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『未来のミライ』は細田守版『千と千尋の神隠し』!?「どちらも主人公との交流で呪いから解放される」映画評論家が類似点を指摘

くんちゃんとの触れ合いで癒やされるそれぞれのコンプレックス

岡田:
 例えば、映画の中に、ひいひいじいちゃんというイケメンが出てきます。彼がオートバイを修理しているところに、“くんちゃん”という主人公の男の子が実体化するんですね。

 ひいひいじいちゃんには「戦争で足を痛めた」というコンプレックスがあったんですけども、くんちゃんを馬とかバイクに乗せて走らせた時、くんちゃんが「お父さん」って言うんですね。これは、くんちゃんの勘違いなんですけど、そう言われた時、ひいひいじいちゃんは絶妙な顔をするんです。

 これ、どういうことかというと、くんちゃんから「お父さん」と言ってもらったことによって、やっと「自分もやっぱり、こんなふうにお父さんと呼んで欲しいんだ」と気がついたということなんです。

 そして、その結果「自分は足が不自由だから、もう一生、結婚は出来ない」というコンプレックスがあったところから、「あ、俺、本当は子供が欲しいんだ。じゃあ、気になっていたあの女の子に、思い切ってプロポーズしよう」ということになる。たぶん、くんちゃんが現れなければ、あそこで血筋は途絶えていたわけですね。

『未来のミライ』
(画像は『「未来のミライ」予告3』より)

 あとは、くんちゃんのお母さんが「本当は弟と仲良かったよ」と説明するシーンがあるんですけど、劇中には仲が良かったようなシーンが全然ないんですね。ということは、「仲が良かったと思いたかった」というふうに解釈することもできる。現にお母さんの家に行った時にも、弟は全然出てこないんですよ。

 たぶん、お母さんには「もっと弟と思い切り遊びたかった」というコンプレックスがあったんですよね。この“コンプレックス”という言葉は、ここでは劣等感だけではなくて、いろんな思いがこんがらがって、ほどけなくなっているという、心理学的な使い方でコンプレックスという言葉を使ってますけども。そんなお母さんのコンプレックスを解放してあげているんです。

『未来のミライ』
(画像は『「未来のミライ」予告3』より)

 星野源が声優を演じた父親だけは、ちょっと複雑なんですよ。

 お父さんは、「子供の頃、自転車に乗れずに諦める」ということになっていたんですけど、大人になってから、諦めずに自転車に乗る自分の息子の頑張りを見て、「自転車に乗れなかった過去の自分のあの悩みには意味があったんだ」「今、自分の息子を見ることで癒やされているんだ」と気がつく。

 つまり、いろんな出来事の交差点に、この主人公の男の子はいるんですね。

やりたいことを素直にぶつけた方が良かった

 こういうふうに作っていると、「この映画は千と千尋の神隠しですよ」っていうのがバレないんですよ。でも、それで面白くなるとは限らないんですよね(笑)。

 今回、細田さんは、こういった“そこそこ難しいこと”をやろうとしてるんですけども、やっぱり、エピソードが弱いんじゃないかと思うんですよね。

 こういう言い方も失礼ですけども、たぶん、もうちょっと素直に「何が元ネタで、実はこの作品に思い入れがあって、俺だったらそれをこう作るんだ!」っていうことを言い切っちゃった方が良かったような気がするんですけどね。

 これでは「新しさもなければ面白さもない」と思ってしまいました。

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