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ベートーヴェンの「第九」はナゼ年末に演奏されるのか? 楽曲の誕生秘話やトリビアをやさしく解説してみた

 今回紹介する、坂蛇.多分クラシック解説神社さんが投稿した『[ゆっくり解説]ゆっくり霊夢と学ぶ「誰でもわかる!クラシックの楽曲」Vol.2「第九」』では、音声読み上げソフトを使用して、ベートーヴェン作曲の『交響曲第9番』、通称「第九」の誕生の歴史や、日本で年末に演奏されるようになった背景について解説していきます。


「第九」ができるまでの道のり

霊夢:
 まずは曲が作られるまでの歴史を簡単にさかのぼってみましょう。ベートーヴェンが生まれたのは、だいたい江戸時代にあたります。諸説あると書いたのは、彼が少しでも若く見せるために、あえてごまかした説が存在するからです。

 17歳で天才と呼ばれていたモーツァルトと初めて会ったそうです。正式な記録にはないので、真偽のほどはわかりません。フランス革命中にハイドンと面会したそうです。演奏の腕前が認められ、さらに音楽家として名声を得ます。しかし音楽家としての活動に陰りが見えてきます。

 それはなんと難聴です。音楽家としては難聴は一種の死です。しかし、そんな病気も交響曲を制作することで何とかします。耳が聞こえないので、演奏家としてではなく作曲だけで生きていくことになります。

 そしてたくさんの有名な交響曲がこのあたりで作られるようになりました。5番は有名で、教科書にも鑑賞として掲載されています。この頃の日本は鎖国に陰りが見えてきます。10年の間が空いて、最後の交響曲を完成させます。それが『交響曲第9番』です。「第九」として親しまれていますね。

 初演は成功したものの、大成功と言えるような曲ではありませんでした。そして初演の3年後にはお亡くなりになりました。葬儀はウィーン市民2万人が集まり、大規模に行われました。当時同じ作曲家だったシューベルトも参列しており、彼はこのような言葉を残しています。「この中でもっとも早く死ぬ奴に乾杯!」。そのように言うと、周りの友人はその様子を心配したそうです。

 そんな不吉な言葉通りに、翌年に亡くなってしまいました。その後はワーグナーが復活演奏を行い、大成功をおさめます。

 それ以降、記念演奏や年末に演奏されることが多くなりました。日本でもその伝統が巻き込まれ、群馬交響楽団が演奏して以来、全国各地で年末あたりに「第九」が演奏されています。

「第九」が年末に演奏されるようになった理由

 曲の背景にも年末に行われた理由が一部書かれています。まず、ベートーヴェンが亡くなってから「第九」は演奏されませんでした。副題にもある通り、交響曲に「合唱」がついており、演奏時間の長さ、曲の難易度が関係しているそうです。そんな「第九」を復活させた人物がワーグナーです。

 前代未聞の演奏会は多数の反対意見がありましたが、それらを押し切って徹底したリハーサル、曲の紹介をしていたそうです。その結果大成功をおさめました。

 ワーグナーが演奏会を開いたことを発端に、各地で「第九」が演奏されるようになりました。日本では1940年12月31日に、紀元二千六百年記念行事の一環として、ラジオで生放送が行われました。客を多く呼び込むために、戦後にも日本交響楽団は「第九」を年末に取り上げ、この頃にはすでに年末に演奏される曲として認知されていました。

 「第九」人気に追い打ちをかけたのが、群馬交響楽団です。

 群馬での演奏会が大成功をおさめ、全国各地で「第九」が演奏されるようになりました。

 動画内では第三楽章における聞きどころや、歌詞の和訳なども詳しく紹介しています。解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画をご視聴ください。


お知らせ

東京交響楽団による特別演奏会【生誕250年・コロナ禍での「第九」】をニコニコ生放送で配信決定!
※3,000円の有料放送となります。

▼動画をノーカットで楽しみたい方は
こちらから視聴できます▼

[ゆっくり解説]ゆっくり霊夢と学ぶ「誰でもわかる!クラシックの楽曲」Vol.2「第九」

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