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本当はエロい『天空の城ラピュタ』物語後半で巨乳化するシータの謎と宮崎駿流エロスの表現に迫る

 毎週日曜日の夜8時から放送中の「岡田斗司夫ゼミ」。
 1月7日の放送では、スタジオジブリ製作の劇場用アニメ『天空の城ラピュタ』の特集が行われました。

 岡田斗司夫氏は、解説の中で「この作品は実はエロい」と語り、宮崎駿監督の当時のインタビューから読み取れるエロス表現の手法、さらには、ヒロインであるシータの胸のサイズが途中から大きくなった意味などを語りました。

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本当はエロい『天空の城ラピュタ』

岡田:
 では、『天空の城ラピュタ』の不思議なエロスというテーマについて語って行こうと思うんですけど、みなさん、「『ラピュタ』にエロいシーンなんか、あっただろうか?」って思いますよね? 実は、あるにはあるんです。

 ドーラ一家の飛行船である“タイガーモス号”から切り離されたパズーとシータの乗った凧が、なんとかラピュタにたどり着いて、二人で「やったー!」と言って抱き合って、ゴロゴロと芝生を転がっているシーンを覚えていますか?

 このシーンについて、「Cut」という雑誌でのインタビューの中で、宮崎駿自身が言及している部分があるんです。

 今日は、その引用部分を持ってきました。これです。

岡田斗司夫氏

 このシーンについて、インタビュアーの人は、「なぜ、ここで二人はキスをしないんですか?」と聞いています。

 すると、宮崎駿は、「やることはやっています」と答えている。つまり、そんなこと、いちいち描かなくても、ちゃんとこの映画の中では表現していると言っているんです。

少女の胸の膨らみを背中に感じるからこそ出来る顔

岡田:
 パズーとシータが、ドーラ一家の飛行船であるタイガーモス号に取り付けられているハンググライダーみたいな観測用の凧に二人で乗って空に上がった時、突風が吹いて、グワーンと吹き飛ばされるんですよ。

 この時、怯えたシータはパズーに強く抱きついている。すると、パズーはシータを安心させるように振り返るんですけど、アニメーターから上がってきた、振り返った時の絵のパズーの表情が弱かったそうなんですね。

 このインタビューによると、宮崎駿は、さっそくそのカットを担当したアニメーターを呼んで、こんな説教をしたそうです。

 「お前、わかってるのかっ!? 仮に、お前の後ろから、大好きな女の子が怖がりながら小さいおっぱいをくっつけてきているとして、その膨らみを背中に感じているという時に、お前はこんな顔をするのか!? それを意識して描き直せっ!」と(笑)。

 これ、どういうことかというと、男というのは、女の子に頼りにされているということを“肉体的に”感じるからこそ、頼り甲斐というものを発揮できるのであり、それを描くのがアニメなんだと言っているわけです。

シータに抱きつかれているパズー

 つまり、宮崎作品というのはエロいんですよ。ただ、そのエロさというのは、僕らが知っているような“安直なエロさ”ではないんです。

 これは、宮崎駿を語る際に、最初に言っておかなきゃいけないことなんですけども、宮崎駿というのは安直なことを何よりも嫌う人なんです。

ボツになった『ナウシカ』のラストシーン

岡田:
 僕、この1週間くらい延々と宮崎駿関係の過去のインタビューを読んできた中で発見したんですけども、宮崎駿には「そんなのは手塚治虫だ!」というキメ台詞があるんですね。

 これはもう、手塚治虫を仮想敵と定めていた宮崎駿だから出て来る台詞なんですけど。誰かに「そこの展開はこうしないんですか?」というふうに言われたら、すかさず「そんなのは手塚治虫が考えそうなことだからやらない!」というふうに答えるんですよ。

 いや、別に、現実の手塚治虫がそんなこと考えているとは限らないんですけどね(笑)。

『風の谷のナウシカ』
(画像はAmazonより)

 例えば、僕が一番好きな話に、「『風の谷のナウシカ』のラストシーンをどうするか?」という問答があるんです。

 僕らが知っているラストシーンというのは、「ナウシカが立っている場所に王蟲が走ってきて、ナウシカがドーンと跳ねられて死んじゃって、『その者青き衣をまといて金色の野に降り立つ〜』って、復活する」というものですけど。宮崎駿には、これ以外にもいくつものアイデアがあったんです。

 例えば「ナウシカが跳ねられて死んでしまった後、王蟲はナウシカだけを連れて腐海に帰っていく」というもの。その後、ナウシカは王蟲の力によって生き返るかもしれない。でも、もう人間の世界には帰らない。そして、王蟲達も人間を見捨てて、森の中に帰ってしまった。

 つまり、「人間達は王蟲さえ来なければ希望があると思っていたんだけど、本当の希望はナウシカだった。では、その希望を失ってしまった残された人間たちは、その後どうなるんだろう?」という、苦味のあるラストシーンですね。そんな話も考えたそうなんです。

 ところが、その話を聞いた高畑勲【※】が「それ、いいじゃないか」と言うと、宮崎駿は、「いや、それをすると手塚治虫みたいになってしまいます!」というふうに答えるんですよ。

 僕はこのラストもわりと良いと思うんですけど、なぜか宮崎駿の中では「最初に思いついたアイデアは、手塚治虫っぽいからダメ」となるみたいなんです(笑)。

※高畑勲
1935年生まれ。日本の映画監督、演出家、プロデューサー、翻訳家。1985年に宮崎駿、鈴木敏夫とともにスタジオジブリの設立に携わった人物でもある。『ルパン三世 』、アニメ映画「パンダ・コパンダ」の2作品、『アルプスの少女ハイジ』、『母をたずねて三千里』、『赤毛のアン』、『未来少年コナン』など、数多くの名作の制作に関わってきた、日本アニメーション界の偉人のひとり。

安直なアイデアは徹底的に排除する

岡田:
 ここで重要なのは、「そんなのは手塚治虫だ!」という部分ではなくて、宮崎駿は、そんじょそこらのアイデアでは納得しないというところなんですね。

 本当に、自分の中でアイデアを50も60も出した上で、その99%ボツにして、これしかないというものを絞り込む。そして、その過程で「絵的にカッコいい」とか、「その方がウケる」という安直なアイデアを、徹底的に排除する人なんです。

 つまり、宮崎駿というのは、安直というのを何よりも嫌う人なんですよ。

 そして、安直さを嫌うからこそ、エロスというのをわかりやすいエロシーンとしては絶対に描かないんですね。だからといって、エロを描かないなんていう、くだらないこともしないんです。

 つまり、この「映画の中で、ちゃんとやることはやってるんですよ」という発言は、それがエロいとわからないのは、お前らの責任であって、俺はちゃんとやっているということなんです。

 「エロをエロとしてそのまんま見せるようなバカな真似を俺はしない」というのが、宮崎駿の主張なんですよ。

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