『アニゲマスター』おたささがアニラジ20年の歴史を語る「気づいたらディレクターからラジオパーソナリティに」
アニメ、声優、ゲームなどのファンに向けたラジオ番組群『アニラジ』。
ラジオパーソナリティのおたっきぃ佐々木さんと、声優の天海由梨奈さんが出演するニコニコ生放送番組「やっぱ、アニメでしょう」では、「アニラジ」をテーマに、おたっきぃ佐々木さん自身が番組のディレクターを務めた経験を語りました。
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当時は貴重だった、声優のトーク番組
おたっきぃ佐々木(以下、おたささ):
アニラジとは、アニメ系のラジオ番組というものなんですけれども、最近では声優さんの番組全般的に「アニラジ」と呼んだりしております。アニメや声優さん関連の番組、あとはそれが好きな人達がやっている番組とかね。そこら辺も含めてのアニラジ。
実はこれ、アニラジという言葉自体が、僕が最初に番組をやった頃にはまだない言葉だったんです。
天海:
そうだったんですか?
おたささ:
『声優グランプリ』という声優雑誌があるんですけれども、あれの別冊で『アニラジグランプリ』という雑誌が発売されてまして、そこでアニラジという名前が定着して、今に至るんですね。
天海:
こんな感じだったんですね。
おたささ:
いろんなパーソナリティの人たちが表紙を務めたりして。僕はディレクターとかをやっていたんで、いろんなラジオ番組が始まって、1980年代ぐらいなんですけど、その頃はやっぱりアニメ雑誌っていうのがすごい人気があって。今でも残っているのは『ニュータイプ』と『アニメージュ』ですね。
(画像は公式サイトより)
天海:
今でも馴染みがありますね。
おたささ:
他にも『ジ・アニメ』とか『マイアニメ』『アニメック』『月刊OUT』とか。いろんなアニメ雑誌がありました。アニメ雑誌がラジオ番組を持ってたんですよ。
天海:
おー!
おたささ:
その中で一番好きだったのは『アニメトピア』という、ジ・アニメが提供していた番組で、他のアニメを売っているスポンサーとか、アニメのグッズを売っているスポンサーとかが提供しながらやってたんですけど、これが伝説的な番組で。
一番よく聴いていたのが、田中真弓さんと島津冴子さんの二人がやっていた番組なんですけれども、その中に三ツ矢雄二さんや松野達也(現:松野太紀)さんが入っていき、まだすごい若い頃の番組なんですが、中学生の時に知っている声優さんが「普通にしゃべってる!」という状況に驚いていました。その頃はテレビ番組なんてなかった。
天海:
あの声優さんの生声が聴けるというのは、あまりに貴重ですよね。
おたささ:
普通に喋ってるところが聴けるなんて、そんな時間があっていいのかっていう。「アニメ以外の声が聴けるんだ! 嬉しい!」という、そんな感覚でずっといましたね。
それが巡り巡って、文化放送でバイトを始めて番組を作ることになるという。世の中、輪廻転生ですよ。俺がディレクターをやってたと思ったら、パーソナリティまでやらされることになって。
天海:
何が起こるかわからない。
おたささ:
ラジオを聴いていたやつが喋るようになるってどういうことだと思いながらね。
フルボイスゲームの発祥
おたささ:
あとはゲーム会社さんですごく強かったのが『PCエンジン』や『プレイステーション』というハード。ゲームに声が付くんですよ。
天海:
うんうん。
おたささ:
ちゃんと喋るセリフを言ってくれるゲーム、いわゆるギャルゲーというのが出始めて……。
天海:
どんどんフルボイスになっていくんですね。
おたささ:
どんどんフルボイス化されていって、そこきっかけでゲームの方から声優さんに興味を持つっていう人もいて、そういうところからいわゆるゲーム系のスポンサーさんがラジオをやって。それでCDドラマを付ける、みたいな形。
例えば、僕がやってた中だと、『メルティランサー』のラジオドラマをやっていくとか。そういった番組とかが増えて、それでスポンサーがついて一世を風靡していく。90年代の初頭はギャルゲーブームに乗っていた。
(画像はAmazonより)
特定のレコード会社から声優さんのラジオ番組っていうのが生まれて、声優さんのラジオ番組っていうのが人気が出てきて、いわゆるアーティスト活動というものもするようになって……。声優さんのライブとか人がどんどん集まって、その中で椎名へきるさんとかが声優としてソロで武道館をやったり。
いろんな懐かしい番組とかありますけれど、そんな感じで90年代から僕も「アニゲマスター」とか言って、喋る番組になって。そっちは情報番組をやりながらディレクターで、という。当時のこぼれ話としては、例えば番組内でよく情報番組とかの中で、10分ぐらいの番組とかを入れたりするじゃないですか?
天海:
ありますね。
おたささ:
そっちではディレクターをやってたりするんですよ。
天海:
何でもできちゃうんですね。
おたささ:
どっちかって言うとそっちが本業でしたから。
休憩中に最終確認をして、そのテープが後で流れるなんて、むちゃくちゃな事をやってました。