『メアリと魔女の花』は何がダメだった? 「スタジオジブリを薄めたような作品」岡田斗司夫氏が語る
米林宏昌監督は人間嫌い!?
岡田:
中身で言うと、キャラが少ない。メアリと、メアリと一緒に住んでいる叔母様と、家政婦さんと庭師、あと彼氏みたいなやつ、あとはメアリをさらうマダムという魔女と、その魔女の横にいるドクター、この7人だけで話を1時間40分回す。
途中でメアリが間違われて、魔法大学に入学するんだけど、魔法大学の奴らが全員お面をつけているんだよ。お面をつけているからといって不気味なキャラクターではなくて、みんな学生食堂で飯食うシーンとかあるんだけどさ(笑)、みんな表情がなくて、描きたくないんだよね。この7人以外に話を増やしたくないのがよくわかる。
あとメアリが街にお使いに行くシーンでも、街に人気が全くなくて、途中でマダムと伯母様みたいな人が、実は因縁みたいなことがあって、魔女が追いかけて来た時に、叔母様とエンカウントしないんだよね、久しぶりの再会のはずなのにね。これはね、米林宏昌監督が人間嫌いなんだよ、手抜きとかそんなんじゃないよ。
作画とかにはものすごく手間がかかっているよ、クライマックスで動物とかがうわーっと溢れてきて、なんかねジュマンジみたいに動物が溢れてくる。その作画の本流を見ているとね、この監督の病的な感じが(笑)、俺人間嫌いですから! っていうのが、『思い出のマーニー』とか『借りぐらしのアリエッティ』を振り返ったらやっとわかるんだよ。
『思い出のマーニー』とか『借りぐらしのアリエッティ』に感じていたあの不思議な感じって、あれはあの世界だったから良かったんだけど、いよいよじゃあジブリのメインストリームというのをひっさげて、同じ大物を使いますっていう時に、米林監督の人間嫌いというのがまともに出ちゃうんだよな。
だからこれね、改善策としてはね「おそ松さん」にすればよかったんだよ。『おそ松さん』の新作って、こんまんまの設定でやったら、このキャラの少なさとか、大仰なお話とか魔法世界とか、実は他のキャラクターは割と仮面みたいなのをかけているとか、全て長所に変換されちゃうんだよね。
『メアリと魔女の花』はジブリのパロディーにすればよかった
岡田:
水とかがジブリっぽくて、秘伝のタレを盗んできたような感じというのも、これも『おそ松さん』だったらよくぞパロディーをここまでの作画でやったということで、みんな誉める。たぶん全く同じ話のメインキャラクターを『おそ松さん』にするだけで、ものすごい評価が上がったと思う。
キャラの少なさというのも、メアリ、叔母様、マダム、この3人。この3人は実は魔法というものに対して、どのように生きていくのかっていう1つのキャラクターを3つに分裂させただけのキャラクターなんだけど、これもね、おそ松、カラ松、チョロ松とかに分けちゃえばよかったんだよね。
途中で博士みたいなのが出てくるんだけど、その博士はもうデカパンでいいし、ピーターっていう恋人いるんだけど、チビ太でOKだし、昔の叔母様の美少女時代はトト子ちゃんで大丈夫だから、本当にね『メアリと魔女の花』って『おそ松さん』にしたら世紀の大名作になったのに、もったいないことをしたな、というのが俺の感想だよね。
岡田:
映画始まったら、スタジオポノック第1回作品って出るんだけどさ、このメアリの横顔のペンシル画がでるんだよ、所謂ジブリでいうところの『となりのトトロ』ね。俺もう正気か!? と思ったよ。これからポノックが何を作ろうが、みんなメアリを思い出してしまうことになるんだけど(笑)。
ラストのスタッフクレジットを見たらさ、ディズニーがちゃんと出資してるんだよね。ディズニー大丈夫か!? 宮崎駿が帰ってきたから、もう資本はポノックから引き揚げてた方が良いんじゃないか。
最後でエンドクレジットを見たら、スタッフクレジットが出るじゃん、最後「感謝」って書いてあって、高畑勲、宮崎駿、鈴木敏夫って出てくるんだけども、「スペシャルサンクス」っていうのは、時々映画で見るんだけど、「感謝」って見たことないから(笑)。
昔『ゲド戦記』やった時に、鈴木敏夫が何が何でも、スタッフクレジットに宮崎駿をいれようとして、レイアウトとか、やってない。原作協力とか、やってない。じゃあ企画協力、そんなもん俺やってない! という風に宮崎駿に全部反対された。最後に鈴木敏夫が、「父親」っていうアイデアを出して、テロップに「父親、宮崎駿」っていうのを出そうとしたっていう話があって、それもおじゃんになったんだけどもさ(笑)。
「父親、宮崎駿」を超えるスタッフリストはないだろうけども、今回「感謝」というのはなかなかね、ひっくり返ったよ。
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