戦国時代の兵法をガチ研究する武術家に話を聞きに行ったら「セイバー(Fate)の見えない剣が最強」というまさかの展開になった【功朗法総師範:横山雅始インタビュー】
「初撃は何があっても避けろ」我々取材陣を前に、一人の武術家は語った。
彼の名は横山雅始氏。氏が提唱する『総合実戦護身術“功朗法”(こうろうほう)』は海外の警察組織でも指導され、世界中から横山氏のもとに格闘家たちが教えを請いに集まっている。
さらに武術家たちの間だけでなく、武術監修の側面から映画やアニメといった界隈からも横山氏の知見を求めて相談がくるという。
「古武術の9割が、平和な江戸時代の発祥」と語る横山氏が、失われてしまった戦国時代の戦う技術を探求するためにとった手段は「戦国時代さながらの“ガチの合戦”を再現する」というものだった。
横山氏の呼びかけで開催された『ガチ甲冑合戦』。参加者は、実際の戦国時代の侍さながらに鎧に身を包んで模擬の刀や槍を振り回して“ガチ”で合戦を楽しむこの取り組みは、これまでに大小含め25回開催された人気イベントとなっており、来る11月10日に開催される第26回目のガチ甲冑合戦「織田軍VS伊賀忍者群 天正伊賀の乱」はniconicoで中継することが決定した。
本記事は、イベントに先駆けて横山氏にインタビューをおこない、実際の戦国時代の武士たちはどのように闘っていたのか、時代劇で描かれるような私達が普段イメージする戦い方とはどのような違いがあるのかを聞いてみたものだ。
さらに、横山氏には“アニメ好き”という一面もあることが取材中に判明。
『Fate』の宝具で一番実戦的なのはどの武器なのか、 『るろうに剣心』の牙突の元になったかもしれない技の紹介や、『バガボンド』における武蔵と胤舜の対決の解説といった、筆者のようなアニメ・漫画好きにとっては、たまらない話も横山氏から聞くことができた。本記事では余すことなくその様子もお伝えしようと思う。
――本日は、取材を受けてくださってありがとうございます。すごい雰囲気のある道場ですね。この壁一面に迫力のある字で書かれているこれはいったい……?
横山:
壁に書かれている文章の下半分は『兵法手鏡』という軍略書です。上半分は『孫子』の兵法の一節、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」の原文ですね。武術の道場だったら……という意味をこめてこういう壁にしました。
フランス国家憲兵隊という軍警察組織で指導していた“現実的に使える武術”とは
――横山先生が、現在実践しておられる“功朗法”という武術について教えていただけますか?
横山:
実は子供の頃はケンカばっかりしてたんですよ(笑)。みかねた母が近くで柔術を教えていた叔父の道場に私をいかせたのが武術との出会いでした。どんなに殴っても蹴っても叔父には当たらない。ケンカ技が通用しない相手もいることを知ったのが私が武術に目覚めたきっかけですね。
その叔父から柔術を習った後は、高校から20代半ばまで空手をやっていました。30歳ぐらいの頃に、芸術展の国際交流の仕事でヨーロッパへ頻繁に行くことがあったわけです。
ちょうどそれが湾岸戦争前後だったもんですから、ヨーロッパに行ったら退役軍人の元海軍少将の方がいらっしゃったんですね。その方から「武術ができるなら、現実的に使える武術を教えてほしい」と頼まれたんです。その話がきっかけで、いろんなところへ武術を教えに行くことになったんです。
そのなかで開発したのが、功朗法で教えている“リスクコントロール”です。これは技術ではなく、アイデアを持つことで危機を回避する方法です。
――功朗法を何も知らない素人に向けてひとことで説明するとどういったものなのでしょうか。
横山:
対凶器護身術です。
フランス国家憲兵隊とおこなったある実験をお話します。彼らは拳銃主義ですから、「戦うときには銃抜きゃいいんだよ」という考え方です。しかし、銃は普段ホルスターの中へ収まっているんですね。
実験は、憲兵に向かって、5メートル離れた場所からゴムナイフを持った暴漢役が横から飛びかかってもらうものでした。
その飛びかかって来る暴漢役に気づいたらゴム弾を撃つ、という実験を10人におこなった結果、10人のうち銃を抜いて撃てたのがたったの二人。一人が相打ちで、あとは全部刺されました。5メートルも距離があって、なぜ普段から訓練している銃で武装した憲兵が対処できなかったのか?
