日本初、忍術を学べる国立大を取材したら生徒たちの忍者愛がすごかった件「10年務めた会社を辞めて通学」「NARUTOに憧れて中国から留学」
国立大学で日本初となる“忍者・忍術学”を専攻できる大学院が三重大学に開設されているのはご存知でしょうか?
たしかに、三重と言えば伊賀忍者の発祥の地ではある……しかし、忍者学の授業とはいったいどのようなことを教えているのだろう? 学生たちは剣術や手裏剣の練習に明け暮れ、修了するころには変装の名人になっているのだろうか。
そもそも「忍者のことを勉強したい」と思って三重大学に入学するのは、どのような学生なのだろう。そして、修了後の進路はやっぱり「忍者」なの?
疑問を解き明かすべくニコニコニュースでは、三重大学大学院忍者コースの教員である山田雄司先生と高尾善希先生のお二人と、5人の在学生の皆さんを交えたオンライン座談会をおこないました。
座談会では、教員の皆さんに気になる授業内容や教育カリキュラム、これまで謎に包まれていた忍者研究の最前線についてお話を聞くとともに「忍者好きが高じて在学中に仕事を辞めてしまった」「忍者アニメがきっかけで海外からやってきた」という個性豊かな在学生の皆さんには、それぞれのキャンパスライフや忍者コースで学んだ後の修了後の進路まで質問する機会をいただきました。
会社を辞めて“忍者大学”へ
――お時間をいただきありがとうございます。まずは生徒さんにお話を伺おうと思うのですが……。
嵩丸:
よろしくおねがいします。嵩丸(たかまる)と申します。大学院の忍者・忍術学コースの1期生で今は修士3年になります。僕はこの通り、もともと忍者オタクでして。それが高じて、「もっと深く突き詰めたい!」っていうところが入学動機でした。
――忍び装束で取材に応じてくださるとは、ありがとうございます。ちなみに「嵩丸」というのは本名ですか?
嵩丸:
いえ。忍者名として「嵩丸」という名前でやらせていただいております。
子供の頃から忍者はフィクションの部分ですごく好きだったんです。ゲームや映画、漫画をいっぱい読んできました。社会人になって10年くらいウェブ系の企業で働いていたんですけど、趣味でずっと忍者の情報サイトを作ってたくらいで。
――せっかくなので、忍者が印を結ぶポーズをしていただけると嬉しいです。
――すごい! まさか動画で再現していただけるとは! 一期生の方は他にいらっしゃいますか?
三橋:
嵩丸さんと同じく一期生で入学して、今年3月に修了した三橋といいます。私は忍者と観光について博士課程で研究しているという状況ですね。
大学院に入学するときに当時勤めていた大阪の仕事を辞めて、三重に移住して、農業と民泊と、コンサルと忍術の先生をしています。
私の場合は入学する前から、とある忍術をおしえている道場に15年ほど通っていたので、もっと深く忍者を学びたいという気持ちが強かったんです。大学院に入る前は農学部を卒業していたので、農村のなかの忍者像にも関心があったことも大きいです。
――なんと、三橋さんは現在は4足のわらじでしたか。在学生の中には留学生の方もいると聞きましたが……。
スウ:
私は、鄒開宇(スウ・カイウ)と申します。中国から日本に留学に来ました。私は元々『NARUTO -ナルト-』というアニメが好きだったことが始まりでした。
リ:
同じく中国からの留学生の李徳洋(リ・トクヨウ)と申します。私も中国の大学で勉強する間に、寮の友達と一緒になって『NARUTO-ナルト-』を見ていましたよ。
激しい戦闘シーンを本当に好きになって、忍者に関心を持ち始めました。そして忍者文化も、日本文化の中の一つの文化として、中国の若者の中でとても人気があって、忍者を学ぼうとしている人も多いです。
三重大学に来たきっかけは、大学で日本語を専門として勉強すればするほど日本文化にとても関心を持って日本で留学したいと思うようになったからです。
(画像はAmazonより)
――ここまで中国で『NARUTO-ナルト-』が人気だとは! アニメ・漫画好きとしては嬉しいですね。在学生で嵩丸さん以外に忍者ネームを名乗っていらっしゃる方はいるのでしょうか?
仙空:
私は仙空(せんくう)という忍者ネームを名乗っています。私が入学したのは完全に『忍たま乱太郎』がきっかけですね。
――おぉっ! こちらでも具体的なタイトルが。
仙空:
『忍たま乱太郎』の中に出てくる、とあるキャラクターのことをすごく好きになって……もう完全にそのキャラクターに恋をしてしまって……。
――ぜひその意中の方のお名前を教えていただけますか?
