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中卒引きこもりゲーマーから社長に…今話題のお弁当屋「キッチンDIVE」“中の人”の意外な素顔とは? Twitter運用術も聞いてみたよ【50時間生放送企画記念】

 今日本で最も有名なお弁当屋――「キッチンDIVE(@divemamuru)」をご存知だろうか?

 その特徴は、まず圧倒的な「価格破壊」にある。24時間営業で常に200円の弁当が置いてある上、なんと1キロの巨大おにぎりや、1キロの巨大弁当を500円そこいらで格安販売している。
 さらには、Twitter上にて数々の弁当無料配布キャンペーンまで打ちまくっており、主に「これで経営は大丈夫なのか」という驚きの声と共に、今や各種テレビやネットメディアで引っ張りだこの存在になっている。

 また、そうした企画を続々と推進するTwitterの“中の人”のエモーショナルな呟きも大変に話題を呼んでおり、今や飲食店としては異例のフォロワー数12000人超えを果たし、「ダイバー」と自称する熱狂的なファンクラスタまで形成し始めている。

 さて、そんなお弁当屋「キッチンDIVE」だが、実はニコニコとの関係が深いのをご存知だろうか。

 実は2018年の「ニコニコ超会議」では出店して圧倒的な人気で完売させ、またその際に行った36時間ただ店内を定点観測するだけの公式生放送も好評を博した。
 「なんだその陳腐な企画は……」と思ったそこのあなた。驚くことなかれ、その来場者数たるやリアルタイムでのべ17万人にも及んでいる。これは、近年のニコニコ生放送では驚異的な数字である。

画像は前回放送のタイムシフトのスクリーンショット。36時間の間、21万件ものコメントが絶えず流れ続けた

 そして、そうしたファンの声に後押しされるかたちで、来たる7/20(金)「キッチンDIVE」の公式生放送が50時間の長尺となって再び催されることが決定したのだ!

 それを記念して今回、“中の人”こと店長の伊藤慶氏にロングインタビューを敢行した。しかも「ニコニコさんは特別ですから……」と例外的に顔出しの許可をもらった上、実に気兼ねのないラフな取材に応じていただいた。
 そこではお店の経営状況にはじまり、「中卒引きこもりゲームマニア」だった氏の半生、そして表現を志す若者に対する熱き想いなど――多岐にわたるディープな話を伺った。

取材、文/まなべ
取材、撮影/レオ・ハリス


「とりあえず、デカンタからいきましょうか」

──前回の36時間生放送の反響を受け、今回7/20(金)に50時間バージョンで、再び生中継企画をすることになりました。今日は、その告知を兼ねた記念ロングインタビューとなります。

伊藤店長:
 ありがとうございます。とりあえず、デカンタからいきましょうか。

──えっと、呑むんですか……(笑)。

伊藤店長:
 まあいいじゃないですか。呑みましょ、呑みましょ(笑)。

──では、お言葉に甘えて……。というわけで、まずは早速、50時間生中継にかける意気込みなどをお伺いできればと思います。

伊藤店長:
 うーん、川上さんがうちに挨拶に来るくらいの数字がほしいですね。来場者数、100万人とか。

キッチンDIVE店長・伊藤氏

──もし達成したら、流石に歴史に残りますね(笑)。

伊藤店長:
 じゃあ、もし100万いったらTwitterで「川上さん、菓子折り持って来いやあ!」って言いますね(笑)。
 そこで、某ジ○リの監督のような勢いで持って「今のドワンゴはダメだ」みたいな愛のあるメッセージを伝えたいです。「あなた、途中で放ったらかしにしたでしょ?」 って(笑)。

──ええっと……。

伊藤店長:
 いや、冗談ですよ(笑)。でも、焼肉とかおごってくれたら嬉しいですね。

──ちなみに、前回の放送の反響ってお店的にはどうだったのでしょう? 基本的には、定点カメラを設置する番組ですが。

伊藤店長:
 防犯になって良いなと。あと、スタッフの背筋が伸びました。

──感想が経営者目線ですね。

伊藤店長:
 まあ反響としては、17万人の来場者数もですけど、コメントが21万件きていたのにはびっくりしましたね。思ったよりも、めちゃくちゃアクティブで。
 きっとNHKの「ドキュメント72時間」みたいなのと同じノリで見てくれたのかなと。いずれにせよ今回も、みなさまにはコメントでワイワイと楽しんでいただければと思っています。

──今回、前回と比べてもずいぶん盛りだくさんな50時間になっていますよね。

>>>50時間生放送 詳細はこちら<<<

ぶっちゃけ…経営大丈夫なの?

