“踊ってみた”ら世界はどう変わった? ――全身麻痺、壮絶なリハビリ…それでも私が踊る理由。車椅子のダンサー・あやなななインタビュー
ニコニコ動画にアップロードされた、「踊っている様子を撮影した動画」は“踊ってみた動画”と呼ばれている。今や“踊ってみた=ダンス動画”はニコニコ動画に限らず、YouTubeやTikTokなど多くの動画メディアで人々に親しまれる一大カルチャーとなっていることは説明するまでもないだろう。
そんな踊ってみた動画の中に、ひときわ輝きを放つ“踊り手”がいる。車椅子の女性ダンサー・あやななな(@_ayananana_02)だ。
エイベックス・ダンススクールのオーディションに合格し、レッスンを受けていた経歴を持つ彼女は、10万人に1人の難病「ギラン・バレー症候群」によって全身が麻痺に侵され、リハビリを重ねた今も車椅子生活で闘病を続けている。
そんな彼女が初の“踊ってみた動画”をニコニコ動画に投稿したのは、ダンススクールに通っていた頃ではなく、病に侵され車椅子生活を強いられるようになった後なのだ。
2017年に“踊ってみた”動画を初投稿して以来、「ニコニコ超会議2018」でのステージ出演を果たすなど界隈での存在感を増しつつ、現在では車椅子利用者向けに作られたドレスのファッションモデルを務めるなど、彼女の活動フィールドは今や“踊ってみた”にとどまらない。
いったい何が、ハンディを抱えた今も彼女を突き動かしているのか? 本記事は、壮絶な闘病生活を経てもなお彼女が“踊ってみた理由”を、取材を通して明らかにするものだ。
取材/篠原利恵
撮影/成富紀之
編集/トロピカルボーイ
監修/腹八分目太郎・金沢俊吾
――あやなななさんの踊ってみた動画を拝見しました。どの動画も笑顔がすごく印象的です!
あやななな:
本当ですか? うれしいです。ああ、良かった(笑)。
――いや、すみません。何だか感想を伝える会みたいになってしまいました(笑)。あやなななさんは、振り付けのなかでもとくに手の指先の動きがすごく綺麗ですよね。
あやななな:
ありがとうございます。ありがたいことにみなさんに言っていただいてるんですけど、自分では思ったことがなくて。私、お箸持てないんですよ。感覚ないので、ぼろぼろ落ちちゃうんです。
――それって、今も持てないんですか?
あやななな:
今もです。最近ペンを持つのを練習して、なんとか書けるようになったんですけど、お箸はまだ持てないんです。唯一、指で感覚があるのが、左手の中指だけです。
――あやなななさんと同じ病気の人は、みんなその状態になるのでしょうか?
あやななな:
ギラン・バレー症候群は、3日で治る人から、そのまま亡くなる方もいるような、症状の差が激しい病気です。死ぬ人が一番悪いとしたら、私はその一歩手前の状態です。
――ギラン・バレー症候群とは、いったいどういう病気なんでしょう?
あやななな:
簡単に言うと「四肢麻痺(ししまひ)」っていう症状で、手と足の感覚がなくなってしまう病気です。
私の場合は発症した20歳当時、ほとんど全身が麻痺していて右の顔以外の全部が麻痺してしまって、ご飯も食べれない状態でした。
――その状態で今、踊っているんですか……すごい。
あやななな:
ありがとうございます!
ダンスをはじめたのは、いじめがきっかけ
――そもそもダンスを始めたのは、どういうきっかけですか?
あやななな:
中学生の頃にいじめられてて、悔しくてダンスを始めたのがきっかけでした。
――ええ!? とてもいじめられるタイプには見えませんよ。
あやななな:
あまりにもひどかったですよ。剣道部だったんですが、同じ部活の男の子にいじめられていたんです。「ブス」って悪口を言われたり、アクエリアスを頭からかけられたり……。
――それって、男の子特有の「好きだからいじめちゃう」みたいなのではなく?
あやななな:
絶対に違いますね。持ちものに生卵とかケチャップとか入ってるんです。本当にガチのいじめです。
とにかくつらくて、しょうがなかったです。どうにかしたくても、剣道では男子に勝てないし。気合いを入れよう、根性をつけようと思って、ダンスを習い始めました。
――ということは、ダンスはいじめに立ち向かう根性をつけるために?
あやななな:
そうです。人前に立つ根性をつけたくて、見返してやろうっていう気持ちが強くありました。
――根性をつけるために、なぜダンスを選んだのですか?
あやななな:
ダンスをしてる人が輝いて見えたんです。安室奈美恵さんとか、ああいう堂々とした人になりたいなあと思って、あこがれていました。かっこいいなって。中学二年生の時です。
――安室ちゃんを見て踊りたいって思うのはすごくわかります。ダンスを始めてから、いじめっこへの苦手意識はなくなっていったんですか?
