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初音ミクの歌声を分析してみた――音響学のエキスパートがボカロに科学的視点でせまる! 周波数、波形、歌唱法…“電子の歌姫”だけが持つ魅力とは?

 2007年にリリースされて以来、10万曲以上の歌の題材にされているという電子の歌姫――ボーカロイド・初音ミク

 当時、まだ多くが無名だったボカロPと呼ばれるクリエイターによって次々と名曲が生み出され、その度にネットは“祭り”に沸いた。その盛り上がりは国内だけに留まらず、2010年から米国での売上が急増。翌年にはGoogleのCMに起用され、単なる音声合成ソフトであるはずの初音ミクは、この日世界的なアーティストとなったのだ。

 数多くリリースされた後発のボーカロイドと共に初音ミクの輝きは今なお色褪せず、2020年現在、スマホゲーム『プロジェクトセカイ』にかつての名曲が配信されるたびにツイッタートレンドを賑わせるのは恒例となっている。

 なぜ、初音ミクはボーカロイド特有の無機質な声でしか歌えないにもかかわらず人々を魅了することができるのだろう?

 本企画は、初音ミクの歌声を科学的に考察することで彼女の魅力にせまる、ひとつの試みだ。解説をおこなう金沢工業大学の山田真司教授は音楽や声が人の心にどう影響を与えるのかを研究するため、日夜あらゆる音……「萌え声」や「ボカロ」に至るまで分析しているという音響学のエキスパートだ。

山田真司教授

 山田教授には初音ミクが持つ生身の歌手にはない唯一無二の魅力について解説していただいたほか、実在する歌手との歌声の比較ボーカロイドが音楽シーンに与えた影響にまで話は及んだ。

 自身について語ることのない電子の歌姫に代わり、微力ながら本記事が彼女の魅力を伝えることにつながれば幸いだ。

取材・文/トロピカルボーイ
サムネイルデザイン/犀川


歌声に“魅了されている状態”を生理学的に検証する

――本日は、よろしくお願いいたします。山田先生はボカロも研究の視野に入れた音響学を専門にされているとのことですが……これまでに印象に残っているボカロ曲はあったりしますでしょうか?

山田:
 やっぱり「初音ミクの消失」が最高に良かったですね! あれは何回も聴いていますし、もちろん動画だって何度も見ています。

 他の人間の歌手には歌えないくらい高速で歌っている初音ミクならではの曲なのですが、歌詞を覚えてカラオケで歌ってやろうと何度も聴いていましたね。

――まさに、そうした初音ミクの歌声の正体に迫るような取材になればと思います。そもそも魅力ある歌声とは音響学的にはどのような定義なのでしょうか?

山田:
 それがね、実はよくわからないんです。

――よくわからない?

山田:
 もちろん、歌声を学術的に分析する方法はあります。たとえば、心理学的な方法だと、ラッセルっていう人が実験で「感情の円環モデル」という図を作りました。

「感情の円環モデル」
(R. A. Russell, “A circumplex model of affect,” J. Personality and Social Psychology, 39, 1161-1178 (1980)を基に作成)

 図の右側にいく程「快い」、左側にいく程「不快」。上にいくと「覚醒」、下にいくと「沈静」です。これをつかえば、喜怒哀楽のような基本的な感情を全部表せるようになっています。

 さらに、テンポや音量、スタッカートかマルカートか、といった音楽の要素とこの感情の円環モデルとの関係も、ある程度分かっています。
 例えば平均テンポが速くて、大きい音で、スタッカートだと、快くて覚醒した感情を生みます。

――聴いた人が抱く感情を「快・不快」「覚醒・沈静」で説明できる、ということですね。ボカロ曲はこの図のどこに位置するのでしょうか?

山田:
 多くのボカロ曲であれば「覚醒の快」寄りに位置づけることができるのではないでしょうか。

――では、心地よい歌声はこの表のどこに分類されるのでしょうか?