人間の目が認識して、脳で判断するのに0.1~0.2秒かかるんです。そして脳から、筋肉へ指令する時間が0.2秒。この時点で既に0.5秒を喪失してるんです。
5メートルの距離から飛びかかられたら、気がついた段階で既に2メートルぐらいに近づかれています。先程0.5秒を喪失していると言いましたよね? そこから拳銃を抜く動作を入れると、1秒以上かかります。結果、0.5+1秒、つまりほぼ2秒かかってしまってるんです。2メートルの距離の相手に2秒もかかる動作で、対応できるわけがない。では、どうするか?
答えはすごく簡単な話です。初めから銃を使おうとせずにまず“自分の体を使って避けろ”ということです。
――自分の体を使うというのは具体的にどういうことでしょうか?
横山:
銃を抜く動作に1秒もかかっているわけですから、まず、自分の体を使って避ける。避けられれば、当然刺さらないですよね。
そして、初撃を避けることができれば、次に銃をホルスターから抜くことができます。逆に、初撃が避けれなければ、そこで死ぬんです。だから功朗法では「初撃は何があっても避けろ」と指導します。
東京で功朗法のセミナーを開催すると、参加者のほとんどが格闘技をやってる方です。その参加者の皆さんは素手で最後まで戦うと考えている場合が多いのです。なぜ勝ち方が、最後まで素手なのでしょうか? 初撃をかわした瞬間、服も着てれば、ペンも持っていますよね? それを投げつける、武器にする、刺す、それでいいじゃないですか。
人間は素手で何かをする動物じゃなく、道具を使い、物を作る動物なんですよ。それが、いざ命がかかったときに、なぜ素手なのでしょうか?
――横山先生の功朗法では、1対複数の護身術についてどのような対処をするのでしょうか?
横山:
現実で襲われるときは大抵1対3とか、1対4とか向こうのほうが多いんです。目の前の敵以外の敵が見えていれば、後ろから飛びかかられて、ナイフで刺されて、拳銃を奪われる……という事態を回避できる確率は上がります。
なぜガチ甲冑合戦をはじめたのか?
――護身術として功朗法を指導していた横山先生が、なぜガチ甲冑合戦というイベントを始められたのですか?
横山:
さきほど、1対複数の戦いの際のリスクコントロールの方法は、今取り組んでいるガチ甲冑合戦で集団戦に絶対必要な方法論なんですよ。実は、古流武術と呼ばれるものの9割以上が、集団戦の必要がない平和な江戸時代の発祥です。
なので、戦国時代のような集団戦では何をしていたかよくわかってないんですね。ガチ甲冑合戦をはじめた動機の一つは、それを研究したいということがありました。
それに、世の中には、痴漢やひったくり対策の護身術はいっぱいありますよね。でも既にあるそれらの護身術に取り組むよりも、本当に危険な、凶器で襲われた状態とかを回避できてこそ護身術なんだから、その部分をもっと研究したかったんです。
――先生がガチ甲冑合戦を、そもそも始めようと思ったきっかけは、既存のものとは違う護身術の研究をやりたい、と思ったことがきっかけということでしょうか?
横山:
さきほど申し上げた、既存の江戸時代にできた武術をやるんじゃなく、それ以前のもっと実戦的なものを探りたいと思ったこともきっかけです。それとは別に、日本には“合戦まつり”や“歴史まつり”がいっぱいあるじゃないですか。
――歴史まつり……あ、鎧武者の格好をして町内を行進とか?