──さて、番組の告知をしたそばから急に下品な話であれですが……200円の弁当を出したり、無料キャンペーンをかなり積極的にやってる中で、ぶっちゃけ経営は大丈夫なのかなと気になってまして……。

伊藤店長:
 うまくいってるも何も、うちはTwitterを始める前からずっと黒字なんですよ。だって開店のときから全部200円均一で売っていて、それがあまりにも売れすぎちゃったので、他の商品を作る暇がずっとなかったくらいですから。
 ちなみに、低価格のお弁当が一時期流行ったりしましたけど、あれってうちがはしりだったりもするんですよ。

──あ、そうだったんですね。

伊藤店長:
 で、Twitterを始めてからの話でいうと……もうエグいぐらい売上が伸びてます。

 前にツイナビさんで調べたんですが、飲食店サービス業でフォロワーが1万人以上って、150アカウントくらいしかなったんですよ。そこからうちみたいに相互フォローしていない純粋な数だとさらにガクッと減って、たぶん上場企業のチェーンやラーメン二郎さんみたいなお店ぐらいかなと。

 で、うちの店の場合、1000人フォロワーいると毎日5人お客さんが来てくれるんですよ。今は12000人だから60人。ひとり当たり800円の買い物をしてくれるので、60×800円で1日約5万円。つまり、ツイッター効果だけで、年間で約1800万の売り上げになってるんです。

──凄まじい定着率ですね。ちなみに、純利益の方って……?

伊藤店長:
 そんなの、おおっぴらには言えないよ(笑)! まあだいたいTwitter経由の人が全体のx割で、原価がx割くらいなんですが……。

──あ、するとだいたい毎月xxx万円とかですか。

伊藤店長:
 そこ、カットでお願いしますね(汗)。

 まあでも、うちは浅草にもお店があるんですけど、実はそっちの方が利益はでていて。「次のお店出さないで、タワーマンション買うか」とか頭をよぎったりするくらいです。もちろんあくまで冗談ですが(笑)。今のお店の状況は本当にありがたい話で、本当にいつも皆さまに支えていただいてます……。

──実際、今後の店舗展開とかって考えていたりするのでしょうか?

伊藤店長:
 実は、来年あたりに都内の1等地に出店したいと思ってるんですよね。池袋、原宿、歌舞伎町みたいな、誰もが知っているような場所に出せたらいいな、と。
 ……あ、ワインがまた来ましたね! 乾杯しましょ!

ちなみにこの日、店長はデカンタ2杯とビール3杯を空けた。

──そのデカンタ……直接呑むんですか(笑)。

店長の半生1:引きこもり状態でゲーム業界マニア

──さて、今回のロングインタビューでは「どういう経緯で“キッチンDIVE”が誕生したのか」を伺っていければと思っています。というのも、1キロおにぎりやTwitterの企画って、色んなメディアさんが既に注目していて。もちろんそれも追々聞いていきたいのですが、この際、誰も聞いていない店長の半生からじっくり聞いていければなと。

伊藤店長:
 お弁当屋さんの半生なんて聞いて誰が喜ぶのさ(笑)。でもまあ、じゃあ生まれから言うと……。

──そこは生まれからなんですね(笑)。

伊藤店長:
 1982年の葛飾区の柴又で生まれで、ずっと東京育ちですね。柔道のスポーツ推薦で中学に入学して、そこが国際大会で優勝する人がいるような名門学校だったんです。
 でも、中学2年生の時の骨折を機に、部活をドロップアウトして、結構荒れてた時期があって。だから、その後も高校には行ってないんですよ。

──聞いておいてあれですが、思ったより壮絶な人生の滑り出しですね。

伊藤店長:
 失礼だね(笑)!
 ……それで、当時の荒んだ僕の心を救ってくれたのが、深夜のTV番組でたまたま見たゲームクリエイターの飯野賢治さんだったんですよ。

──ああ、あの『Dの食卓』『エネミーゼロ』などを世に送り出した……。パフォーマンス的な発言や数々の逸話から、 “異端児”なんて呼ばれたりもしていた方ですよね。

伊藤店長:
 そうそう。もう反骨精神むき出しで、20代の若者が100万本規模のビックタイトルを作って「セガやソニーに物申す」みたいなことをやっていたわけですよ。彼の人生も、ドロップアウトしたあとに天下を取りにいっていたので、勝手に共感しちゃってて。中学二年生の男児からしたら、もう尾崎豊のような憧れのロックスターでしたね。

 ……まあ大人になった今思うと、あの人のことを悪く言う人もそんないないので、表ではビックマウスなわりに裏で挨拶メールを送ったりしていたんじゃないかとか思うのですが。

──(笑)。ちょうど90年代に、ゲームクリエイターがメディアに露出してきた時代ですかね。

伊藤店長:
 そうそう。飯野さんを始め、岡本吉起さん、小島秀夫さん、飯田和敏さんなど個性が強い人たちが、もう株主の顔なんか伺わないで好き放題言ってて。今、もうクリエイターってあんまり過激な発言できないでしょ。