山田:
 「心地よさ」というのは、快さと同じと考えていいと思います。快さについて説明する前に、覚醒・沈静について説明したいと思います。そもそも覚醒・沈静という状態は、生理学的に説明すると、交感神経系の活動か、副交感神経系の活動かの違いになります。
 なので、ラッセルの図の上にいくと交感神経系の活動、下にいくと副交感神経系の活動と言い換えることができます。このことに対応する生理的な指標っていうのは沢山あります。例えば血圧とか血流量とか、それから体温やどういったホルモンが聴いたときに分泌されているかということを調べるわけです。

 しかしもうひとつの軸である「快・不快」は生理的な指標との対応があまりよろしくない。気持ちいいときにドキドキして汗をかくし、気持ち悪いときにもドキドキして冷や汗をかきますよね?

――なるほど、たしかに。沈静には明確な指標があるが「心地良い」と感じているかどうか、つまり「快・不快」は計測しにくいわけですね。

山田:
 そういうことです。生理学的にそこにアプローチするのは難しいんですよね。
 しかし、心理学的なアプローチ……つまり心理測定・知覚実験というやり方をすると、ある程度「快・不快」の指標は見えてきます。数多くの形容詞、例えば美しい-汚い、迫力がある-弱々しい、明るい-暗いなどの軸を用意して、この軸の上で程度を答えてもらうのです。このような心理実験から、快-不快の度合いを示すことができます。心理実験は、アンケートと勘違いされることがあるのですが、120年ほどかけて、心の動きを捉えるために発展してきた科学的な方法です。

初音ミクの歌声にはオペラのソプラノ歌手と同じ特徴が

――人々を魅了する歌声とはこれだ! ということを音響学的に言えないとしても初音ミクの歌声の特徴は分析できるわけですよね?

山田:
 初音ミクの歌声は、音響学的に言うと「音韻性が悪い」という特徴があります。つまり、何を喋っているのか歌詞が聞き取りにくい特性を持っています。

 例えばこちらのスライドの2つの波形に注目してください。これは人間が「あ(a)」・「い(i)」と言ったときの音の分析結果です。これはスペクトルと呼ばれて、どんな周波数がどれほど含まれているのかを示しています。

 一見すると「あ(a)」と「い(i)」のスペクトルは違って見えますが、釘のように出ている部分……周波数成分と呼ぶのですが、その位置は「あ(a)」も「い(i)」も変わりません。どの位置(周波数)に成分が現れるのかは、音の高さで決まります。成分が現れる周波数が同じということは、声帯の緊張の度合いによって決まる基本周波数が同じということです。
 では、同じ高さの音なのに、いったい何が違うと「あ」と聞こえたり「い」と聞こえたりするのかというと、周波数成分の頂上を結んでいくと、このような赤い線の山が2つずつ見えてきますよね?

 この盛り上がりをフォルマントと言います。2つのフォルマントがどこにあるかによって、音が「あ」に聞こえたり、「い」になったりするんです。「あ」は左側に2つ並んでいます。それに対して「い」の2つのフォルマントは離れていますね? このフォルマントに注目すると音を聞き分けることが可能になるわけです。

――声が高い人、低い人に関わらずフォルマントは存在するのでしょうか?

 基本周波数が200Hz(ヘルツ)だと、400、600、800、1000Hzと200の倍数の周波数に成分が出ます。こんどは基本周波数が400Hz、つまり高い音の場合には、この図のように400、800、1200Hzの所にしか成分が出ません。このようにスカスカなスペクトルの場合、どこにフォルマントがあるのかがわかりにくくなります。つまり、「あ」なのか「い」なのかが分かりにくくなります。

 初音ミクのような高音の歌声はこのように基本周波数が高くなることで、どこにフォルマントがあるかわからない、音韻性が悪い、つまり何を言っているのか聞き取りにくい声なのです。

――基本周波数が上がって、高音になればなるほど、音の区別はつきにくくなるということでしょうか?