横山:
そうそう! 日本のそういった歴史まつりは、ほとんどが踊りやパレードなんですね。ところが、ヨーロッパの歴史まつりといえば、騎士の格好をして本当にぶつかり合ったりしているわけですよ。なぜそれを日本やらないの? って。
パレードがいけないっていう意味ではないんですよ。でも、歴史の催し物で、鎧武者が本当に出陣して戦うところをお見せしましょう! という趣向もあったわけです。
ガチ甲冑合戦をはじめた最初の頃、江戸時代に発祥した武術がどれだけ使えるのかを、江戸時代の武術をやる人に参加して試してもらったこともありました。
――その武術が合戦ではどういう結果になるのか、やってみないことにはわからないということですね。
横山:
実戦で使えるだろうと思ってることが、意外とだめでした、なんてことはいっぱいありました。逆に、こんなものでも集団戦でやってみたら、意外と役立つねみたいなこともありました。
たとえば、身長は180センチ、体重90キロぐらいのイギリス人の元格闘家の方がいました。彼は日本で一番古いくらいに言われている、古武術を13年修行して師範をしていました。
そんな彼が、修行の成果を試してみたいということでガチ甲冑合戦に参加したんですが、練習のときから既に負けてるんですよ。
――練習のときから負けている?
横山:
彼は、うちの師範連中とやり合いました。ガチ甲冑合戦では身につけた刀や短刀の使用は、甲冑で守られていない露出部分へ刃筋を立てた攻撃が当たれば有効になっています。
まず、彼は敵に両腕でつかみかかった瞬間に、相手が腰に差している短刀で刺されてしまいました。
(提供:ガチ甲冑合戦 – 日本甲冑合戦之会)
それだけではなく、彼が敵を投げて上から馬乗りになってマウントを取ろうとした場合……現代の総合格闘技ではこの状態になった時点で馬乗りになった方が有利なのですが、この場合は下にいる敵から短刀で刺されてしまいました。彼の流派は、古武術ですから剣術もやるんですが、剣術でも彼が動いた瞬間に小手をバカっと打たれてしまうという、ほとんど話にならない状態でした。
ガチ甲冑合戦からみえてきたこと――通用する技・しない技
――他にも、実戦で使えるだろうと思っていたのに、実はそうではなかった技はありましたか?
横山:
甲冑を着けての話に限定すると、たとえば組み打ち。一般的に小手返しと呼ばれる、手首の関節をひっくり返す技で、合気道をはじめ、どの武術でもよくある技なんですが、それができないんですよ。
――小手返しができない?
横山:
というのは、手から肘まで小手で覆われているので、関節がかなり守られてるんです。したがって腕が返らないんですよね。江戸時代というある意味平和な時代に作られた護身技術の技はここには使えませんでした。むしろ総合格闘技系のテイクダウン【※】に持ち込む技だとか、柔道の投げ技のほうが使えるんです。
※テイクダウン
レスリングや総合格闘技において立っている相手をタックルなどでグラウンドに倒すこと、またはその技術。
――本当に意外です。派手な投げ技よりも、動きが小さくてロスが少ない小手返しのような技の方が使える印象がありました。小手返しが効かないということは、手首の関節を捕って武器を落とさせるなんていうのは……。
横山:
効かないですね。しかし、いわゆる指捕り。指を出しておかないと作業ができないので、小手は手の甲までしか守られてないんです。なので、甲冑をつかみにきた敵の指を捕ることは非常に有効です。
ただ、ガチ甲冑合戦では危険なので、指捕りはルールで禁止しています。
――多くの格闘技で禁じ手になっている指捕りは、やっぱり有効だったんですね。
合戦に必要な才能――道場での強さは有効なのか?
――現代の総合格闘技のような1対1で戦うことを想定した戦い方は、ガチ甲冑合戦では有効ではない、ということなのでしょうか?
横山:
1対1で戦う技術は基本的に必要です。ただ、敵は一人しかいないという考え方が間違いで、敵はたくさんいるんだという想定の下で、目の前の敵と戦わないといけないんです。
――それは、1対1をたくさんやる、みたいなこととは違うんでしょうか。
横山:
集団戦を実際にやったことのない人にはなかなかわかってもらえないんですけれど、目の前の弱い敵に勝てないんです。相手も10人、こちらも10人だったら、自分だけが目の前の敵に勝つために突出すると、他の人間にやられてしまいます。3対1にたちまちなってしまうんですね。
思いっ切り一発入れたら勝てるっていうときに、それを入れることができない。目の前の相手が弱いということをわかっていたとしてもね。
とりあえず全体で押して、押して、押し進んでいって、一人ずつ潰していくという戦法ですね。
――普段の道場の稽古やジムの練習では目立たない存在なのに、ガチ甲冑合戦のときになると強かった人はいましたか?