──すぐ炎上する世の中ですしね。というか「キッチンDIVE」さんが昨今のTwitterアカウントにしては際どい発言や企画が多いのって……。

伊藤店長:
 はい、完全に彼らの影響ですね(笑)。

 でも当時は「何でも言える」空気が本当にあって。昔、伊集院光さんの番組に「ファミ通」の浜村編集長を呼んで、ゲーム業界の裏話をするコーナー【※】があったんですが、そこでは平気で、ドラクエの発売日とか言っちゃってたんですよ。

 「あの人気の作品あるじゃん、堀井さんが作ってる……」「某“アレ”ですね(笑)」「“アレ”の販売日ね、ここだけの話、半年後に伸びるらしいよ」「またですか~、あそこは何年伸ばすつもりですか〜」みたいな感じで。それ言っちゃって大丈夫なのかというドキドキがあって、すごく面白かった。

※「GameWave」という番組の「浜さん光のすげ~イイ話」というコーナー。

──そんな話が(笑)。では、結構ゲームもやりこまれてた感じでしょうか?

伊藤店長:
 特に『かまいたちの夜』『風来のシレン』『リアルサウンド』とかは好きでしたね。「三国志」シリーズとか『ザ・コンビニ あの町を独占せよ』などのシュミレーションゲームも延々やってましたが、もうそこらへんからマリオとかメタルギアとかも入ってくるので選べません(笑)。

 ……ただ、ぶっちゃけると、僕はゲームじゃなくてあのときの「ゲーム業界」が好きだったんですよ。

──どういうことでしょう?

伊藤店長:
 やっぱり当時って、ちょうどPlayStation、セガサターン、NINTENDO64で三つ巴の戦争していたときだったんですね。当時はものすごい熱量があって、「スクウェアが100万台増えるらしい」とか「エニックスがPS陣営に行けば牙城が崩れる」みたいな戦況があって……それがリアルな企業間での関ヶ原の戦いのようで面白くて。

──その渦中でまるで“戦国武将”のように振る舞う豪胆なゲームクリエイターたちがいた、と。まさにシュミレーションゲームみたいなノリで楽しんでいたんですかね。

伊藤店長:
 だから、もう当時はほぼ全てのゲームメディアの情報を抑えていましたよ。「ファミ通」「ゲーム批評」はあたりまえ。取り寄せオンリーの業界誌とかも買ってて、そこにはゲームの販売店向けに「今週は何を仕入れるべきか」みたいなことが書いてあるんです。「メッセサンオー」など人気店の店長さんを呼んで、お金の事情をガンガン聞いたりみたいなものとか、結構熱心に読んでましたね。

──そこらへんは、のちの経営者っぽいですね。中学生で業界誌を読みこんでるなんて、相当なゲーム業界マニアですよね。

伊藤店長:
 今思うと、お金の動きに魅せられてたんですよね。当時は若いクリエイターが活躍していて、一攫千金の夢があったんです。

 今となっては考えられないですが、当時コナミが「遊戯王」のヒットで約7億円とかの予算のボーナスをみんなに配ったという噂話があったくらいですから。コナミの会長がパーティー会場に行って挨拶をすると、社員がまるでジオン軍みたいに直立不動で挨拶をして、敬礼までしていたみたいで。
 で、そこで会長がボーナスとか配るんです。『パワプロ』のプロデューサーに2000万円を現金で渡したとかいう逸話もありましたよ。

直立不動のイメージ
(画像は「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」第3話 予告 第2弾より)

──もし本当だったらバブルすぎますね。それにしても、ゲームよりもお金が重要だったとは……。

伊藤店長:
 いや、ゲームも好きだったんですからね(笑)! 当時は鈴木裕さんの『シェンムー』とかも好きで、街歩きをして缶ジュースを買うだけで楽しいのが、本当に革新的でした。

シェンムー(1999・セガゲームス)
(画像はAmazonより)

 しかも、『シェンムー』って当時のゲームショウでは、本当にゴージャスな存在だったんですよ。というのも、どう考えても数千万円じゃ足りないような巨大なブースを作ってるんです。普通ハリボテでしょってところを全部、ガチで凝った装飾を使ったりしていて……ってこれもお金の話か(笑)。

──(笑)。

伊藤店長:
 実際、当時のゲームショーは本当にバブリーだったんです。「ゲームが儲かる」みたいな雰囲気で、外部のパチンコメーカーとかが異様にお金をかけてブースを作ったりしていましたね。
 でも、僕は業界誌を読み込んでるので、そのゲームがどれくらい売れそうかかがわかってるんですよ。すると、だいたい1万本くらいしか売れない見込みのゲームに、明らかに2000万とかかけてたりして。

──「あ、これ採算合わないな」とかも計算できたわけですね。

店長の半生2:予備校用のお金をアーケードに使い込む

──なんだかゲームの話ばかり聞いちゃいましたが、中学を卒業してからは、他にはどんなふうに過ごしていたのでしょう?