あやななな:
かなり自信がつきました。ダンスを踊っているときだけは自分が一番輝いてるって思えるようになりました。
――すごいですね、ダンスの力。いじめっこを見返したいという動機から、自分の中の気持ちが変わってきたということでしょうか?
あやななな:
そうですね。ダンスを始めてから新たな目標ができて。年に一回ある、『Popteen』【※】のオーディションを受けたいと思うようになったんです。そのオーディションの自己PRでダンスを踊ることにしたんです。
※Popteen
ポップティーン。ティーンエイジャーの女性向けファッション雑誌。1980年創刊当初は男子向け雑誌であったが、現在ではギャル向けファッション雑誌として人気を集めている。
――じゃあ、図らずもいじめっこのおかげで新たな目標ができた?
あやななな:
そうですね。いじめっこのおかげで最終オーディションまでいけたので、いいかなと(笑)。
――最終オーディションまで勝ち残ったんですか! すごいですね。
あやななな:
そうです。最終オーディションは代々木第一体育館で行われて、12000人の中からラストの12名まで残ったんです。
――すごいじゃないですか!
あやななな:
でも、最終選考で落ちたんです。まだいじめはなくなっていなかったので、「じゃあ来年も頑張ろう」って思って頑張っていたら、次の年も最終オーディションまでいくことができたんですけど……。
――2年連続で最終まで!? すごい!
あやななな:
落ちたんです(笑)。2年連続で最終で落ちちゃって。そのときの優勝者は河西美希さん【※】でした。でも、高校生の時のその経験が自信につながりました。
※河西美希
ファッション雑誌『Popteen』のモデルオーディションでグランプリに選ばれる。以降同誌のレギュラーモデルとして活動。現在はビューティー系YouTuberと呼ばれ、メイク動画や購入品紹介、質問コーナーなどの動画を投稿している。
――ちなみに、その中学時代のいじめっことは今はどのような関係なのでしょうか?
あやななな:
私は、全然話せますよ。さっきまで忘れてましたもん。なんでいじめてたのか今度同窓会で聞こうかなと思います。でも、私が自信満々で行っても、気まずいのか来ないんですよ(笑)。
自殺も考えた地獄の闘病生活
――オーディションの後でギラン・バレー症候群を発症したということだと思うんですが。異変に気付いたときのことを教えていただけますか?
あやななな:
私が20歳のときです。ある日熱が42.5℃出たんです。ふらふらになって病院に行って。最初はただの熱だよって言われたんです。そのうち治るかなと思ってたんですけど、一応別の病院に行ってみましょうって言われて、大きい病院に搬送されて。そうしたら詳しく検査をしてみないとわからないので、とりあえず髄液をくださいって言われたんですね(笑)。
まじか……と思って、もう動けない状態だったので、骨髄の髄液を背骨の間から取って検査したら、ギラン・バレーですって言われて。そのまま集中治療室に一週間入院しました。
――病名を言われたときはどういう気持ちでしたか?
あやななな:
「とりあえず何?それ」っていう感じでしたね。知らない病気だったので。まあ、治るっしょ!くらいの気持ちでいました。それまで病気は何もしたことない本当に健康だったので、すぐ戻れるでしょうぐらいの気楽な気持ちでいました。
――闘病生活はどのぐらい続いたんですか。
あやななな:
25歳までの5年間、ずっと病院で過ごしました。日本では入院できる期間が決まっていて、最長でも6ヶ月しか同じ病院にいられないんです。どんなに悪くても6ヶ月で退院させられてします。それで、悪く言えばたらい回しというか、病院を転々として5年間が過ぎていました。
――入院中は、どんな生活だったのでしょうか。あやなななさんのインスタにも当時の写真が投稿されていましたが……。
あやななな:
地獄ですね。本当に地獄です。思い出すと、ごめんなさい。悲しくなってきちゃって。つらかったですね。
全く手足が動かなかったので、頭がかゆくてもかけないし、全身が麻痺している。何を食べても、ゴムの味がするんです。舌も麻痺しちゃっていたので。大好きなうどんが、靴ひも食べてるように感じたり、何をしても楽しめない。
あとは、けいれんしてしまっていて、勝手に手が動いてしまう状態だったんです。そんな状態なので、病院では手足を縛られて、拘束されるんですね。
――けいれんを抑えるための身体拘束【※】、ということでしょうか。
※身体拘束
患者本人の生命の保護、自他への重大な身体損傷を防ぐために行われる行動制限。医療拘束とも呼ばれる。
あやななな:
そうです。あとは多分私うつ病だったんですよ。自殺願望がすごく強かったので、死ぬんじゃないかって思われていたんでしょうね。実際病室で何度も死のうとしました。寝る時も、ベットに縛られていました。
――つらかったですね……日々の生活の中での楽しみや、明るい兆しみたいなものはありましたか。ダンスとか、またオーディションを目指す気持ちとかは……?