横山:
います、います! そういう人はいますよ。
――それは、道場での強さとは違うスキルが合戦では求められるということでしょうか。
横山:
要するに、集団戦の中での立ち回りがうまい人が最後に残るんですよ。チームプレーがうまいとか、機転が利くとかね。たとえば10対10で向き合って戦っているときに、こちらの誰か一人が横に走っていったとしても、前方の敵はなかなか気づけない。気付いても、「誰か逃げたのかな?」ぐらいにしか思わない。
ところが、横に走っていった味方が一人でも敵の後ろに立てたら、もうこれだけでこちらの軍は有利なんですよ。さらに、たった1人でも後ろから攻めて2人倒してくれたら、その瞬間から8対10になりますよね。
戦国時代は現代の戦争とさほど変わらない近代戦に近くなっていますから、戦力差は自乗になる計算です。なので、今の8対10の状況を作り出せれば、10の側が圧倒的に生き残って勝つんです。ゆえに、後ろへ回る一人はすごく大事です。それは弱くたっていいんです。速く走って機転の利く人でいい。
――武術を学んできた人間でなくても、合戦では逆転するチャンスがあるかもしれない、みたいなことですよね。ということは、武術の心得のない農民でも敵の大将を倒して立身出世するドリームはあり得たんですか?
横山:
あり得たと思います。戦国時代から、それこそ幕末の終わりまで“敵の大将首”が手柄とされたわけです。まぁ、大将首を獲るために一番槍で飛び込んでもなかなかうまくいかないですけどね。集団でいる中へ一人で飛び込んだって、そんなものあっという間に殺されますから。
――そうすると、大将首が手柄になったというのは形式的なものだったんでしょうか? 大将首を獲ることで立身出世を掴んだ者は本当にいたのでしょうか?
横山:
いると思いますよ。「拾い首」という言葉があって。大体ですね、敵の武将の首を獲れるときは、その武将がけがをして弱ってるときや、逃げかけてるのを捕まえてきて殺すときですね。
実は、まともに敵の大将と戦おうなんて非効率的なことは、戦国時代にはやってなかったようです。つまり、やられかけの敵の武将を見つけて、殺して、首を獲れば、それで手柄なんです。そうやって立身出世を掴んだ人はいっぱいいると思いますよ。
刀・槍・弓・銃はいかに使われたのか、戦国時代の実態に迫る
――武士はまず名乗りを上げて、次に敵がそれに応じて、それから1対1で尋常に勝負……と、僕は学校の古文の授業で習ったんですけど、実際はどうだったんでしょうか?
横山:
源平の頃にはそういうことはあったようです。それが戦国時代になると現代戦とさほど変わらないんで、そんな悠長なことは誰もしてないわけですよ。
源平の頃とは鎧の形も全部違ってます。当世具足というものに変わって動きやすくなってますし、馬もあまり使わないで歩くことが中心になっていますから。そうなると名乗っている場合ではないですね、集団戦ですよ。
戦国時代の終わり頃になると、一つの大名で30%の兵は鉄砲を持っていたと言われています。
――30%が鉄砲……それでは名乗っている間に撃ち殺されてしまいますね。
横山:
それ以外に弓隊もあるわけですから、要するに遠距離での撃ち合いなんですね。接近戦になっても長槍です。槍は長いもので5メートル40センチあります。織田信長なんて6メートル超えの槍を作っていたんですよ。しかも戦国時代の槍は真ん中に芯材の木を入れて、周辺を竹で巻くという方式を取っていたので、すごく丈夫でしなりが出たわけです。そんな長い武器で、たたき合いになるわけですね。突くのではなく、たたき合い。
槍は上から落とす技や、斜めから振って、相手の陣営を潰すわけです。うちなんかよくやってる方法なんですね。先日、あるテレビ番組で検証したところ、3メートル強の槍を落とす破壊力は……約2トンでした。
――2トン?
