『鋼の錬金術師』ヒットの理由を現役漫画家が分析――等価交換が意味するもの、エドの腕がない理由、鬼滅に受け継がれた“兄弟モノ”の系譜とは?
『鋼の錬金術師』は連載終了から10年以上経っても未だに根強い人気がある大ヒット漫画作品です。
単行本の累計発行部数は7000万部を越え、最終話が掲載された月刊少年ガンガンは通常の2割増しの発行部数だったにも関わらず完売してしまったため、最終回が2ヶ月後の号に再掲されたという伝説もあります。
荒川弘氏によって描かれた本作についてニコニコ生放送「山田玲司のヤングサンデー」にて、漫画家・山田玲司氏が、漫画家ならではの視点で解説を行いました。
山田氏は本作のテーマは「身体性の喪失」であると語り、連載が開始された2001年当時、浮足立つ日本に対する作者からのメッセージなのではないかと考察。奥野晴信氏と久世孝臣氏、シミズ氏とともに、作品の背後にあるテーマを、当時の日本の時代背景を交えながら読み解いていきます。
※本記事はニコニコ生放送での出演者の発言を書き起こしたものであり、公開にあたり最低限の編集をしています。
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■身体性を取り戻せ――『鋼の錬金術師』が生まれた時代背景
山田:
『鋼の錬金術師』通称『ハガレン』の冒頭を少し話すと、主人公は二人の兄弟です。表紙に描かれた手前がお兄ちゃんのエドくんで、後ろが弟のアルくんですね。兄弟がお母さんを蘇らせるために、禁断の錬金術に手を出してしまう。
そして、錬金術に失敗して、お兄ちゃんは腕と足を失い、弟が体を失ってしまうわけです。体を失ってしまったと言っても、残った魂が鎧に宿っているのが弟の姿です。
久世:
作者の荒川さんの女性キャラの描き方がいいんです。『ハガレン』に出てくる女性は全員ちょっとふくよかなんですね。そのことに対して荒川さんは「スタイルがいい女性だと、ご飯を食べさせてもらってないみたいでかわいそうだ」「だからうちの子たちはちょっとふくよかなんだ、ご飯をちゃんと食べているんだ」ということをどこかで語っていました。
山田:
「キャラクターにご飯食べさせなきゃいけない」という考えは、荒川さんの育った家庭にルーツがあるのかもしれない。
73年生まれの荒川弘さんは、超有名な話ですけど男性ではなく女性の漫画家さんです。
荒川さんは北海道の酪農をやっている家庭に生まれているんですけど、お姉さんが3人、弟が一人という兄弟が多い家族構成です。北海道の酪農家の大家族の中で生まれ育っている方なので、メンタリティとして自然のなかのたくましさがある。あと、荒川さんは空手をやってます。
シミズ:
たしかに空手をやっている自分から見ても、戦闘の描写が上手だと思いました。
山田:
つまり、「体を使って生きている」暮らしである酪農や空手の経験者である要素が背後にあるわけですね。2000年代に入ってからのタイミングで、「体を使って戦う」ということをファンタジーで表現した、というところがちょうど時代にぴったり合って良かったんだと思うんですよ。
奥野:
僕もそうだと思いますよ。2000年に入る5年ぐらい前は、本当に世紀末だったり終末的雰囲気のものばかりで、体・フィジカルは置いてけぼりにどんどんなっている感じでした。
そして2000年になってどう身体性を取り戻すのかっていうのを、荒川さん自身はすごく自然に自分の持っているものをぶつけて描いた結果、生まれたのが『鋼の錬金術師』だったのだと思います。
山田:
漫画家が好きなものをぶつけたら、時代にぴったりだったパターンですね。特に、語り口をファンタジーにしたのが大正解。
『鋼の錬金術師』の直前では『新世紀エヴァンゲリオン』に代表される身体性を失って死んでいくような作品が世の中に受け入れられていました。その一方で殺し合いそのものを描いた小説『バトル・ロワイアル』や災害からサバイバルする漫画『ドラゴンヘッド』があって、さらに社会の底辺から脱出しようとする漫画『賭博黙示録カイジ』と続きます。まさに「弱肉強食」みたいな時代が始まったわけです。
