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存在感増すロシア——「大国」の実像と虚像

小泉 悠

 筆者は1982年の生まれである。
 1991年のソ連崩壊時には9歳であったが、不思議なくらいにソ連という国に関する記憶がない。鮮明な記憶が残っているのは、ソ連崩壊後の衰退し、混乱したロシアの姿である。

©PPS通信社
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 凍えるモスクワの街頭に食料を求めて並ぶ人々の列、泥沼のチェチェン戦争、汚職やマフィアが跋扈するという噂。高校生になる頃にはかなり重症の軍事オタクであったので、「ロシアはやたらと新型兵器の計画をブチ上げるわりにどれも実現しないなぁ、カネが無いんだなぁ」などと、ミリタリー雑誌を眺めながら思っていた。
 だが、ソ連崩壊から25年を経て、ロシアは再び国際情勢を左右する重要プレイヤーとして復活してきた。しかも、秩序の維持というよりは、冷戦後の秩序に異を唱える挑戦者としての行動が目立つ。
 世界を驚かせた2014年春のクリミア半島併合と、それに続くウクライナへの軍事介入。2015年秋に始まったシリアへの軍事介入。米大統領選で問題になったクリントン候補のメール流出への関与疑惑に、南シナ海での中露合同演習…いまやニュースにロシアが登場しない日はないと言ってもよいほどだ。

 こうしたロシアの「復活」は、何を意味するのだろうか?

 ある世代以上の−−−つまり、筆者のようにソ連のことをほとんど覚えていない世代よりも上の世代の人々にとっては、ロシアがかつてのソ連のような超大国に復帰したかのようにも見えるだろうし、そのような言説を実際に目にすることもある。また、1990年代と比べれば、2010年代のロシアが格段に「強い」国家になったこともまた事実ではある。
 筆者の専門である軍事に関して言えば、1990年代のロシア軍では、新型装備の導入どころか既存の装備品の整備費用や燃料代さえ滞り、訓練もロクにできない有様であった。社会では徴兵逃れが横行し(ソ連崩壊後もロシアは徴兵制を維持している)、軍内では悪質な新兵いじめや麻薬汚染、横流しなどが常態化していた。1994年に始まった第一次チェチェン戦争では多くの犠牲を出すとともに残虐行為を行ったとして国内外の非難を浴び、国民の軍への信頼は地に墜ちた。

 だが、1999年末から始まった原油価格の高騰による高度経済成長は、ロシア軍を様変わりさせた。新型装備の大量調達が軌道に乗り始め、軍人や徴兵の生活環境も大きく改善されつつある。2008年には大規模な軍改革が開始され、編成や指揮系統の合理化も進んだ。かつては不揃いでよれよれの制服を着ていた軍人達も、最近では統一された見栄えの良い軍服を着ている姿が目立つ。
 こうした最近のロシア軍をめぐる状況の変化は、たしかにロシアという国家の国力回復を反映したものである。筆者が初めてロシアを訪れたのは2006年だが、それから10年を経た今、ロシアは大きく様変わりしている。モスクワの街角は見違えるように綺麗になり、公的制度が再びきちんと機能するようになった(もっとも、依然として街では物乞いの姿を見かけるし、昔とまるで変わらない田舎の都市もある。また、情報機関の「仕事」も復活したので、政治的締め付けは厳しくなった)。昨今、注目を集めているウクライナやシリアへの軍事介入も、このような「基礎体力」の回復無くしてはあり得なかっただろう。

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『プーチン大統領のすべて』より引用

 だが、ロシアは何故、ここへ来て軍事介入路線へと転じたのだろうか? その背景にあるのは、冷戦後の秩序そのものに対する不満であると筆者は考える。
 たとえば、2014年3月にプーチン大統領がクリミア半島の併合を宣言した際の演説について考えてみよう。この演説では、クリミア併合の正当性に関するのと同じくらいの分量が、冷戦後秩序の不当さについても割かれている。曰く、西側は冷戦後も一方的にNATOを拡大しようとしてきた。曰く、ロシアの意見を聞かずに重要なことを決めてしまう。曰く、都合の悪い国家体制に対してはクーデターをけしかけて潰してしまう……。

 それぞれの内容についての妥当性はまた別として、ロシアが何に不満を抱いてきたのかは概ね明らかであろう。世界秩序の中軸であった超大国・ソ連があまりにも急速に崩壊し、突如として西側の決めた秩序に従うだけの地位に零落してしまったことへの、強烈な屈辱と不満がそこには垣間見られる。
 安全保障面に関して言えば、ソ連が中心となって結成されていたワルシャワ条約機構は解体されたのにNATOは存続しており、あまつさえロシアの国境に向けて加盟国を拡大したり、ユーゴスラヴィア紛争の際のように国連の決議なしで軍事力行使を行うなどするようになったことは、ロシアの最大の不満であった。
 これに対して冷戦後の世界を支配した言説は、「ロシア(の採用した政治・経済体制)が誤っており、その結果として冷戦に敗北したのだから当然だ」というものであった。だが、そのように見られることもまた、ロシアのフラストレーションを高めた一因と言えよう。