よくしなる長い槍が高い位置から振り下ろされることで慣性がはたらき大きな威力を生む。槍が床に叩きつけられると、道場には何かが爆発したかのような音が響いた。
横山:
それに対して、私が刀でパイプや試し切り用のオブジェクトを切ったときの破壊力は600キロです。2トンと600キロ、それだけの差がありました。次に、槍で突く破壊力を測ると60キロでした。それは鉄板1.5ミリに穴が開いても1センチ程度です。
これでは、けがというほどのものではないですね。したがって、敵が鎧を着ている限り、槍は突いてもほとんど意味をなしません。しかし、ぶったたいたら約2トンですからね。兜を被っていても下手したら頭蓋骨折ですね。
――刀より圧倒的に槍が有利だ、ということですね。ちなみに『バガボンド』はお読みになられましたか? その中で、宝蔵院胤舜という槍の名手が出てきますよね。あれを見て、何か思うところはありますか。
(画像はAmazonより)
横山:
絶対的に槍のほうが強いと思いますよ。刀が相当頑張ったとして槍に7割、刀に3割の勝率ぐらいじゃないでしょうか。
――あの中に出てくる胤舜の鋭く突くような槍の使い方は、史実に忠実なのでしょうか?
横山:
宝蔵院流は戦国時代が終わろうかという頃に発祥したんです。さきほど申し上げたように戦国時代の足軽が使った長槍はほとんど竹でできていたであろうと考えられています。対して、江戸時代のものは一本の丸木を削り出していって、一本の槍の柄をこしらえたんです。
もともと宝蔵院流は十文字槍で、突く、薙ぎる、鎌のように引き斬る技術です。しかし平和な江戸時代を経由していますから、創設当初の技術が伝わっているわけではありません。
つまり、江戸時代の槍は一本の木ですから、強度がないんですよ。だから、カツーンとやられたら折れてしまう可能性があります。戦国時代に最もよく使われた長い槍を使ってたたく戦法が江戸時代はちょっと廃れてしまいます。たたいても槍の強度が出ませんから、突くのが中心になったんですね。
甲冑を捨てて、軽いものになって、小競り合いがあったとしても、重たい甲冑をつけてガツガツやる時代でもなくなってきてるわけですね。
それなら突くほうがたたくより絶対的に有利ですから。なので、江戸時代の槍術は突くことに特化するので、柄の長さも短くしても十分なんですよね。あの胤舜の描写は割と実態に近いと思いますよ。
戦国時代最強の武器は弓だった!?
――槍、刀、弓、火縄銃、いろんな武器のお話を伺いましたが、合戦で一番有効だった武器は何だったのでしょうか。
横山:
とあるテレビ番組で実験したんですよ。私の予想は、火縄銃よりも弓が一番強いというものでした。たとえば敵との距離が50メートルであれば、弓隊のほうが鉄砲隊よりも強いです。
――それはどういうことでしょうか?
横山:
弓も鉄砲も当時一人で使うものではなく、10~20人の集団を組んでやるものなんです。
鉄砲についてお話すると、当時既に早合【※1】を開発してましたから、連発して10~15秒で一発撃てたとしましょう。対して弓は連射性を上げると数秒で一発打てます。さらに矢は真っすぐ飛びません。目の前の障壁を飛び越えて敵陣に飛んでいきます。
対して鉄砲の弾は当時の弾丸は丸いですから80メートルぐらいでホップアップ【※2】がかかるものの、ほぼまっすぐに飛びます。
※1早合
はやごう。木、竹、革または紙を漆で固め、それを筒状に成型し、その中に弾と火薬を入れた筒状の物。火縄銃のような銃口から弾を込める方式の銃の装填を簡便にするために用いられた弾薬包。戦国時代後期から使用されていた。
※2ホップアップ
丸い弾丸が発射された際にバックスピンがかることで、重力に逆らう揚力が生まれ、弾丸が浮き上がること。
つまり、前に防護柵として竹束などがあれば、鉄砲玉は避けることができます。しかし、矢は防護柵を飛び越えて空から降ってくるので避けれません。さらに、連射性は矢のほうが当時は上です。
どちらの武器も当たれば重症を負うことを考えれば、弓隊のほうがそのシチュエーションでは強いと言えます。
――てっきり火縄銃が無双状態だったのかと思っていました。そのほかにも時代劇ではおなじみだけど史実とは違っているものなどはあるのでしょうか?