仙空:
6年生の立花仙蔵様です。本当に好きになってしまって「仙様が生きてる世界のことをもっと知りたい」って思って大学院に来ました。仙様のことを好きになった当時は、国家試験の勉強中だったので、あんまり行動できなかったんですけど……。忍者って馬に乗ったり、弓の練習もしていたのかもしれないと思って、まずは流鏑馬を始めてみたり、忍術道場にも通っていました。
――ちなみに立花仙蔵というキャラクターのどんなところが魅力的なのでしょうか?
仙空:
忍術学園で一番と言われているくらい優秀で、とってもクールでかっこいいところです。さらっと何でも出来ちゃう仙様が最高にかっこいいんです。私の人生は仙様のおかげで変わりました。試験中も待受を仙様にしていたので携帯を見るたびに励ましてもらって……今は取得した資格を活かした仕事をしていてプライベートは全部忍者関連に注いでいます。
三重大学の研究で明らかになった忍者の姿
――在学生の皆さんの自己紹介と入学動機を伺ったところで、次は先生側からお話を聞きたいと思います。三重大学の研究で新たに明らかになった忍者の事実ってどんなものがあるのでしょうか?
山田:
国際忍者研究センターの山田と申します。研究については、私の方から言わせていただくと……たとえば、嵩丸さんみたいにこういう衣装を着てるわけじゃないとか。
――えぇっ! では、実際のところはどのような衣装だったのでしょうか?
山田:
普段は、農民の格好をしていて情報収集したりするときは旅芸人やお坊さんに扮して情報収集するわけですね。
――では、嵩丸さんが来ているような忍び装束を着る機会自体がなかったということですか?
山田:
このような忍び装束は、18世紀の始めぐらいから歌舞伎などを通じて生み出された衣装ですね。それに本当の忍者は基本的に戦わないです。忍者ショーでは、チャンバラをやったりしますけれども、情報収集が一番の仕事でした。
江戸時代には治安維持などに携わりますね。城下町に住んでいて、門番やったりとか、藩主が参勤交代のときにはいろいろな宿場で寝ないで番をしたりとか、地方に一揆が起これば、その情報収集活動とか、そんなことをやったりしていますね。
――ということは、忍者は完全に想像の産物ということではなくて、仕事として「忍びの者」がいた時代には日本の歴史にあったということですね。ただし、忍び装束を着て、チャンバラをしていたわけではない、と。
山田:
研究者によっては、「忍者なんて本当はいなかった」ということを唱える人もいますが、いないわけではないのです。ただし、現代の私達が想像するような忍者ではないということですね。嵩丸さんのような「忍び装束」は、歌舞伎を見ている人が「ああ、この人物は忍者なんだな」とちゃんとわかるように、ユニフォームとして作られていました。
――他には、どのような発見があったのでしょうか。
山田:
くノ一はいなかったとか。
――えー、そんなの嫌です。何とかいたことにならないでしょうか?
山田:
武士に“女の武士”っていませんよね? それと同じで、職業として女の忍者が仕事をしていたわけではないのです。
――それでも、女性のほうが潜入しやすかったりしたのではないでしょうか?
山田:
たとえば「女性を使って、情報を収集する」ことを「くノ一の術」と呼んでいてます。つまり、女性を使うことはあったけれども、その業務を生業としている女性の忍者がいたわけではないということですね。
くノ一が女性の忍者として活躍するのは昭和に入って、戦後に映画やドラマが作られてからです。そこで女性の忍者の活躍が描かれるようになり、くノ一のイメージが固まっていったわけですね。
フィクションとしての忍者を否定するのではなく
――仙空さんや嵩丸さんのように、漫画やアニメを入り口にして忍者に興味を持たれる方は多いのではないでしょうか。
山田:
私どもとしても、忍者を扱った作品に対して「これは嘘だ」というために研究をしているわけではないんです。史実とは別に日本の文化として、ある時期に作られた忍者を扱った創作物がどのように人々に認識されているのかを研究するのも仕事なんです。現代まで伝わっている忍者文化がどのような経緯でそう伝わっているのか、そういうことをしっかり調べていくわけですね。
――嵩丸さんがしている忍び装束は、日本の文化史にいつ登場するのか、それが歌舞伎だったらどの演目に登場するのかみたいなことを調べるのも忍者を研究する、ということなんですね。国際忍者研究センターとしては文献にあたっていく以外に普段はどのような活動をしておられるのでしょうか?