山田:
 そうです。人間は、喉の奥にある声帯を振動させ、それを口の中で共鳴させることで声を発します。そして、口の形によってフォルマントの位置が変わり音が変わります。自分でやってみるとよくわかると思いますが高音の「あ」も、低音の「あ」も歌っているときの口の形は一緒ですよね? 音の高さは喉にある声帯の振るわせ方、緊張のさせ方によって変わります。

 初音ミクの歌声は、オペラのソプラノ歌手に非常に似た特性を持っています。歌詞を知らなければオペラのソプラノ歌手も何を歌っているのかよくわかりません。それと同じような特徴を持っているわけですね。
 初音ミクより後にリリースされた、「鏡音リン・レン」「巡音ルカ」というボーカロイドは、初音ミクより低い歌声の仕様になっています。ルカの歌う『ルカルカ★ナイトフィーバー』のような曲のほうがミクより聞き取りやすいですよ。
 おそらく巡音ルカは初音ミクというボーカロイドを踏まえて、技術者がより音韻性が良いソフトを目指した結果できあがったのでしょう。

――初音ミクの歌声の特徴はよくわかりました。気になったのは同じように人気があるという点で、生身の人気歌手と初音ミクの歌声には共通している特徴があったりするのですか?

山田:
 ありませんね。少なくとも「こういう特徴がありさえすれば人気が出る」といったものはないと思います。

――ないんですか!? なるほど……てっきり、初音ミクの歌声には他の多くの人気歌手に通じる要素があるのかと思っていたのですが……。歌声に共通点はなくても、何か人の心を掴む要素があったりしないのでしょうか?

山田:
 共通点がないのは、生身の歌手どうしであってもです。歌声にそれぞれ特色や違いはあれど共通点はありません。しかし、強いて言うならば時代ごとの歌姫と呼ばれる人たちにはある共通点があるように思います。

 それは、LiSAが『紅蓮華』で見せた非常に鋭い歌唱法や、絶妙な後ノリで歌う安室奈美恵、ささやくようなシャウトで歌うきゃりーぱみゅぱみゅというように、時代ごとの歌姫と呼ばれる人たちには、みな共通して唯一無二の表現の仕方、つまりオリジナリティがあります。

 初音ミクの唯一無二のオリジナリティは、聞き取りにくく無機質でぎこちない歌声ですね。まだボーカロイドの性能も良くないですから、電子的な無機質さが残っていますし、音韻性が悪いことを示すような音響データは沢山出てきます。他には、ボカロは人間と違いますから息継ぎが不要ですね。『初音ミクの消失』のようなテンポで歌うことは人間にはできないわけです。その意味で初音ミクは非常にオリジナリティが溢れている歌声の持ち主だと思います。

――確かにボカロ曲の歌詞は聞き取りづらいですが……それが逆にオリジナリティであるということなんですね。

山田:
 ボーカロイドのなかでも初音ミクは音域が高いので、特に音韻性が悪い特徴を持っています。ボカロ曲にアップテンポの速い曲が多いのは、しっとりしたバラードのような曲を歌わせちゃうと粗が目立ってしまうからですね。
 有名なボカロPさんだと、意図的に装飾音を入れたりして音韻の悪さをカバーしているように感じる曲もあります。

 初音ミクのボカロ曲って聴いていると眠くならないでしょう? 伴奏に高い周波数の装飾音が多くて、テンポも速くなる傾向があるので、先程のラッセルの図で言うところの覚醒する作用があるからです。 

歌を“見て楽しむ”動画サイトが、聞き取りづらいミクの欠点をカバーした

――ミクの歌声の特徴を解説いただいたところで、ではなぜそのような特徴を持っている初音ミクの歌声はブームを巻き起こすに至ったのでしょうか?

