇ~、なるほど。
武豊:
いや難しいです、本当に。
羽生善治:
棋士の場合もいろいろ事前に考えたりするんですけど、ほとんど当たらないですね。
武豊:
え、そうなんですか?
羽生善治:
気休めみたいなもんですよね。事前にこういう感じでいこうとか思っていてもそうなることはほとんどないです。だからと言って何もしないわけにもいかないですし。
武豊:
いやいやすごく興味あります。棋士も最初の方は考えていますよね。
羽生善治:
ええ。最初の方は一応、定跡というかセオリーみたいなものがあるので、その通りというかその前例に倣った形でいくことが多いんです。
でも、大体途中からその前例から離れちゃうと後はもう出たとこ勝負というところはあります。
将棋棋士は勝っても負けても自分が全て
羽生善治:
ちょうど武さんが怪我からちょうど復帰されるということで、実は私、10代の頃に一回骨折したことがあったんです。
ただその間ももちろん休むことなくずっと普通に将棋を指していたので、棋士で良かったなと思うということがあって、やっぱり肉体を使う競技は大変だなと思いました。
武豊:
どこを怪我されたんですか?
羽生善治:
右手を骨折していて治るまで一カ月くらいの間はずっと左手で指していたんです。
だから相手からするとすごくぎこちないというか、初心者みたいな駒の動かし方をするのでやりにくかったと思います。
ただ棋士の場合は、そういう怪我で休まなきゃいけないとか不戦敗になるとかそういうことはないので。
武豊:
そうですよね。もう全て自分だから。それが大変じゃないかと思うんですけど。
羽生善治:
はい。だからあまり深く突き詰めないようにはしています。
もちろん負けて反省するとか、ここ修正しなきゃいけないかなとかそういうことは考えたりはします。
でもそれ全部突き詰めていくと自己否定になるじゃないですか。審判がいるということでもないですし、ちょっと風向きが悪かったということもないので、そうすると結局もう逃げ道なく自分が悪いってことになっちゃうので。
だから考え過ぎるとかえって息苦しいというか辛くなってしまうので、ある意味でいい加減というか適当に切り替えるということは大事かなと思っています。
武さんはすごく大きなレースでもたくさん騎乗されていますし、一日で何回も騎乗されていますが、どうやって気持ち切り替えていたりするんですか?
武豊:
レースごとに乗る馬も違うし、全然違う勝負なので、ゴールしてしまえばそれ程引きずらないというか、勝っても負けても、「よし次! はいはい、次!」という感じは自然とあると思いますね。
羽生善治:
一つのレースが終わって次のレースに向かうときには前のレースのこと忘れるというわけじゃないけど、すぐに切り替えられるんですか?
武豊:
そうですね。自分自身の次のレースももちろんパッと考えられますし、レースが終わったら次に挑むこともすぐ考えられるというか。
割と「はい、次、次」という感じで自然とやっているんじゃないかなと思います。
羽生善治:
例えば前のレースで「こうやっていたら勝てたんじゃないかな」とか「もうちょっと上手くいっていたんじゃないかな」とか、そういうことがよぎったりとかはしないんですか? 将棋だとよくあるんですけど。
武豊:
いや、もうそういうことの連続ですよ。
羽生善治:
連続ですか。でもすごく短い時間でパッと切り替えないといけないですよね、次のレースに向かって。
武豊:
そうですね、次のレースの馬に乗ったら前のことを引きずっていることはまずないと思います。
羽生善治:
それって、10代とか若いときからずっとできていましたか?
武豊:
どうなんでしょうね。あまり意識的にやっていないので……。
羽生善治:
アスリートの人ってそこが一番難しいところなんじゃないかと思うんです。
他のいろんな競技を見ていて、特に経験が浅いときだと一回ミスしちゃったとか一回上手くいかなかったってことをずっと引きずっちゃって、本来のパフォーマンスがなかなか発揮できないパターンは結構あるように感じます。
武さんは持って産まれたそういうメンタルの強さみたいなものがあるんですかね。
武豊:
いや、どうかわからないですけど、逆に勝ってもそんなにそのレースのことに浸るっていう感じもないかもしれないですね。「はい次」という感じで、割とゴールしたら終わりって感じですかね。
羽生善治:
そうなんですね。へ~。
武豊:
癖かもわかんないです。
羽生善治:
家に帰ってからビデオで振り返るとかそういうことあまりしないんですか?
武豊:
勝ったときは一回は見ますね。
羽生善治:
なるほど。
武豊:
負けて悔しいときはあまり見ないですね。見ても一日経ってからですかね。
でもそんなに悔しくて眠れないとかはあんまりないかな。
羽生善治:
そうなんですか、へぇー。
一般人はレースを第三者の視点でしか見られませんが、騎手なら自分が騎乗したレースを第三者的にパッと振り返って見られるじゃないですか。
それってどんなふうに見えているのかすごい興味あったりするんですけど、これってもちろん他の視聴者も横で走っている姿しか見られないじゃないですか。
武豊:
あ~そうですね。「後ろはこうなっていたんだ」とか「もし自分があのポジションにいたら~」とか後で見ながら想像はします。
羽生善治:
ほぉー。
武豊:
「もしあそこで、ああ行ったら勝っていたかもな」とかそういう感じで見ますけど、それくらいですね。
羽生善治:
終わっちゃたらしょうがないって感じもあるんですか?