横山:
弓の引き方ですかね。ドラマのとき、役者さんはまっすぐに立てて弓を引こうとするんですよね。現代弓道ではそのようになっていますから。ところが、戦国時代は弓を斜めに引きます。
なぜなら、そうしないと、弓の弦が兜や刀に干渉してしまって邪魔になるのです。弓と体を斜めにして、障害物に隠れながら引かないといけない。と、まあそういう違いがあるんですけど、映像としてどっちが映えるかというと、そりゃあまっすぐに立てて打つほうがかっこいいですよね。
火縄銃――戦国時代の様相を変えてしまった武器
――歴史の授業では、火縄銃が戦国時代の戦い方のルールを変えたと教わったんですけれど。
横山:
ある意味で、火縄銃によって戦国時代は変わったと思います。火縄銃は黒色火薬を使用するので、戦場にはすさまじい煙が発生しました。
(画像は火縄銃釣瓶打の演武 Wikipediaより)
さらに、火縄銃は音がとてつもなく大きいです。あの音を聞き慣れてない馬たちは驚いてしまって乱れてしまう。戦場では荷物は馬で運ぶので、運搬が止まってしまいます。当然、煙に包まれたなかで大きな音が何度も響くと人間も恐怖心で動けなくなってしまいます。
煙で目の前が見えないのに、すさまじい発砲音のする方向へ突撃しろと言われても……ちょっと行けませんよね(笑)。
『ドリフターズ』という作品で、異世界に行った信長が火縄銃の本質を語りますよね。「銃の本質は貫通力でも射程でもない、銃の本質は恐怖、あの音と煙が上がると誰かが死ぬ。二射目でそれをわかる。そして一度それをわかればもう前へは進めぬ。火薬の最たる効果は身を焼く炎でも切り裂く破片でもない、音と光、衝撃と畏怖、恐慌。それは大砲でも、鉄砲でもみな同じ」あれを読んだときに、まさにその通りと思いましたね!
(画像はAmazonより)
矢は飛んでくるのが見えますし、盾で矢を防ぐ役割の兵もいました。その盾をもった兵の後ろにくっついて進むわけですね。
鉄砲玉はそんな盾では貫通するかもわからないわけです。そういう意味で、火縄銃をこちらが撃ち出せばと敵側も撃ち続ける、これを鉄砲合わせと呼ぶのですが……鉄砲合わせが終わるまで互いが前に進めなくなりました。
――ということは、弓が戦国最強の武器ではあるものの、火縄銃が強かったという戦国時代で語られがちな物語は本当だったということですか?
横山:
当時、戦場におけるレポートである軍忠状を集約した本があって、それによると、多少色を付けて報告していたことを加味しても一番死傷率が高い武器は弓矢です。次に火縄銃がきて、その次に投石など何かを敵陣に飛ばすもの。さらにその次に槍ときて、刀の死傷者なんて本当に数えるぐらいしかいない。
なぜ弓矢のほうが鉄砲より死傷者が多いかと言うと、火縄銃が盛んになったのは、戦国時代の途中からだったので。戦国時代全体を見ると弓矢のほうが死傷者が多くなるというわけです。
剣客集団“新選組”の強さの理由
――そんなお話を聞くと疑問が出てくるのですが、なぜそのあとに新選組のような剣客たちが現れたのでしょうか?
横山:
あの当時は刀が武器の主流でした。というのも、江戸時代はある程度の身分でないと槍を持ち歩くことは禁止されてたんです。幕末はもちろん勝手に持っている人たちはいたんですけどね。戦国時代の長い槍に比べて、幕末の部屋内で使えるような手槍は柄の長さが180センチ程度でした。
その程度であれば、刀でもなんとか対応はできるんですが、180センチの槍で連突きするほうが絶対的に強いですね。
――どこに戦いのフィールドを置くかによって、使用する武器は変わってくるということですね。
横山:
新選組が戦った状況は入り組んだ路地や部屋内でした。すると180センチの長い柄をつけた槍は取り回しにくい。当然、短い刀のほうが有利に働いたわけですね。
装備で言えば、新選組は鎖帷子(くさりかたびら)を思いっ切り中へ着てますからね、刀は通用しないんです。それでも体当たりで突かれれば話は別ですが。
――思いっ切り体重を乗せれば、鎖帷子を貫いて刺せるということですか?
横山:
甲冑ではないので、体重を乗せれば鎖帷子は十分突けます。槍の場合も同様に、思いっ切り体重乗せて突けば、鎖帷子を貫通します。ちょっと当たったぐらいだったら通しませんが。
――『るろうに剣心』にたびたび登場する“抜刀術”のような居合抜きが隆盛を誇ってくるのは江戸時代なのでしょうか?
