かつて“童貞”とは妻に捧げるものだった――童貞はいつから恥ずかしいものになったの? 社会学者・澁谷知美先生に聞いてみた
“恋愛の自由化”が童貞の苦悩のはじまり
澁谷:
でもそれは恋愛が自由化したからですよね。いわゆる恋愛というのは、本当に心から好きな人と一緒に、結婚もしてその人と愛し合って、子供も持つという、「恋愛・結婚・出産」の三位一体をすべての人間が、どんなに恋愛の能力がなくとも、全員がおやりなさいというふうになったのが、やっぱり戦後から1970年代にかけてなんですよ。そこから童貞の苦悩も始まったのかなと思います。
「自分は女性と付き合わなくても、セックスしなくても、のんびり生きていきたい」という人は一定数いると思うんですね。そういう人たちまでも巻き込んで、焦らされて、童貞を捨てる競争に巻き込んでいるのが今じゃないかなと思ってます。
ただ、あまりにも「女性をいてこましてなんぼだ」という文化が強すぎて、それが本心じゃないのに、童貞捨てなきゃいけないって思い込んでる男の人っていると思うんですよ。
ネット時代の“童貞いじり”
澁谷:
特にネット時代を迎えて、童貞の地位がだんだん落ちてきている気がします。私が『日本の童貞』を書いた時は、だいたい2000年代くらいまでで考察は終わっているんですよ。主に見ているのは雑誌の記事だったんですけども、そこではわりとハッピーエンドで終わってるんですよね。
今まで童貞が馬鹿にされてきたけれども、でも格好いい童貞だっているし、さっき言ったみうらじゅんさんみたいに、「童貞っていうのは、した、していないかの問題じゃなくて、精神性の問題だ」というふうに、問題の在り方を転換する人なんかも出てきて、わりと童貞が解放されたかに見えたんですよ。
でもその後、ネットが段々発達して、ネット言説を見ていくうちに、童貞がすごく貶められているのを見て「あれ? 雑誌で見た時と違うな」という感覚を持ちました。童貞が貶められる風潮が段々激しくなっていってるというのを、体感的にですけれど感じています。
別の学者の方が指摘していたことなんですけれども。日本における暴力の在り方が変わってきたんじゃないかというふうに仰っている方がいました。
以前であれば暴力って、非常にフィジカルなものだったんですよね。でも、ネット時代を迎えるにあたって、社会的弱者と言われる在日外国人とか、貧困者とか、そういったものをターゲットにした、「言葉による暴力」というのが増えてきた。それがフィジカルな暴力から、言葉の暴力へ【※】の日本の暴力の在り方の変化だ、みたいなことを指摘している方がいて。
※フィジカルな暴力から言葉の暴力へ
誤解のないように付け加えておくと、日本社会におけるフィジカル(肉体的・物理的)な暴力が減少したという意味ではありません。アメリカの名誉棄損防止同盟が示した「ヘイト暴力のピラミッド」は社会的弱者にたいする言葉の暴力がフィジカルな暴力を誘発することを概念的に示すものですが、朝鮮総連中央本部に銃弾が打ちこまれた最近の事件などを目にすると、ただの概念図式ではないことを実感します。(澁谷)
童貞もそのネットで攻撃される対象の一つになったような気がするんですよ。
つまり在日外国人、貧困者、童貞、みたいな感じですね。そういうふうにいじっていいポジションというのが確立しちゃうと、みんなそこに突入していくと。それで段々童貞をいじる言説というのが、暴力的な言説の一つとして増えてきているんじゃないかなっていう感覚は持ってます。
童貞を指す「魔法使い」などの言葉について……
澁谷:
当事者による対抗言説【※】の編み出しみたいな感じで……。でも対抗言説ってポジティブなもののはずなんですけども、ちょっと「魔法使い」【※】とかって物悲しさがありますよね。自虐的なところがあって。
私は対抗言説って、もうちょっと自己を肯定するようなもんだし、もっと世の中を変えるような、加害者を返り討ちにするようなパワーがあるものだと思っているので、対抗言説とは呼びづらいんですけれども。一種の自分を守る言葉ではあるのかなと思います。
※対抗言説
反論。
※魔法使い
30歳になって女性経験がない童貞を指すネットスラング。
──童貞のネタ化による解放はありうるか? 包茎などもカミングアウトしやすくなった?