山田:
 あのブームは、単に初音ミクが現れたから起こったというわけではないと考えています。YouTubeやニコニコ動画の影響は物凄く大きいと思います。

 動画サイトができたばかりの頃は違法アップロード動画と、その取締りがいたちごっこをしていました。そのなかで、初音ミクは二次創作を推奨する戦略をとりました。演奏者としての権利を主張しなかっただけでなく、パッケージに描かれたキャラクターとしての初音ミクの著作権も放棄して、それをモチーフとしたイラストや動画をどんどん作ってくださいという戦略ですね。

ニコニコでは、2020年12月1日の時点で初音ミクに関連した動画347366本、イラスト101642枚、生放送1591番組が投稿されている。

――初音ミクって、楽曲だけではなくていろいろな表情やコスチュームのミクのイラストが溢れているのが楽しいんですよね。生身の歌手がイメチェンするとそれだけで大騒ぎですが、初音ミクだったらどんなミクでもアリというか。

山田:
 クリエイターにとって、初音ミクに関連したコンテンツは削除されないというメリットを持ったわけです。これにより、素人の投稿者にとって初音ミクは非常にいい遊び道具のように親しまれるようになります。

 2007年に初音ミクは発売されましたが、どんどん作品が投稿されるようになったのは2008年からです。まず誰かが初音ミクに関するものを制作すると、それを動画にしてみたり、編曲してみたりする一連の二次創作の流れが起きます。これは既存のアレンジとかカバーとは違って、楽曲や動画を常に未完成あるいは経過素材と位置づけることによって、リレーして作品をどんどん作っていくわけですね。
 すると、自然とクリエイター達が互いに苦手な部分を補完しあったり、『メルト』を作ったSupercellのryoさんのようにチーム活動を行うようになります。このようにして素人が次々参入してくる音楽ジャンルとして確立していったわけですね。

――そうやって、ボカロ曲から派生して、それを“歌ってみた”り“踊ってみた”りして違うジャンルにまで波及していくところが、当時のネットのうねりを作っていた気がします。

山田:
 ちなみにですけど、テレビに歌詞テロップが出るようになったのはいつ頃からかご存じですか? 確か、「ザ・ベストテン」というTBSが製作していた歌番組で、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」を披露したときに、桑田さんはわざと外国語のような歌い方をするので、「歌詞が分からない」と言われました。それで、歌詞のテロップが出るようになったんだと思います。

 その流れがあったので初音ミク作品が出るときには、YouTubeとかニコニコ動画だとテロップを出すのが当たり前になってたんですね。

――しかもテロップがなくてもニコニコ動画だったら親切な人が歌詞をコメントしてくれている動画もありますものね。

ボカロ曲には歌詞を大きく画面内に映す映像が付けられている場合が多い。
画像は『『初音ミク』千本桜『オリジナル曲PV』』ニコニコ動画より。

山田:
 アフターエフェクトという映像編集ソフトを使用して歌詞自体を色んな見せ方によって楽しませてくれますよね。しかも、それにはミクの歌の聞き取りにくさを補う働きもあります。

萌え文化によって後押しされた初音ミク

――初音ミクの歌声の特徴が、ぎこちなく無機質で聞き取りにい点にあることや、その欠点を動画サイトが補う関係にあったことはわかりました。しかし、それが愛される要因につながるものなのでしょうか?

山田:
 ぎこちない歌い方が親しまれたのは、萌え文化の流れにあるものだと思います。私なりの萌えの解釈ですが「お近づきになりたいけれど、倫理的・物理的・社会的な色んな要因でできない、あるいはしてはいけないという葛藤、この二つの気持ちを行ったり来たりすることそのものを楽しむ」ということだと考えています。

 ラブコメ漫画で好き同士なのになかなか一線を超えなかったり、長机を隔ててしか握手ができないアイドルや、物理的に触れることができない二次元キャラ、心を持たない無機質なアンドロイドに思いを寄せたり……。

