初音ミクの「テンプレ」を壊したボカロ動画『恋は戦争』絵師・三輪士郎さんに、ミク誕生からの10年について話を聞いてみた
ミクのキュートなイメージを壊して遊んだ
——「恋は戦争」の発表後も、活動は継続しました。反響が大きくて、モチベーションが上がったということもあるのでしょうか。
そうですね。再生数とかマイリスとか、いろんな数字がありますけど、やっぱりコメントもらえるだけですごい嬉しいんですよ。supercellの活動は本気でやってたので、そのぶん手応えを感じたのは嬉しかった。
——その後、メジャーデビューまで果たすわけですが、当時の心境を教えてください。
ボーカロイドで曲を作ってる集団が、メジャーデビューって、そんなのやっちゃっていいの!? えらいことになったなって感じでした。CD出すたびにクリプトンにショバ代払わなきゃいけないのか、お金どうしようか? って、みんなでいろいろ考えちゃって。
でもまあ、一番いろいろ考えてたのはryoさんで、ぼくらは必要とされた時に絵を描くという感じでしたね。
——supercellのメジャーデビュー作「君の知らない物語」は、人気アニメ「化物語」のエンディングテーマになりました。
渋谷のセンター街にずらっと並んだフラッグを見た時は、「すげーな! いよいよここまで来たか…」って感じでした。
あとは、いままでボカロを使っていたので、人の声が乗ってるっていうのが新鮮で、今までとの違いを感じましたね。逆に、この曲にミクの声をあてて投稿してる人もいて、「あ、逆パターンもあるのか、なるほど」って妙に納得したり。
——この頃には、supercell楽曲は全て大きな反響を呼んでいて、ニコニコ動画全体も、歌ってみた、踊ってみた、演奏してみたなど、二次創作の連鎖でとても盛り上がっていました。
ああいった膨らみ方をするのは予想外でしたね。
——このムーブメントに、supercellが寄与した部分も大きかったと思います。
そういう一助になればいいな、とは思いました。イラストに関しても、最初は初音ミクのテンプレを崩さないほうがいいのかなとも思ってたんですけど、だんだん、あんまりこだわらなくていいと思いはじめて。
「恋は戦争」「初めての恋が終わる時 」では初音ミクのキュートなイメージを壊して、そのうちツインテールですらないミクも描くようになりました。
——確かに、三輪さんの描くミクは原型をとどめていないですね。
最初は反発もあると思ったんですよ。実際、発表した当初は「ミクの顔が怖い」「強そう」「おれの知ってるミクじゃない」みたいな反応もあって。
でも、あの絵柄が認知された後は、「ミクをどう料理してもいいんだな」という感じで、遊びの余地がどんどん広がったんじゃないかって気がするんです。
——ボカロ曲のイラストを描く際に気をつけていた点はありますか?
あくまで絵は添え物という意識で、曲に合わせた絵を描くことでしょうか。曲のイメージに一番合ったミクを描くことを意識してたので、あんまり“おれのミクはこうだ”みたいなポリシーはなかったです。
多忙を極める中、さらに別名義でこっそり活動していた
——supercellの、発表する曲ごとにイラストレーターが変わるという仕組みも、最初から決まっていたんですか?
「メルト」と「恋は戦争」でイラスト担当が違ったので、毎回変えていった方が華やかでいいなって話になったんです。知り合いの中でこういう話に乗ってくれそうな人を考えて、hukeさんとredjuiceさん【※】をryoさんに紹介してメンバーが増えました。
※hukeさんは「ブラック★ロックシューター」、redjuiceさんは「ワールドイズマイン」のイラストを担当。
でも、最初は探すアテがなかったので、「じゃあ、自分が絵柄を変えます」って言って、別名義で描き始めたんですよ。
——えっ……仕事の傍らで同人活動をしてたのに、さらに活動を増やしたんですか?