そういう時代に、荒川弘さんによる身体性のメッセージを持って登場したのが『鋼の錬金術師』というわけです。
■デジタルネイティブ世代に刺さった『ハガレン』“錬金術=テクノロジー万能説”
山田:
身体性の他にもうひとつあるテーマはギリシャ神話の“イカロスの翼”ですね。つまりロウで作った羽で飛んで太陽に近づこうとしたイカロスは、ロウの羽が溶けちゃって地面に落っこちちゃったという「神に近づきすぎた者は翼をもがれる」寓話です。作中で錬金術師は、禁断の技術を使って神に近いようなことをします。
「テクノロジーが発展すれば、パソコン一台で何でもできる!」みたいな2000年代はじめのネットの申し子、デジタルネイティブたちが台頭する時代に刺さったのはこの部分だと思います。
この時代にネットで流行っていた言葉がありましたよね。そう「神」です。このときは「神」「神」言っていましたよ(笑)。テクノロジーやグローバル社会に、前の世代が古くてついてこられないから、そこに最初に飛び込んだネットジェネレーションは、そこに万能感を感じたと思うんだよね。
主人公のエドが頭脳派というところにも表れていると思います。それまでの漫画だと、頭脳派キャラのなかに“パソコンキャラ”っていうのがいたんだよね。パソコンに秀でたやつがカチャカチャやっているっていう……これは未だに続いていますけど(笑)。
奥野:
頭脳派主人公ってこの時代からいろんなジャンルで流行ってきたと思います。ギャンブル漫画やカードバトルの『遊☆戯☆王』だって……。
山田:
でも、『鋼の錬金術師』はテクノロジーへの警鐘からはじまっているんです。描かれているのは、神になろうとしたその後の話ですから。つまり「イカロスの翼」の神話でいうと、翼をもがれた状態からはじまるということです。
科学っていうものが万能感を持って神を超えるんじゃないかっていうことに対する荒川さんの「おいおい待ってよ」ツッコミです。
「個人的な欲求のために、神の領域に手を出していいんだろうか?」という疑問ですね。ところが、現実はテクノロジーに優れた若者ほど偉いという時代にスイッチしてきているわけです。
さらに、さっきも紹介した『バトル・ロワイヤル』以降の本音である「世の中綺麗ごとじゃねえんだよ」という手を汚しても生き残る気持ちみたいなのが『鋼の錬金術師』はすごくよく出ていますよね。
■『鋼の錬金術師』のエド・アル兄弟と『鬼滅の刃』の炭治郎・禰豆子兄妹の相関
山田:
身体性とテクノロジーの話をしたところで、『鋼の錬金術師』のエドとアルの兄弟と『鬼滅の刃』の炭治郎と禰豆子の兄妹を比較してみると時代の移り変わりがわかるようになっています。
まず、『鋼の錬金術師』では兄のエドは錬金術でなんでも作れる半分神様のような存在です。そして弟のアルは兄を支える、神様ではない庶民として身体を失った犠牲者として出てきます。『鬼滅の刃』ではこれが入れ替わっています。つまり、半分鬼になってしまったのが守られる存在であるはずの妹の禰豆子です。そして兄である炭治郎は、妹を支える存在として登場します。兄弟の関係が入れ替わっているんですね。
これは何を表しているかというと、『鋼の錬金術師』の頃はアルは始めの頃は守られる存在として登場するんですけど、『鬼滅の刃』の時代になると、本来なら守られる存在の妹の禰豆子でさえ半分鬼となって戦う側に回っていくようになったということだと思います。「守られる側も戦え」というフェーズに入ったということでしょうね。
これは荒川さんが『鋼の錬金術師』で予言していた通りです。つまり最終的には「錬金術なんかで解決しないぞ」っていうテーマにつながってきます。
つまり、錬金術のようなテクノロジーとか魔法で解決しようという発想がそもそも駄目ですよっていうツッコミから『鋼の錬金術師』はじまっていて、それが『鬼滅の刃』では庶民が庶民のまま戦うということにつながってくるわけです。
自分を“神”だと思ってしまっている若者たちに「身体性を取り戻せ」というメッセージ、つまりアルと自分の体を取り戻す物語に結びつきます。
■なぜ主人公のエドは“軍の狗=公務員”なのか?