――確かに、想いがすれちがってやきもきする感じとか一方的な片思いだったり、ほのかな恋心のようなニュアンスのある言葉ですよね。

山田:
 もう一点、萌えの文化には日本特有の歴史的な下地があったと言えます。例えば、平安時代の古典文学に源氏物語という作品があります。その作品に紫の君というエピソードがありまして、主人公の光源氏という貴族の男が、自分の亡き母の面影がある年端も行かない少女である紫の君に思いを寄せながらも手を付けつずに大切に育てるというものです。
 本当はその子と恋愛関係に至りたいんだけれども、まだ幼いからそういう関係にはならない。まだ未完成のぎこちないものを愛でて育てるという現代にも通じる日本人のメンタリティーがそこには描かれていると思います。

――「まだ未完成のぎこちないもの」……アンドロイドでぎこちない歌声を持つ初音ミクを大切に育てるメンタリティーが日本人にはあるのではないか? ということでしょうか。

山田:
 今年、映画が公開された京アニ作品の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。ヒロインのヴァイオレットは戦うことしか知らない兵士で、戦争で両腕を失ってしまいます。無表情でぎこちないキャラクターだったのが、作中でいろいろな人々と関わることで感情や人間性を取り戻していくんですね。

 初音ミクを「人間と変わらない音声ソフト」ではなく、あくまでアンドロイドに徹させる。人間のように歌おうとするけれども人間にはなれない、機械的でぎこちない歌声しか出せない初音ミクは、さきほどご説明したとおり、その点が魅力になっていると思いますよ。

 クリプトン・フューチャー・メディアもその点は意識しているがゆえに、はじめのパッケージデザインは無機質なアンドロイドのような造型になっているわけです。

左から初期のパッケージ『VOCALOID2 HATSUNE MIKU』と最新型のパッケージ『HATSUNE MIKU NT』 画像はAmazonより。

――確かにそういう意図であれば元の声優ではなく、アンドロイドのような二次元キャラをパッケージにするのも納得です。

山田:
 無機質でぎこちない歌声を逆に唯一無二の特徴として打ち出す。そして動画サイトで創作がしやすいように法律関係を整備する……。クリプトン・フューチャー・メディアの戦略性のすごさですね。これだけ初音ミクがブームになったのは、それらが上手くいったからだと思います。

初音ミク化していった生身の歌姫たちと、人間に近づこうとする初音ミク

――2011年前後の初音ミクのネットでの盛り上がりは、まさに熱狂といった感じだったと記憶しています。

山田:
 そうですね。そうなってくると、今度は実際の歌手が初音ミク化していく現象が起きました。中田ヤスタカさんがプロデュースしたPerfumeが典型的ですね。
 人間の方が機械のほうに寄せていったわけです。『ポリリズム』ではアンドロイドのような動作で、歌い方も声を張らずにささやき声みたいな歌い方をさせたりとか。歌唱音のピッチ……音の高さがずれてしまう人の声を強制的に正しいものに直す「Auto-Tune」というソフトを使用してあの歌声を作り出します。

――Perfumeの他にボーカロイドの影響を受けたアーティストにはどのような方がいるのでしょうか?

山田:
 人間のほうが初音ミク化していく流れで一番凄いと思った人が、元AKB48のまゆゆですね。渡辺麻友さんは、第3弾シングルで『ヒカルものたち』という曲をリリースしました。これは『気まぐれメルシィ』など多くのボカロ曲を手掛けた八王子Pさんが楽曲提供していてAuto-Tuneを使いまくったものになっています。

――これは……かなりストレートに初音ミクをオマージュしている気がしますね!

山田:
 そうなんです! あきらかに初音ミクをオマージュしているわけですね。

 人間側からより機械的な感じを目指すのは、初音ミクが世の中でめちゃくちゃ受けているからこそ起きる逆転現象ですよね。一方で、ボーカロイドの側からは、初音ミクのヒットを受けてより人間に近い音韻性が改良されたものが発売されていきました。
 無論、生身の歌手に歌わせたり自分自身が歌う方向に創作活動をシフトした米津玄師さんのようなボカロPも現れてきます。

――人間に近づこうとするボーカロイドと、ボカロに近づこうとした生身の歌手たち……両者が交わっているのが今なのでしょうか?