(画像はAmazonより)
横山:
居合抜きという技術は平和な江戸時代の話ですね。つまり、何も具足をつけていない素肌剣術の時代なんですよ。甲冑の時代には全く通用しなかったでしょう。
居合はもともと座っていて、脇差を使う技術ですから。居合の居は“座る居”で、その“居に合う技”なんですね。現代居合を修行しておられる方が立つ形をやる場合が多いんですが……。
――その時代ごとの武術のトレンドがあるんですね。
横山:
トレンドと言えば、居合抜きに限らず、真っすぐな刀が流行った時代があります。その理由は竹刀剣術が主流になったからですね。竹刀が真っすぐだから、刀も真っすぐにしちゃえっていう時代があったりしたんです(笑)。
戦国武将たちの英雄伝説は真実なのか?
――漫画『花の慶次』で描かれた前田慶次や、三国志の呂布のような圧倒的な個人の強さでもって合戦で武勲を挙げる武将たちの逸話は本当にあったのでしょうか?
横山:
あったと思いますよ。ただ、個人でいったい何人を一気に倒せるかといえば……どんなに頑張っても3人だと思います。
戦場では敵に囲まれると当然、真後ろは見えないですよね? だから3人以上を相手にすると非常に危険なんですよ。だから……あくまでも逸話に伝わるような戦国武将たちが槍をぶんぶん振り回して戦ってるイメージは、そもそも「あいつは強いぞ」というイメージが敵兵たちの心のなかにあるから、萎縮して引き下がっているから生まれる光景なんですね。
――なるほど、強いと評判の武将と真正面から戦って殺されたくないのは当然ですよね。
横山:
ケンカでもそうでしょう、1人2人とやられただけで、「うわぁ…」とみんな引き下がってしまう。だから、いつまでも彼は強い、というわけです。矢が当たれば、あるいは槍が刺されば怪我をするように、どんなに練習しても人間はそんなに強くなれないですから。
なぜ現代では、戦国時代の武術は廃れてしまったのか
――実用的な技術ほど派手さがなかったりするせいで、創作物ではウケないこともあるかもしれませんね。
横山:
そうなんですよね。ガチ甲冑合戦って、ある意味泥臭いんです。一騎討ちをしても、派手じゃないんですよね。映画やテレビ番組の現場で「泥臭いほうがリアリティがあっていい」とおっしゃる方は、それでいいんですけれど、派手な殺陣やワイヤーアクションにも魅力があるわけじゃないですか。
一般的な娯楽の感覚でいくと泥臭い世界観は漫画、アニメの世界と全然似合わないかもしれません。
――さきほどお伺いした、甲冑は手首を固めるから小手を捕りにくい、みたいな生きた知見や技術は廃れてしまって、耳目を引くような、いわゆるフィクションが残ってしまうのはなぜなのでしょうか?
横山:
戦国時代の本当に実戦に必要な技術って、江戸時代では必要ないんですよね。
娯楽としての御前試合や、競技としての試合があるわけですから、今の格闘技と一緒なんですよ。つまり、ルールをフェアにして、お互いの体格や武器をイコールにする。なぜなら、そうしないと見てて面白くないからですね。
さらに言うと、戦国時代から時代が下って、武術家たちが自分の門弟に武術を教えるようになると、技の数が多いほうが凄そうに見えるし、生徒たちの覚える時間がかかるから都合がいいですよね(笑)。
6つしか技がなければすぐ覚えられます。しかし、それが100あれば当然2~3年は修行に時間がかかるでしょうね。というわけで、最初は6つしかなかったような古流の武術でも、江戸時代の終わりには300以上の技数になったりするわけです。
江戸時代になると、武術のなかに様式美として、宗教的だったり儀礼的なものを、形の中に入れていくようになります。結果として、これは現実的ではないな……というものがたくさん生まれるわけです。
「勝てばいいんだ! 相手のけがなんか知ったことではない」と実戦的なことをやるのは、ちょっとやめてください、と。危険な技術はどんどん禁じ手にしていくわけですよ。
――金的を禁じて、目つぶしを禁じて、指捕りを禁じて、武器の使用を禁じて……ということですよね。ガチ甲冑合戦においても、「ガチ」と名前がついているとはいえルールがあるわけで、その意味でガチ甲冑合戦ですら、ある意味ガチではない……?