supercellのためではなくて、あくまで自分のためだったんですけど。当時、三輪士郎って名前がニコニコで知れてきちゃったので、迂闊に遊んでもいられなくなって。何かやるたびに「お前、仕事しろよ」って言われてしまう。非常にごもっともなんですけど(笑)。
ただ、息抜きで遊ぶ余地は残したかったんですよ。同じ方向を向いた仕事ばかりしてしまうと、息が詰まってしまうので、どうしても何か息抜きをする遊び場所を残しておきたくて。別の絵柄で全然別の人と組んでみたり、すでに発表されてる曲にPVをつけたり、色々やってましたね。
——どんな名義で活動してたんですか?
別名義は「スガ」で、三輪士郎のアシスタントという設定。もし「三輪士郎に絵柄が似てないか?」と疑われても、アシスタントなら仕方ないって言い訳できるように(笑)。
作曲者の許可をとって、作ったPVのディスクを持って、ボーマス(ボーカロイドonly event 「THE VOC@LOiD 超 M@STER」)に参加したり、けっこう楽しかったですね。
——「スガ」さんとしては、どんな動画のPVを作ったのでしょうか。
Shibayanさんの「なんということでしょう」とか。当時ツボにはいって、これは絵を入れたいな、と。
「スガ」名義で投稿された「【初音ミク】勝手に『なんということでしょう」のPV作ってみた』
——これは、三輪士郎さんとはわからないですね……。この情報は、まだオープンにはなってないですよね?
そうですね。「スガ」としてイベント参加したときには、ブースで「もしかして、三輪士郎さんですか?」って気付く方はいましたけど、ネット上で「こいつ、三輪士郎じゃないか」って気づいた人はいないと思います。
その他にも、中身を知った上で一緒に活動してくれた方もいて。buzzGさん、kzさんとか。ジャケットイラストを「スガ」名義で描いたり。当時は、隠れ蓑的な活動としてやってましたね。
——ちなみに、現在の絵柄にいきつくにあたって、どんな人たちから影響を受けてきたのかを教えてください。
それはもう、いろんなものから影響を受けてます。今の絵柄に一番影響を強く受けたのは、「テガミバチ」などを描かれた浅田弘幸さんですかね。ぼくが小学校の時に月刊ジャンプで連載していた「眠兎(みんと)」を読んだ時、モノクロのコントラストが美しい絵柄がすごいな、と思って。
あとは、TVアニメ「LAST EXILE」など手がけた村田蓮爾さんの描く男性キャラのセクシーさなんかは影響を受けましたし、格闘ゲームファンだった頃には、カプコンのデザイン室とかもそうですね。
他にも、ファイナルファンタジーの天野喜孝さんの絵も好きでした。FF3から入ったんですけど、イラストレーターとして初めて意識したのは天野さんの絵だったかもしれない……。いやーキリがないですね。
——これまでのオタク遍歴については、どのような道を辿って来たのですか?
田舎に住んでたので、オタク的なコンテンツに恵まれなくて、リアルタイムで見てたものが周りとズレてるんですよ。自転車で遠くのレンタルビデオ屋をあさりに行って、変な探し方をしちゃうから。東京に出てきてから、友だちと好きなアニメの話をすると「お前は世代がおかしい」ってよく言われてました(笑)。
最近、「科学戦隊ダイナマン」を見てるんですけど、昔の作品って、面白いんですよ。今だったら炎上するようなめちゃくちゃな展開がけっこうあって。昔の特撮をよく見ちゃうので、やばいな〜仕事が進まない(笑)。
今はオンデマンドサイトが充実してて、いろんなものが見られて楽しいですよね。その反面、独自に歪んでいくオタクが生まれづらいかもしれない。ツイッターとかで流行りも並列化されて、共感しやすいかもしれないですけど、おかしな育ち方をして歪んだやつがたまにいると面白いんじゃないかな。自分が通ってきた道は間違ってなかったと思ってるので。