山田:
 ベストの折り合いがあるのか、それともすれ違うのか……自分としても見守りたいと思っています。
 私も関わったAIひばりは、機械の方が人間化する流れが究極のレベルまで到達した結果、「不気味の谷」に至ったのではと思っています。

AI美空ひばり
画像はNHK公式サイトより。

 「不気味の谷」というのは、たとえば精巧にできたお人形さんを見たときに「可愛い」と感じていても、リアルさがある一定のラインを超えると、急に不気味に思えるという現象のことです。美空ひばりの歌をAIに歌わせる試みに対して寄せられた多くの否定的な意見のうちいくらかは、不気味さに原因があったのではないでしょうか。
 見た目だけの話ではなく、AIひばりは音楽・歌唱音も不気味に感じてしまう部分もあったと思います。それは機械が人間の側に近づきすぎたがゆえなのです。

歌番組から生演奏が消え、生身の歌姫も消えていく――電子楽器が音楽シーンに与えた影響

山田:
 実はボーカロイドは革新的な技術を使用しているわけではありません。一人の声優さんにいろんな高さで「あ」とか「い」とか言ってもらったのを収録するんですね。少々ピッチを上下させる合成はしますが、結局は日本語でいう母音と子音とそれらが繋がった音を時間をかけて録音してテープのようにつなぐ作業です。

――それはかなり凄い録音コストになるのではないでしょうか?

山田:
 たしかに、通常の歌を収録する場合と比べて凄い録音コストになっています。レコーディングに数日かかるという話を聞いたことがありますね。

 そもそも初音ミクというのはシンセサイザーという電子楽器の一種です。

――キャラクターとして名前もついているのでつい忘れがちですが、初音ミクは歌手ではなく楽器ということですね。

山田:
 少し歴史の話をしますと、120年ぐらい前にテルハーモニウムという電気楽器が初めて生まれ、その後、多くの電気・電子楽器が開発されて、様々に音楽を変えてきました。

最古の電子楽器、テルハーモニウム
画像はWikipediaより。

 このような中で大きな役割を果たしたものとして、1980年代に開発された、PCM方式のシンセサイザーとMIDI(ミディ)が挙げられます。
 PCMシンセサイザーは、いろんな楽器の音の波形をメモリーに格納し、いつでも信号一つで取り出せるようにしたものです。MIDIとは、日本のメーカーが中心になって作った、シンセサイザーとコンピュータをつなぐ世界共通規格です。これによって、コンピュータの方が演奏データを用意して、音はシンセサイザーに任せるやり方が浸透しました。

 そうなると鍵盤楽器が弾ける人であれば、歌以外は全部シンセサイザーとコンピュータで作れるようになるわけです。

 それまでの音楽プロデューサーは、「作詞家はこの人、作曲はこの人、歌手はこの人に頼もう」という感じでしたが、自分で作詞・作曲・編曲・演奏までこなして歌以外全部作る小室哲哉さんのような音楽プロデューサーが現れます。

――小室哲哉さん! “要塞”って言われたぐらい、演奏するとき鍵盤をたくさん置いていたアレですよね?

山田:
 シンセサイザーは様々な楽器の音が出せますが、歌だけは歌えませんでした。なので、小室さんは、自分が見初めた歌姫に歌ってもらったというわけです。そうして、ベスト10のうち8曲が小室さんの曲というような一時代を築くくらいになります。
 そのような「ボーカル以外は全部一人で作る」時代だったところへヤマハがボーカロイドを作ったというわけですね。

――もう“歌姫”もいらなくなるのでは? という機運が当時はあったのかもしれませんね。

山田:
 ついでに言うとMIDIが登場してから歌番組が変わったんですよ。昔の歌番組では実際に生演奏が行われていました。すると、生演奏ならではのハプニングが起きることがあります。そういうハプニングも込みで楽しんでいたのが昔の歌番組なんですね。

 ところが、MIDIによって歌番組の演奏は歌以外は、音源を流すだけになって楽器を持っていても弾いているふり、いわゆる“当てフリ”になります。

――歌以外、弾いているフリって……エアーバンドのゴールデンボンバー状態じゃないですか!?