山田:
センターが中心となって、全国にある忍者関係の資料調査もおこなっています。今までは三重県の伊賀、甲賀中心の研究が行われていましたが、忍者は全国にいたわけですから、その全国の伝わっているいろいろな資料を収集して研究しています。アメリカのワシントンにある議会図書館に忍術に関係する書籍が所蔵されていると聞いて、その調査に行ったりもしました。
――アメリカに忍術の書籍があるんですか!?
山田:
ええ、そうなんです。嵩丸さんとその図書館に一緒に行って、資料の写真撮影をしてきました。ですから日本国内だけでなく、国外にも研究資料が残っているのでそういうものの調査もおこなう必要があるわけですね。
――もしかすると、忍者に関する古文書ですから透かしやあぶり出しをしないと本当のことが書いてなかったりするんじゃないですか?
山田:
忍者同士で用いる暗号は実在していたようですが、本当にあぶり出しや暗号で書かれた古文書が発見されたらすごいことなんですよ。『万川集海(ばんせんしゅうかい)』という忍術について書かれた代表的な書物があるのですが、忍びいろはと呼ばれる暗号のようなものや、あぶり出しのやり方は書いてあるんですけども、実物が残っていません。もし、それを発見したら国宝級です。
古文書の中の忍術には、本当はできないようなものはもちろんありますし、重要なところは口伝で残されることが多かったようで、書物には本当のことを記してないところもあります。なので、忍者に関する記述は「書いてあるから、それが正しい」とも言えないわけで、そこは研究テーマとして難しいところであり、逆に面白いところだとも思っています。
海外で親しまれるニンジャカルチャー
――留学生のお二人は忍者に関心を持たれたのは『NARUTO』がきっかけだったとお聞きしたのですが、お二人の研究テーマは山田先生が先程話された「フィクションに登場する忍者」なのでしょうか?
スウ:
私の出身地は旧満州国と呼ばれている中国の遼寧省(りょうねいしょう)というところです。私は自分のふるさとである遼寧省と日本の関係を近代史を勉強してもっと詳しく知りたいです。
いま、修士の2年生で、先日、東京の大学へ出願申込書を提出しました。もし合格したら、そこで日本近代史の博士課程が始まります。
ふるさとに深く愛があるので、もし、私の研究によって何か還元があったら幸いだと思います。
――留学を決めた理由は『NARUTO』でも、研究内容はめちゃくちゃアカデミックなテーマなんですね……。リさんも『NARUTO』が留学のきっかけとおっしゃっていましたが。
リ:
私が忍者を知ったきっかけは『NARUTO-ナルト-』を見たことですが、実際の忍者とはとても大きな差があります。今は、その実際の忍者について、いろいろ勉強しています。特に忍者と孫子の兵法や中国の儒教、道教、仏教とのかかわりについて研究していて、修士論文はその内容で書こうと思っています。
――おお、こちらもすごくアカデミックなテーマですね。忍者と中国から渡ってきた思想がどういうふうに混じり合っていったかの研究というわけですね。ちなみに、中国のご家族やお友達は、「日本で忍者の勉強をしようと思う」と言ったらどんな反応でしたか?
リ:
私は日本に留学することが夢だったので、それを知っている両親は喜んでくれました。両親は忍者をあまり知らないので……。けれど、友達は「将来忍者になるの? 大丈夫?」と言われました。
スウ:
私の場合は、『NARUTO』の人気は中国では多かれ少なかれみんな知っている誰でもわかるレベルなので、家族も友達も「いいよ、どうぞ」という感じでした(笑)。
一同:
(笑)
忍者大学のキャンパスライフ――古文書解読と忍術実習
――留学生の方々の研究テーマをお伺いしたところで……普段の授業やカリキュラムはどのような形式になっているのでしょうか? やはり“忍者の大学”らしく、昼は川で水練、それが終われば変装や手裏剣の実技訓練があるとか? 学生たちのキャンパスライフを想像するとロマンを感じずにはいられないです。
山田:
学生たちが一日をどう過ごしているかは、人それぞれなのでわかりませんが……大学に入学にすると、全学部共通の教養教育があります。それから人文学部の学部生としての授業があって、大学院では院生として授業があります。
教養教育では、前期200人、後期200人ぐらいの生徒に対して授業をやってます。
(画像は三重大学提供)
大学院の授業に関しては、一般に公開されていない忍者に関する古文書をテキストにして、くずし字を読み解きながら当時の社会の時代背景を読み取る勉強が基本になっています。
――いわゆる人文学系の学部の歴史の研究に近い印象ですね。
山田:
やっぱり資料を読みこなす能力は大事になりますので、まず大学院生にはそれを身につけてもらいます。次は修士論文に向けて、自分たちで集めた資料を読み解いていくことになります。
――学費とは別に金子を積めば、忍術の秘伝が教えてもらえる……という感じではないのですね。
山田:
普通の国立大学ですから、ごく一般的な人文系の学部と同じ普通の学費でやっております(笑)。
――では、一般教養科目みたいなのがあったうえでプラスして忍者の専門教育……たとえば水連とか馬術とか、変装とかがあるみたいな?