伊藤店長:
 あと当時はラジオにもハマってて、多い日だと一日20時間ぐらいは聞いてました。そのきっかけもゲーム業界で、コナミとかがラジオのスポンサーもやってて、ゲームクリエイターが自分のラジオの番組を持ってたりしたんです。

 当時は國府田マリ子さんの「ツインビーPARADISE」とか、「荒川強啓 デイ・キャッチ!」での宮台真司さん、あと定番ですが伊集院さんと爆笑問題さんの番組なんかが好きで。ひたすらラジオを聞きながら延々とゲームをする……そういう生活が、中学を卒業してから大検とるまでの5年くらい続きました。

──5年……なかなかに長いですね。

伊藤店長:
 だからしばらくそういう生活をした後に、学生という身分があるといいなと思って。それで予備校に通い始めたら、今度はゲーセンにハマっちゃって(笑)。予備校用に親から貰っていた食費代とかをほぼゲーセンに溶かしていきましたね。

──わりとどうしようもない話ですね(笑)。ゲーセンではどんなゲームをやっていたんですか?

伊藤店長:
 『WCCF』の走りのサッカーのカードゲームとか、『バーチャロン』『バーチャストライカー』をやってましたね。
 逆に当時人気だった『バーチャファイター』は「俺の100円が全部大人たちに飲まれてしまうわ」と思ってやらなくて。だって、大人たちがゲームセンターでコミュニティを作って、ビデオカメラを回して修行し合ってるんですよ。

 当時は月に20万つぎ込むなんて普通だった時代だったので、もう「筐体買ちゃえよ!」って感じで。子供目線で「汚い大人たちめ……」と思っていました(笑)。

──常にお金には敏感ですね(笑)

伊藤店長:
 ただ、よく行っていた四谷の店では良いこともあって。そこのオーナーさんが「お金ねえんだろ? 10ゲーム入れてやんよ」と優しくしてくれたり、焼き肉とかに連れていってもらったりしたんですよ。僕は中学を出てからずっと引きこもりのごとき生活をしていたので、その時、居場所となるコミュニティがあることの大切さを身をもって学びました。

──いい話ですね……。ちなみに、その後大学とかにはいったのでしょうか?

伊藤店長:
 一応大学に入学はしたんですが……いわゆる大学デビューを壮大に果たしてしまって(笑)。それまでの生活とはうって変わって、渋谷でフラフラと遊びまくってましたね。大学は全く通わず、完全に現実をフィーバーしまくってました。

 そして、ゲームも深夜ラジオも聞かなくなった代わりに、その後の2ちゃんねるに繋がる「セガBBS」などを始めとする半匿名型の掲示板で、朝から晩までチャットに呆けてて(笑)。今思うと、あのコミュニケーションの日々が今のTwitter活動に繋がっている気がします。

──ゲームマニアを捨て、大学デビューでリア充化ですか……(爆)。

店長の半生3:おばあちゃんの骨折、そして独立へ…

伊藤店長:
 でも、そんなリア充生活もすぐに終わることになるんですよ。
 というのも、おばあちゃんが骨折しちゃって、お弁当屋さんだったうちの両親が介護で仕事ができなくなっちゃったんですよね。それをきっかけに、僕が大学を中退して、本格的にお店を手伝うことになったんです。

 だから、独立に際しても、両親が長年やってきたノウハウや人間関係の蓄積が元からあったんです。西原理恵子さんとか、紅白歌手の三山ひろしさんを始め、本当に色んな方が応援してくださっていて。
 ただ、そういう人間関係を父が残してくれたんですけど、その父親の知り合いのコンサルタントのすすめで僕の店舗として東あずまにお店を出したら……これが見事に大コケで(笑)。

──ひどいですね(笑)。

伊藤店長:
 「こりゃだめだ」と思って、僕が決めた亀戸に移転したのが8年前、今の「キッチンDIVE」の始まりでした。

 ここってもともと某銀行のATMが入る予定だったのが、半年かけておじゃんになって。そのタイミングで僕がお店に行き、その場で業者さん2件呼び、オーナーさんに「家賃10万引いてくれるなら明日契約しますよ」と取引をしたんですよ。保証金の500万も、どんと出して。

──おおお、男気ありますね。

伊藤店長:
 そしたらオーナーさんも熱意を感じてくれたみたいで。僕はその時27歳とかだったので、やっぱりやる気がある若者にダメ元でも貸してやりたいと思ったんでしょうね……本当にありがたい話です。

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