山田:
ここまでの話をまとめると、錬金術が表すものとしてテクノロジーというものを紹介しましたが、『鋼の錬金術師』の盛り上がりは当時のインターネットの盛り上がりに重なるわけですね。
つまり、90年代から00年代にかけて、IT革命で世界がカジュアル化していく時代に身体性をテーマにした『鋼の錬金術師』はそれに対するカウンターじゃないかと、どうしても思ってしまいますね。大切なものを失った「改造人間」モノとしての『鋼の錬金術師』は70年代に流行っていた漫画作品の要素がたくさん入っています。
たとえば『鋼の錬金術師』には国家錬金術師を表すマークが出てくるのですが、それが六芒星をモチーフにしています。このマークは荒川さんが生まれた頃、70年代の第一次オカルトブームのときにめちゃくちゃ流行ったんですよ。これをもう一度持ってきているわけですね。
70年代に流行っていた漫画作品の要素と言えば、絶対に外せないのが作中で何度も登場する「軍の狗(イヌ)」という言葉ですね。70年代から80年代の前半にかけて流行った『スケバン刑事』という作品には「何の因果か警察(マッポ)の手先」って名台詞がありましたよね。
つまり、キャラクターとしてはアウトローだったり、「大人なんか誰も信じない」って思っているんだけど、体制側の中にいる存在を指しています。それは学生運動の敗北もあって、物語の主人公たちがが反体制側から体制側に寄っていくことの葛藤が表されているんですよね。「軍の狗」って言葉にはその苦しさが象徴されています。
だけど体制側のメリットも大きいわけですね。つまり勝ち馬に乗っていたほうがいいんじゃないかっていう、当時のみんなのメンタリティみたいなものが、エドというキャラクターには乗っかっていると思います。
久世:
主人公のエドは「国家錬金術師」という仕事に就いていて、少佐相当官と言われています。国家公務員として見ても高い地位だと思います。
山田:
エドは給料もめっちゃ良さそうだよね(笑)。
やっぱり、お母さんはちゃんとしたところに就職して欲しいんですよ(笑)。軍隊でもミリタリーの迷彩服じゃなくて、将校さんの立派な制服を着てほしい。子供の将来は変なフリーターではなく、しっかりしたところに就職してほしいということですね。
奥野:
アウトロー的な気質は持っていてもいいけど、ちゃんとしたところに属して、ちゃんとした服を着てくれってことかな……。就職氷河期の真っ只中でしたしね。
山田:
この頃から、小学生の夢に「公務員」が上位に入ってきます。時代が不安定になってくると、安定したところに入りたくなりますから。
奥野:
そのあたりで不良漫画が、どんどん小さくなっちゃうんですね。本当に時期が重なっていると思います。もうアウトローが流行る時代じゃなくなっていった。
山田:
アウトローの文脈で、唯一残っていたのがベンチャー企業的なものだったと思うんですよ。『ONE PIECE』のように、少ない仲間と旅を続けて、いつかここではないどこかへ行きましょうみたいな。それが一つの潮流として残っていくんですけど、それも時代が下っていくにつれて折れていきます。
さっきも言ったけど、体制側にいる苦しみが「軍の狗」という言葉に象徴されていて、後ろめたい状態でもあるわけですよ。
「社会や制度が狂っている、間違っている、けれどそこにいなきゃいけない」。軍は間違っているけど、そこにいなきゃいけない自分に納得がいっていない。それがまた作品にとって、いい要素だと思う。
久世:
「軍の狗」になるメリットはたくさんあるんですけど、逆にデメリットもあるんです。高い報酬や通行証がないと入れない所に顔パスで入れたりする代わりに、戦争が起きたらどんな少年でも最前線に立って人間兵器として戦わなければいけないとか。
山田:
現実においても、大企業に就職したものの「俺は結局“軍の狗”なんじゃないか?」と思いながら生きなきゃいけない人生が待ってるわけです。『鋼の錬金術師』は、そういう葛藤も引き受けた作品というわけですね。
■バブル崩壊を経て日本が“等価交換”で失ったもの
山田:
もうひとつ、身体性の他に『鋼の錬金術師』は何がテーマだったかと言いますと、明らかに「喪失」がテーマだと思います。この作品はまずお母さんを失っていますね。さらに弟は体を失ってしまって、魂だけ残っている。弟だけでなく、エド自身も身体欠損している。
これは、日本は戦後3回敗北しているという話につながってきます。つまり、1回目が1945年に太平洋戦争で負けて、次に1969年に団塊世代の学生運動で負けて、3回目にバブルで負けているんですよね。
乱暴な言い方をしますと、負ける度に日本が失ってしまったものがあります。1回目の敗北で文化と伝統、神を失いました。2回目の敗北で団塊世代が理想を失ったんですよね。
その後のバブルで「金がありゃいいんだ」っていう時代に入っていくことになり、関係性や信頼などたくさんのものを失っていきます。
『鋼の錬金術師』は、実は『仮面ライダー』のような70年代の“サイボーグ戦士モノ”の系譜にあります。さらに言うと、『仮面ライダー』は敗戦で身体を失ってしまった傷痍軍人が隠されたモチーフになっています。身体を失ってしまったハンデをテクノロジーが補ってパワーアップしたヒーローの系譜ですね。
そしてエドは、失った身体性をテクノロジーで補う現代の私たちそのもののメタファーになっています。
ここでもう一つのテーマ「失ったものは“等価交換”としてテクノロジーで補う」が登場します。
日本はまさにバブル経済の恩恵を得て、身体性を等価交換で失ったわけですよね。60年代の経済的な繁栄を得て、等価交換で理想を失ってしまった。何かを得て何かを失う「等価交換の原理」が『鋼の錬金術師』を貫いているテーマですよね。
これが00年代の、ギブアンドテイクの思想というか、「努力しなかったものは得られない」という自己責任論にもつながってくると思います。
等価交換というテーマは当時の時代の空気のなかに強くあったんですよ。だから何かを得た代わりに何かを失ってしまう腑に落ちなさを、エドは取り戻すしかなかったのかもしれません。
奥野:
荒川さんが酪農家というところで、ちょうど『鋼の錬金術師』が始まったあたりの2002年からテレビドラマの『北の国から』が作られなくなってるじゃないですか? それもこの漫画のメッセージと関係があるような気がしますね。
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