山田:
実情を話しますと、授業として実技はあまりやってなくて座学が中心になっています。おっしゃられているようなものは、「忍者部」という部活動として、忍者として現代まで伝わっているものを実践のなかで試すことを高尾先生が中心になってやってくださっています。プールの中で水蜘蛛でやったりとか……。
――ということは、高尾先生は水蜘蛛が使えるんですか!?
高尾:
国際忍者研究センター教員の高尾と申します。
先ほどのお話にありました忍者部なんですけれども、特に学部生さんを中心に作られている部活です。今は、コロナでいろんな活動が中止になっていますけれども、文献の中に出てくる忍術を実際にやってみることを活動としていました。先ほどお話に出た水蜘蛛なんかは、その中でやってみたものですね。
――そうだったんですね! ちなみに、高尾先生は手裏剣とか投げれたりとかするんですか?
高尾:
手裏剣は、投げられることは投げられますけれども下手くそです。修行中の身といったところですね。忍者のいろんな技の実習は、川上仁一先生という忍術の継承者であり以前は本学の特任教授をなさっていた方をお呼びしておこなっております。
先日も実習をおこなったのですが、場所は三橋さんの道場をお借りしておこなったんですよ。
卒業後は忍者を活かした仕事に就く生徒も
――三橋さんは忍術の道場をお持ちなんですね!? 実習はどのようなものなのでしょうか?
三橋:
特任教授だった川上仁一先生は、6歳の頃から先代について忍術の修行をして、忍術書や武具を全部伝授されたという方です。うちの道場に川上先生を講師に招いて院生が実習を受けたのですが、終わったときにはくたくたになっていました。
川上先生の実習は2年目ということもあり「もっと伝えたい、もっとできる!」と内容がレベルアップしてまして……。こちらもついていくのに必死な感じでした。
忍術の実習をするなかで、私の場合は足の力を抜いて重心移動で歩く……忍術としては“膝を抜いて歩く”というのですが、それは日常化していますね。つま先歩きになるので慣れないうちは爪が剥がれたり、でも川上先生からは「それは爪が弱いからだ」と言われて、てっきり引き止めてもらえるのかと思ったら「そんなものまだまだや!」みたいな感じだったりしましたね。
今では毎日冷水浴びたり、つま先で歩いたりとか、苦い忍者のお茶を飲んだりとか、結構やってますね。自分がやっていることでないと教えられないですから。
――三橋さんは三重大学で学んだことが、現在の仕事に結びついておられるようですが同じく一期生の嵩丸さんはいかがでしょうか?
嵩丸:
先程話したとおり、元々はWeb系の仕事をしていましたが、三重大学の研究によって新たな事実がどんどん発掘されてるのがすごく面白くて、大学院のコースが始まったときに前の会社は辞めてしまいました。現在は全国の忍者ゆかりの地の自治体が集まった日本忍者協議会という組織のスタッフとして、国内外に忍者の情報発信に取り組んでいます。
それ以外にも山田先生の研究を手伝ったり、川上先生のマネージャーをしたり、三橋さんと一緒に忍術を海外に伝えていくための仕組みを作ったり、色々やらせていただいてます。
――忍者コースに入学するにあたって、身近な方はどういうご反応でした? 嵩丸さんの場合は、ご転職もされていますが……。
嵩丸:
僕はいい年ではあるので、親は「もう大人なんだから好きにやったらいい」って感じでしたね。以前の勤め先やと友達は自分がずっと忍者が好きだったことはみんな知っていたので「ついにそこまでいったか」という反応でした。
「母さん、僕、忍者になるよ」みたいなことを伝えたときは「ああ、忍者好きだもんね」みたいな。本当に山田先生に人生を変えられましたね。
――大好きだった忍者を仕事にできるなんて、本当に素晴らしいですね。
社会に還元される忍者大学の研究成果
――最近は、産学連携が唱えられていますが、三重大学としては忍者の研究を実社会に活かそうという動きはあるのでしょうか?