横山:
それはよく言われるところなんですよ(笑)。「ガチンコで戦う」という言葉の意味は、参加者みんなが真剣な気持ちであり、今までは、パレードとしてしか行われなかったものを、武術的に戦ってみようという話なんです。
戦国時代と違って、けが人を出して救急車呼ぶわけには勿論いかないので、そこにはルールを設けて、けがをしないようにする。この枠組みは絶対にはずせないわけですから。
だから、本当の意味で殺し合いを指す「ガチ」をやるのかって言われたら、違いますよね。
しかしながら、今まで100名程度の人間が集まってぶつかり合いをやるような武術の検証はおこなわれていませんでしたから、そういう意味で検証にはなるんですが、その検証結果が絶対的に正確なのか? と言われると……。
7割ぐらいは確かでしょうけど、残り3割はわかりませんねっていうのが正直なところなんですよね。本当の殺し合いをやってるわけではないので。
ガチ甲冑合戦の今後の展開
――ところで、ガチ甲冑合戦の参加者はやっぱり武術経験者の方が多いのでしょうか?
横山:
いろんな人が参加されていますよ。こないだ開催したときは蓋を開けてみると、格闘技をやっていた人が4割ぐらいでした。他には歴史ファンの人たちが3割ぐらいですかね。
――ということは、いわゆるガチ甲冑合戦におけるガチ勢は、全体の4割ぐらいなんですね。そのぐらいの割合のほうがイベントが進行しやすかったりするのでしょうか。
横山:
格闘技や武道をどれだけやっていたかは、ある程度は結果に響いてきますが、集団戦になると絶対的なものではないですね。
――これまで開催してきたなかで、印象に残ってる参加者の方はいましたか?
横山:
自分専用のマイ甲冑を持ってきた人がいましたね(笑)。「これ、作りました!」って喜んでおられました。そういう人は、結構いますよ。
――マイ甲冑ですか(笑)。みなさん、戦国時代の合戦をエンジョイしておられますね。
横山:
われわれも合戦以外にも、戦国時代のおにぎり再現して出してみたりとか、今度は猪鍋を出す予定ですね。
――ガチ甲冑合戦をよりガチに近づけていく、エクストリーム版みたいな構想はあったりするんでしょうか。
横山:
今は逆に、ゲーム方向に寄ろうとしてるんですよね。例えば参加者が、中身がクッションになっている刀を使って、それが触れたら色が変わる布を身につけてもらう、それで勝敗を競おうというわけですね。和風サバイバルゲームという感じですね。
ゲーム感覚へ寄せる理由は、特別な練習をしていない一般の人たちにもたくさん参加してほしいからですね。戦国時代も農民兵はそんなに戦闘訓練はしてないですからね。
その条件でやってみて、みんなが右往左往なる中で、戦術的なことができるのかという検証ができる。実は、賞金を懸けるっていう話が出たことがあったんですが、けが人が続出しそうなんで賞金制はやめました。
――本当の戦国時代の世界ですよね(笑)。テレビ番組などで、フェンシング対剣道みたいな取り組みを見たことがあるんですが、西洋甲冑VS鎧武者みたいなことを想像してしまうんですけど、そういう構想はあったりしますか?
横山:
以前、ヨーロッパのイベント会社からそんな話もあったんですけど、実現しなかったですね。
やってみたら面白いと思うんですけれど。ただ、時代設定をいつにするが難しいんですよ。向こうが14世紀の騎士だったら、こちらも14世紀にしないといけないでしょう。日本の14世紀は戦国時代の具足ではなく重たい大鎧なんです。
――新選組のような屋内でのガチチャンバラ的なものがあれば、ぜひ見たいと思います。
横山:
屋内戦を想定したイベントも考えています。ここ武徳館のある、ともいきの国・伊勢忍者キングダムの2層目にともいき劇場があり、ついたてや屏風をたくさん設置して、どう戦術的に奥まで進んで敵を倒すかというものですね。
それにも要領があって、新選組のように3人ずつユニットを組んでやらないと、1人じゃ絶対無理なんですよね。屋内戦にはユニット訓練が必要なんです。