山田:
 そうです。そのうちにボーカルも口パクになりました。電子音源とコンピュータで作った演奏には完全な再現性があります。つまり同じ電子音源とコンピュータを使う限り、どの歌番組を見ても同じ演奏になってしまうわけです。
 歌番組の構成が変わったのもこの頃です。演奏の再現性によって、音楽そのものでは差別化ができないのでトークの上手い芸人さんたちに司会をしてもらったりして、ミュージシャンの素顔を掘り起こしてもらう趣向のものに切り替えて、他の歌番組との差別化を図るようになりました。

初音ミクという歌姫の時代は終わりを迎えたのか?

――実は、ニコニコニュースで過去に投稿されたボカロ関連の動画の傾向を分析した結果、数あるボーカロイドのなかで初音ミクに関連した動画が最も多いことがわかりました。それに対して思うことはありますでしょうか?

山田:
 このグラフを見て思ったのは、もっと人間の声に近づけようとした後発のボーカロイドが登場したら初音ミクは淘汰されるのかと思いきや、いやぁーやっぱりミクは強いですね! やはり唯一無二、孤高のキャラクターだからこそ、数あるボーカロイドの中でも不動の地位にいるのだと思います。

 これまで初音ミクのソフトは何度かバージョンアップされていて、そのたびに性能が向上しています。たとえば人間の声は「あ」と「ぱ」であれば、同時に発せられていても「ぱ」のほうが早く聞こえます。バージョンアップされた初音ミクではそういった点もしっかり改良されています。
 ただ、その改善というのが初音ミクという唯一無二、孤高のオリジナリティに結びつくのかというと一概には言えないと思います。 

 先程、MIDIの話をしたときに言及した「音楽の再現性」という点では初音ミクをはじめとしたボーカロイドは特にそれが弱点としても作用してしまいます。
 確かにミクのぎこちない電子の歌声は唯一無二の彼女の魅力です。しかし、電子の歌声である限り、ステージや曲を変えても、どれも同じように聞こえてしまうという特性があります。そういう性質のものは大衆に飽きられやすいのではないでしょうか。

 坂本龍一をはじめとしたクリエイターがテクノというジャンルを切り拓いたときに発表された『RYDEEN』といった曲を初めて聴いたとき「こんなにゆらぎのない音楽があるのか!」と衝撃を受けました。しかし、テクノの隆盛が落ち着いてしまっているように今見えるのは、再現性の高さゆえの飽きられやすさ、それが原因ではないでしょうか。

――その話はとても気になります。ボカロP出身のクリエイターが、自分で歌う曲を手掛けてヒットを飛ばすようになった今の時代では、初音ミクという歌姫の時代の終わりを感じて寂しい気持ちになる人もいるのではないでしょうか?

山田:
 それはね……僕もそういう気持ちはあります。僕のボーカロイドに対する総括は、まだまとまっていないんですよね。なぜなら、初音ミク・ボーカロイドに人格があるとすれば、「もっと上手く人間のように歌えるようになりたい」と思っているのですが、歌がうまくなってしまったらそれは他の歌手と変わらないわけです。
 実際、初音ミクより後に作られたNEUTRINOという歌声合成エンジンを使用した曲『AIきりたんで『キリトリセン』カバー』は生身の歌手とほとんど変わらない歌声に聞こえます。

 やっぱり初音ミクはぎこちない歌声だったからこそ、音楽を作ることに手馴れていないボカロPたちもたくさん参入できたのではないでしょうか。
 最近で言うと、霜降り明星の粗品さんが『ビームが撃てたらいいのに』をはじめ何曲かとても良いボカロ曲を作っていますよね? あんな感じの荒削りな才能のほうがボカロと相性がいいと思います。