山田:
たとえば伊賀忍者というのは世界に通用するブランドですので、伊賀忍者のことをとりあげれば海外のメディアでもニュースになります。これまでにも色々な媒体で報道していただき、それは外国人観光客の増加にもつながりました。
他には忍者を科学的に研究していくなかで得られた知識を元に商品化されたこともあります。
――それは、どのような商品ですか?
山田:
忍者の携帯食に「兵糧丸(ひょうろうがん)」というものがありますけれども、実在のレシピを参考にしたお菓子を地元の企業と一緒になって作ったりしてますね。
――すごい! これはお土産に欲しくなりますね。忍者の研究をしていたらお菓子作りにつながったというのは面白いですね。
山田:
あとは理科系ですと、嵩丸くんが実演してくれたような印を結んだり、忍者に伝わる集中するための呼吸法「息長(おきなが)」と呼ばれているんですけれども……医学部の先生が、実際にそれをおこなっているときの脳波を計測してストレス緩和にどのような影響があるかを研究したりしています。
――それが解明されたら、まさに『鬼滅の刃』の全集中の呼吸ですね。
三橋:
忍者を地域社会にどう還元するか、というのは自分の研究テーマでもありまして……今私は伊賀の山村に住みつつ忍術の道場をしているわけですが……やっぱり皆さん忍者にすごく関心を持ってくださるんですよね。
地域活性化という意味で忍者が好きな人を村に呼んでお祭りに参加してもらったり忍術修行の一環として山の整備を手伝ってもらったりしています。
――たしかに、忍者は日本だけでなく海外でも人気のあるコンテンツですものね。ここ以外にも国内で忍者を扱う研究機関はあるのでしょうか?
山田:
研究機関ではなく、忍者を個人として興味を持って研究をされている方はいらっしゃいますよ。
ただ、その研究は何を典拠に進められているのか、いわゆる資料的なエビデンスに基づいた観点からの研究は、忍者という分野ではあまりやられてこなかったので……私達が大学として忍者を研究して「こういう資料があるからこういったことが言えるんだ」というようになっていくことには意義があると思っています。
資料的なエビデンスに基づいた研究があまりやられてこなかったということは、別の捉え方をすれば誰も本当のことがわからないからこそ、いろいろなクリエイターの人が「忍者はドロンと消えたかもしれないし、空を飛んだかもしれない」とか自由に作ることができる。まさに忍者とは変幻自在にいろんな活躍をさせることができる、そんな存在だと思いますね。
忍者というテーマにはいろいろなアプローチができます。もし忍者に関心がおありでしたら、ぜひ三重大の大学院に入っていただいて、一緒に勉強していただけたらと思いますね。みんな仲よく楽しく、いろんなことをやってますので。
[了]
今回は「国立大学に忍者学部」というキャッチーな言葉に惹かれ、どんな授業をしているのだろう? 生徒はどんな人達なのだろう? というやや軽い気持ちでお話を聞けないか連絡したことがそもそもの発端だった。
しかし、遠くは海外にまで散らばった資料の収集に奔走する教授陣の研究姿勢や、「忍者が好き」の一念で大学院に飛び込んできた在学生の皆さんが、自身のそれぞれの研究テーマを生き生きと語る様子に、オンラインでの取材にも関わらず熱意がひしひしと伝わってくる取材となった。
忍者は、その正体が長らく不明だったからこそ、そこにイマジネーションの余地があり、多くのファンを生んできたジャンルであることは取材時に山田先生がおっしゃったことだが、特に印象的であったのはそうしたイマジネーションによって生み出された架空の忍者像を「史実と違う」と切って捨てるのではなく、それも重要な忍者に関する文化として研究対象にしている点だった。留学生のおふたりが『NARUTO』の影響で忍者に関心を持たれたように、想像力によって生み出された架空の忍者たちの活躍は、戦国の世がはるかに過ぎ令和に入ったあとも多くの人を魅了し続けるのだろう。
本記事が日本の忍者研究、国際忍者研究センターの活動に関心を持つ人を増やすことに貢献できれば幸いだ。
■info
■国際忍者研究センター公式サイトはコチラ
■嵩丸さんが運営する忍者専門メディア「Ninjack」はコチラ
■三橋さんが道場主を務める忍術道場「産土武芸道場」はコチラ
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