あやななな:
ステージにはもう二度と戻れないと思いました。それでも本当に小さいことなんですけど、コンビニに行くことが楽しみでした。病院の中のコンビニ。最初はコンビニまでも車椅子に乗ることができなかったんです。
「起立性低血圧」という、体を少しでも起こすと気絶してしまうという合併症も患っていたんです。まずはそれを治すリハビリから始めて、徐々に起きあがれるようになって、やっと車椅子でコンビニに行けるようになって。
それからは、コンビニに行くことが楽しみでした。
踊ってみた動画との出会い「こんなに人を笑顔にできるんだ」
――そんな状態から踊ってみたを始めたきっかけは何だったのでしょうか? 「一体、何があったんだ!?」って感じなのですが。
あやななな:
病室で見ていた、踊ってみたのニコニコ動画がきっかけです。愛川こずえさん【※】の『ルカルカ★ナイトフィーバー』っていう曲がすごい好きで。
こずえちゃんの動画を見ていて、画面越しから楽しさが伝わってきて。「ああ、こんなに人を笑顔にできるんだ」って。で、まねしてみたいと思って。
※愛川こずえ
ニコニコ動画で活動する踊り手。彼女が投稿した『ルカルカ★ナイトフィーバーを踊ってみた』の再生数は550万回を超えている(2019年現在)。2011年に発売されたリズムゲーム『初音ミク -Project DIVA- extend』では彼女自身が同楽曲のモーションアクターを務めた。
――まねしたのがきっかけ?
あやななな:
最初は体が動かせないから、ずっと動画を見て、振りを覚えていました。ちょっと動かせるようになったら、病院のベッドの上で横になりながら、手を動かしてみたんです。
リハビリが始まったら、休憩時間に病院の屋上で踊りはじめて。退院したら自分も動画撮りたいなあって思うようになりました。
――動かせる体の範囲だけで始めたんですね。
あやななな:
そうです(笑)。手の平よりも狭い世界の中だけでやってました。
――でも、それがどんどん広がっていくわけですよね?
あやななな:
そうです。少しずつ、大きく動かるせるようになって、座れるようにもなっていって……。
――だんだんよくなっていったんですね。
あやななな:
本当に少しずつなんですけど、持てなかったものが持てるようになったり、握力が4から7に変わったり。本当に少しずつ変化がありました。
そうすると「もしかしたら治るんじゃないか」って、考えもポジティブになっていって。「このまま元に戻りたい」っていう気持ちが大きくなっていきました。
――最初に動画を撮った時のことを聞いてもいいですか。
あやななな:
最初に撮った動画は、『Calc.』っていう曲で踊りました。3分以上ある曲なんですが、あまりに体力がなくて、3分座っていることができなかったんです。
そのぐらい体力がない状態で。そこで、一曲を前半と後半に分けました。1分半ぐらい半分踊って、1回カットを入れて休憩して。また後半の1分半を踊るっていう形で、最初の投稿の動画は作りました。
――動画を撮ることに関して、お医者さんには何か言われましたか?
あやななな:
大賛成してました。リハビリになるからと。実際すごく良い上半身のリハビリになりました。
――撮影し終えて、はじめての踊ってみた動画を投稿した時はどんな気持ちでしたか?
あやななな:
「ああ、踊れた」と、すごくうれしかったです。体力ついたんだなあって。座った状態で体力をつけるのってすごく難しいんですね。走れるわけでもなく、できることが限られているので。だから、踊ってみたをたくさん練習したおかげで、体力がついたのかなって。
めちゃくちゃにたたかれる覚悟で上げたので、不安な気持ちはすごくありました。いろいろ厳しいことを言われるんだろうなとか、車椅子に座っているのに踊ってみたに投稿していいんだろうか?とか、いろいろ批判があるだろうと思っていました。
――実際の反響はいかがでしたか?
あやななな:
とっても温かかったです。動画を出してみると、思ったよりもたくさんの方に良い反応をいただいて。見た人が「これからも頑張ろう」とか、「勇気をもらった」とか、ポジティブな言葉をいただけたんです。それを見た時はすごく嬉しかった。
――良い意味で裏切られたんですね。
あやななな:
そうですね。もっと体のことや、車椅子のことに触れられるのかなと思っていたんです。でも実際はびっくりするほど触れられなくて。「何か楽しそうだね」とか、「笑顔がいいね」とか、そのままの私についてのコメントだったので、驚きました。
中には少しは、「足どうしたの?」っていうコメントもありましたが、それは気になるのはしょうがないと思うんで、気にしませんでした。むしろ思っていたより少なかった。踊ってる姿を見てくれてうれしかったです。「私、踊ってていいんだ」みたいな。