澁谷:
私は、童貞のネタ化による解放はあまりないと思うんですよ。
今、童貞の研究じゃなくて、包茎の研究をやってるんですね。どういうふうにして包茎は恥ずかしくなっていって、仮性包茎でも手術しなきゃいけなくなったのかっていう研究をしてるんですけれども。
「澁谷さんはどういう研究をされてるんですか?」って人から聞かれた時に、以前であれば童貞の研究をやっていたから「童貞の研究です」って言っていたんです。
その時の男性の反応っていうのが、ビックリしたんですけれども、ほぼ共通していて「いや僕も童貞です(笑)」とすごいチャラい感じで言ってくるんですよ。それは裏の意味では、「いや、僕は童貞じゃないんですけど」ということなんですよね。自分はもう童貞を卒業したもんだから、そういう軽口を叩けるんですよ。
でも今は「包茎の研究です」って答えるんですね。そうするとみんな青くなって下を向いてしまうんですよ。まあ、自己申告してるようなもんなんですけれども。でも、ライトに包茎が語れるようになったと思われる現在でさえ「まだ気に病んでるんだな」「仮性包茎コンプレックスっていうのは、卒業が難しいんだな」っていうことは、すごくよくわかりました。
なので包茎のコンプレックスとかも、カミングアウトしやすくなるんじゃないかという件に関しては、まだまだじゃないかなと思います。その「いや僕も童貞です」と言ってきた人たちは、恐らく本当に童貞を卒業している人たちなので、だから「童貞です」と言えるわけで。本当の童貞の人たちが「童貞です」って言える雰囲気はまだかなって思います。
本当に童貞は増加しているのか?
澁谷:
30~34歳の童貞のパーセンテージってあんまり変わってないんですよ、30年前から。確か1987年位が27%だったかな。それで2015年が25、26%とかその辺なんですね。あまり差がないんです。
だから、童貞が増えたとか、高年齢童貞が増えたとか、日本の男は性的なパワーが減退したのかみたいなことも言われるんだけど、それを裏付ける数字【※】っていうのは私は見たことないんですよね。
※それを裏付ける数字
上に挙げている数字は第15回出生動向基本調査による独身男性の「性経験なし」の割合です。 「割合が30年前と同水準であっても、未婚者の数が増えているので童貞の数も増えているのでは」という疑問があるかもしれません。それは当たっています。ただし、30~34歳の「性経験あり」のパーセンテージも30年前と同水準もしくは微増しているので(68.3%→70.1%)、童貞だけがやたらと増えているわけではありません。対象を18~34歳に広げても同じこと(53%→54.2%)。童貞も非童貞も増えているのに片方だけを取り上げて騒ぐ人びとには、たんなる事実の指摘以外のなんらかの「意図」があると見るべきでしょう。(澁谷)
ただその「童貞が増えている」という説は常にあるんですよね。セックスの記事が沢山出ていた70年代でさえ「男の人は、だんだん性的にパワーがなくなっている」っていう言説がありましたから。だから、「男が弱くなった言説」っていうのは、常に存在するものなんですよ。その裏には、「男は強くあれ!」という価値観があるわけですよね。
だから「男は強くあれ!」という価値観が存在する限り、「最近の男は弱くなった」という言説は、何百年も続いていくんだろうなと思っています。
童貞を貶めているのは、非童貞の男
澁谷:
まず、童貞を貶めているのは誰かというのを突き詰めるところからだと思うんですよ。端的に言うと、男性なんですよね。もう童貞ではなくなった男性たちが、「童貞卒業しろよ」とか、「童貞気持ち悪いよ」というような言説を作っているわけです。
それは1980年代までは非常に見えやすかったんですよ。雑誌を作っている人たちっていうのは、だいたい男性編集者で、男性誌にそういう言説が載っていたから。
でも今って敵がちょっと見えづらいんですよね。
女の子も一部の人たちは、男の人たちが言う言説の尻馬に乗って、「童貞とか気持ち悪い」と言うし。でも、その元々の言説を発信しているのは、男性だったりするわけなんですけども。
そういうところで目につくのは、やっぱり女性なんですよね。女性が男の人を評価する中で、「童貞って気持ち悪いもんなんだな」って言ってる。じゃあそういう俺たちを貶めるような女を懲らしめなきゃいけないということで、それで、はあちゅう【※】さんが攻撃されたとかっていうのもあると思うんですね。
※はあちゅう
ブロガーのはあちゅう氏が過去に自身のツイッターで童貞の男性をからかうような投稿を繰り返していたことに関して、「ハラスメントでは?」と批判的な声が殺到した。
でも大本の「童貞は気持ち悪い」とか「男は一定年齢になったらセックスするもんだ」という価値観を作っているのは男性なので、自分たちの先輩。もし童貞で苦しいっていう人がいるなら、「自分を苦しめる大本は、あなた方の先輩ですよ」ということを認識してもらって、そこから自分がどう動くかを考えることが重要なのかなって思います。