いかりや長介がテレビで見せなかった姿をドリフのメンバーが振り返る「舞台が火事になったとき長さんが一番慌ててたんだよな」
1977年に放送が開始されたザ・ドリフターズと豪華ゲストによる爆笑コントバラエティ『ドリフ大爆笑』(以下、大爆笑)。ニコニコ生放送では加藤茶さん、高木ブーさん、仲本工事さんをお迎えし、BSフジで放送された『ドリフ大爆笑』のコメンタリー番組をお送りしました。
司会を務める高木さんの愛娘・かおるさんの進行で、生放送中に発生した火事のハプニングの話題など、当時の舞台裏や、今は亡き、いかりや長介さんとの思い出を語っていただきました。
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「毎週ネタを考えるのが苦痛だった」多忙の当時を振り返る
かおる:
きょう放送するのは『ドリフ大爆笑』の第一回の放送を再編集したものです。当時、加藤さんが33歳、お父さん(高木さん)が43歳、仲本さんが35歳。
仲本:
若いね!
加藤:
ものすげぇ遊んでた頃だな(笑)。
かおる:
その頃の思い出とかありますか?
加藤:
ただただ忙しかったな(笑)。だからあまり覚えてない。
かおる:
当時は毎週『8時だョ!全員集合』(以下、全員集合)で忙しい中、月一回のペースで『ドリフ大爆笑』がスタートすると聞いたときは、どんな気持ちでしたか。
加藤:
新しい仕事が増えるのが嫌だったよ(笑)。
一同:
(笑)
加藤:
忙しくなるのがすげぇ嫌だった(笑)。最初は『ドリフ大爆笑』は一週間に一回の放送だったよね。
仲本:
最初はね。
加藤:
それが一カ月に一回になったのが、何年か経った後だった。だからそれまでは毎週ネタを考えてたんだよ。
かおる:
『大爆笑』は収録、かたや『全員集合』は生放送。だから気持ちも全然違いますよね。
加藤:
『全員集合』でやったものを、かぶらないようにやらなきゃいけないからね。それでネタの量も多いんだよ。
高木:
放送時間も長いしね。
加藤:
ネタを考えるのが一番つらかったな。最初のうちは、どんどんネタが出てくるからいいの。ところが、出なくなるとピタっと出なくなる。
仲本:
止まっちゃうね。みんな不機嫌になるしね(笑)。
雷様コントの高木ブーのセリフは素だった!?
かおる:
視聴者からのお便りが届いています。(メールを読む)主にネタを考えていたのはいかりやさんだとのことですが、三人からも「こんなネタはどうか」など提案したネタはあったのでしょうか。そういうとき、いかりやさんはどういう反応ですか。
仲本:
長さんは結構厳しかったよな。
加藤:
ネタ会議で「こういうネタがあるんだけど」というのを、発表するんだよね。周りがドーンとウケるとオッケー。笑わないとボツ。
かおる:
テストみたいですね。
加藤:
だからウケないといけないから、ネタを考えて提案するのも大変だったな。
かおる:
雷様のコントは長さんが提案したんですか。
高木:
あれは最初、五人でやってたんだよね。
かおる:
そうだった。そのときは五人全員同じ色の衣装でしたよね。三人になってから色が分けられたんだった。
仲本:
あれは「高木さんに喋らせよう」というのがテーマだった(笑)。
かおる:
雷様のネタはお父さんが考えたの?
加藤:
あれは考えたんじゃなくて、本心だよ(笑)。
高木:
そうそう、そのまんま(笑)。
一同:
(笑)