武豊:
そうですね。人から「あそこでああしておけば良かったんじゃない?」と言われても「いや、もう終わっちゃったもん」という感じですね。次にそうならないようにしようという感じです。
羽生善治:
なるほど。あと、鼻差とか首差とかすごい際どくて写真判定になるときってよくあるじゃないですか。
騎手本人はちょっと早かったとか、ダメだったとかって体感でわかるんですか?
武豊:
はい、ある程度は。
鼻差でも相手のジョッキーに「どっちだと思う?」と確認すると大体は判定と同じですね。
羽生善治:
やっぱりそうなんですね。
武豊:
あと、最後の直線、残り200メートル100メートルになってくると、「これ勝てるな」「届くな」とか「あ、届かないな」となんとなく自分の中でわかります。それによって諦めたりとかはないですけど。
それと「これ首差で勝つな」とかわかるときもあります。
羽生さんは前半から「これは勝つな」とか、「あれ? まずいな」と思っても突然「勝つな。勝てるな」ってときはやっぱりあるんですか?
羽生善治:
将棋って結構逆転が多いゲームなので、ずっと不利でももちろん逆転するということもありますし、逆に終始優勢だったんだけど最後の3分とか5分で間違えちゃって、それで負けるっていうことも結構あるんですよね。
だけど、なんとなく試合の流れというか、いい感じでいけてるとかダメなほうでいけてるとかわかります。
将棋の世界に“指運”って言葉があって、手が最後にいいところに行くかどうかっていう表現があります。
その僅差の勝負になったときには、そういう事もあるかなっていう。
ただ確かに体感的に「これちょっと届かないかな」とか「届くかな」というのはなんとなくだけどあります。
でも毎回あるわけではなくて、間違っているっていうこともよくあります。
昔、陸上選手だった為末さんと話したときに、100分の1秒とかの違いを横から見られるわけじゃないんだけど、なんとなくちょっと自分の方が早かったとか足りてなかったとか、体感でわかるというのがあるらしいというのを、今の武さんの話聞いていて思い出しました。
だからやっぱりトップクラスのアスリートの人はそういうすごく微妙というか微細な感覚とかが尋常じゃなく研ぎ澄まされているんだろうなと思いながらいつも見ています。
武豊:
いや、もう羽生さんからそんなお言葉をいただけるとはもう家宝になります(笑)。
羽生善治:
いえいえ、とんでもないです(笑)。
いい意味で「鈍感」? 一般人とは違ったメンタル
小籔千豊:
ちょっとお話の中に出てきたことでお伺いしたいことがあるんですが、羽生さんは守る側になったときに困難に直面したとお答えになられました。
きっと守る側って大変だと思うんですが、武豊さんはいかがですか?
リーディングジョッキーという守る側みたいな立場になってプレッシャーを感じたことってありますか?
武豊:
僕はなかったですね。そんなに意識していなかったんですけど、当たり前のように若いときから日本で一位になっていたので、そうじゃなくなったときにすごく不思議な感じがして。
それだけ成績が落ちていたときなんですけど、今までなぜその位置にいれたんだろうなという感じで考えるようになりましたね。
小籔千豊:
寂しいとか悔しいとかいうそういう感情っていうのはやっぱりありましたか?
武豊:
当然ありますね。初めて味わう感覚だったりもしたので。
もちろん結果を出せない自分が一番こう歯痒いというか、悔しいんですけど、そうなって気付く事がいろいろあるんですよ。
なんとなく人が離れていったりとか、そのカメラが自分に向いていないとか、それが普通というか普通であればそうなんでしょうけど、あまり経験したことがなかったときは、不思議な感じでしたね。挫折っていう感じではなかったかもわかんないですけど。
小籔千豊:
でも「いつかまた」という気持ちは?
武豊:
はい、もちろん。もちろん難しいのはもちろん分かっていますけど、今でもまたリーディングジョッキーになりたいっていう気持ちはあります。
小籔千豊:
やっぱりお二人は本当にいい意味でいいタイミングで鈍感になっている部分もあるというか、メンタルが強い部分があるのかなと思います。普通の人間だったらそこまで天才って言われ続けてたらメンタルもいかれて、手元もおかしなると思います。
羽生さんも守る側は慣れてきますし仕方ないという感じで切り替えられたりとか、武豊さんもあれだけずっとリードしてきたのにひとまず目の前の事をみたいな。僕らみたいな一般人がちょっと挫けたくらいでメンタルいかれてる場合ではないだなとすごく思いました。