――これまで初音ミクの楽曲に触れたことがない子たちが『プロジェクトセカイ』というスマホゲームをきっかけに、ボカロを知ったという話もたくさん聞いています。できれば、これからも多くの人にボカロ曲を何度も聴いてもらえたらと、思うのですが……。

画像は『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク』公式サイトより。

山田:
 そうですね……。これはボカロ曲に限ったことではありませんが、同じ曲を何度も聴くというのは、情報学の立場からすると、非常に不思議な事なんです。なぜなら本来、情報というものはそれを得た途端に意味がなくなります。

――それは、既に知っていることになるからですよね。

山田:
 手紙や電報は、読まれたらそこで役割を終えます。しかし、演劇では定番の演目があったり、同じ映画を何度も見たり、同じボカロ曲をヘビーローテーションで聴く人は大勢います。これでは、説明がつきませんよね?

 その答えは、聴き方のほうにあるんじゃないかと思っているんです。おそらく同じ音楽を聴いていても気になる所が聴くたびに少しずつ変化しているのではないでしょうか?

――確かに! 自分の場合は、同じ曲を聴いていると急にベースラインが気になるようになるんですよね。

山田:
 そうそう。サビのところを気に入って聴きこんでいくうちに、ある時は歌詞の世界に入り込むとか。そういう聴き方の違いや注目する所の組み合わせって無限にあるじゃないですか。そういう何度も捉え方が変わるような多義性があるような歌であれば、ボカロ曲に限らずまた聴きたくなるんじゃないかなと思うんです。

 はじめにも言いましたが、僕の場合は「初音ミクの消失」という曲は不思議なことに、何度聞いても飽きないんですよね。聴いているときによって心境が変わって……ある時は作り手の気持ちになって「ここ上手いな」と思いながら聴いていたり、ある時はカラオケで歌えるようになりたくて頑張って歌詞を覚えようとしてみたり。
 聴いたときに、どうしても聞き流せない違和感があるのもフックになっていて気になるんですよね。

――大人になると、歌の聴き方が変わったりするようにシチュエーションや心の成長によって捉え方が変わるのは言われてみれば当然のことかもしれませんね。

山田:
 つまんない曲だと一回あるいは数回聴いたら全部分かった気になれます。すると情報としての価値が無くなってしまいます。
 どうしても聞き流せない引っ掛かるところが沢山あるということが、僕がボカロ曲を何回も聴く要因になっているのかもしれません。

[了]


 人々を魅了する歌手の声に共通する要素はなく、あるのは唯一無二のオリジナリティ……初音ミクの無機質でぎこちない歌声は、それこそが彼女が持つ魅力なのかもしれないということがわかった取材だった。

 ボカロP出身のクリエイターが生身の歌手を起用するなどして次々とヒットを飛ばす今、かつて初音ミクと共に熱狂に沸いていた筆者としてはどうしても寂しさを感じてしまう。それは歌番組から生演奏が消えたときに、歌番組に熱狂していた世代が感じていた寂しさと同じかもしれない。

 あの頃、あなたを魅了した曲を、今も変わらずぎこちない歌声で歌い続ける電子の歌姫に、この機会にぜひ会いに行ってはどうだろうか。2007年から数えて決して短くない時間をミクと共に生きたあなたなら、きっとあの頃とは違った魅力を感じるはずだ。

 最後に、『初音ミクの消失』の歌い出しの引用をもって本記事の締めくくりとしたい。

ボクは生まれ そして気づく
所詮 ヒトの真似事だと

知ってなおも歌い続く 永遠の命
「VOCALOID」

■ボカロの祭典“ボカコレ”12月11、12、13日開催

「The VOCALOID Collection ~2020 Winter~」 公式サイトはコチラ

―あわせて読みたい―

・ニコニコ動画的ボーカロイドの歴史を“970,686本の投稿動画”とともに振り返ってみた

・ニコニコで100万回以上再生されたボカロ動画を大公開!2007年-2020年を年代別に約700曲をリストアップ

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