 また、ロシアは伝統的に「勢力圏」の思想を根強く有する。勢力圏という概念は国際法で公式に認められたものではないが、公式の国境線の外側にも国力に応じてある国の影響力が及ぶという考え方であると要約できよう。かつてのソ連は東欧諸国やヴェトナムに対してもこうした影響力を有していたが、現在のロシアにはそのような力はもはやない。だが、旧ソ連諸国は依然としてロシアの「勢力圏」であると見なされており、実際にロシアは相当の影響力を有してもいる(第二次世界大戦でソ連に併合されたバルト三国は除く)。
 2008年に発生したグルジア戦争は、NATOがこの勢力圏内に初めて及んでくる可能性を前にして起こったものであり、2014年のウクライナへの軍事介入も同様に見ることができる。2008年4月にブカレストで開催されたNATO首脳会合では、グルジアとウクライナのNATO加盟が決定される寸前の段階にまで至っており(ロシアの反発を恐れた独仏が反対に廻ったことで否決された)、2014年のウクライナ危機でロシアが恐れたのも、ウクライナが自国の勢力圏から離脱してしまうことであった。

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『プーチン大統領のすべて』より引用

 一方、2015年のシリアへの軍事介入は、中東における貴重な友好国であるシリアを守るとともに、「アラブの春」のような事態が旧ソ連にまで及んでくることをどこかで食い止める必要性から行われたものと解釈出来よう。ベラルーシや中央アジアでは独立以来の指導者が権威的な統治を敷いている国が多く(今年9月に亡くなったウズベキスタンのカリモフ大統領もそのような指導者の一人だった)、こうした国々で「アラブの春」のような体制転換が起こればロシアの「勢力圏」もまた危うくなる。
 言うなれば、冷戦後のロシアは常に追い詰められ、失う恐怖に駆られてきた国であると言える。そして、その恐怖が旧ソ連で実現しかけた2000年代末から2010年代半ばに掛けて、ロシアは実力でこれを排除しようとし始めたと言えるだろう。したがって、ロシアの行動は能動的なものというよりはもう少し受動的な性質を帯びているというのが筆者の見方である。

 もちろん、ロシアがこうした行動に出てきた時期が、国力回復が一定の水準に達した時期と一致していることは偶然ではあるまい。冷戦後の流れに異議を申し立てられる実力を得たことが、現在のロシアの振る舞いの基礎となっていることは疑いないと思われる。
 だが、そのような実力行使は、「強さ」というより、現在のロシアが抱える「弱さ」の反映と見るべきではないか。たとえば「勢力圏」のような概念は多かれ少なかれどの大国も持っているものだろうが、その多くは経済力やソフト・パワーによって維持されている。軍事力による締め付けも行使はするが、経済力やソフト・パワーに比べるとあらゆる意味でコストが高い。

 ところが、ロシアの場合、そうした無形の力が弱いために、「勢力圏」に対するレバレッジ(影響力のテコ)が軍事力に偏りやすくなるという傾向が認められる。
 たとえばロシアの経済力は現在、世界ランクで15位内外というところであり(一時は6位というところまで行ったが、ルーブル暴落により大幅に目減りした)、かつての社会主義の総本山という強力なソフト・パワーも失ってしまった。そしてソ連を中心とする社会主義陣営が崩壊してみると、東欧の多くの国々はロシアの勢力圏内に残ることを恐れ、我先にNATOやEUへと加盟していった。ソ連の統治下における政治的抑圧や物質的生活の貧弱さといった記憶が、まさに現在のロシアのソフト・パワーを低下させているという構図をそこに描くことができよう。
 また、中央アジアは中国の巨大な経済力による進出に晒されている最中であり、ロシアが西側に対してどれだけ軍事的に対抗しようとしても、ロシアの「勢力圏」はユーラシアの中央部からじわじわと侵食されていくことになるだろう。

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『プーチン大統領のすべて』より引用

 本稿の冒頭にも述べたように、昨今のロシアはたしかに存在感を増しつつある。

 だが、それはどうもあまり前向きのものではないのではないか。何かを実現しようとしているというよりも、失うまいとして反発しているのが昨今のロシアの「台頭」の大きな要因であるように思われる。

 一方、ロシアが巨大なポテンシャルを秘めた大国であることも忘れてはならないだろう。2000年代のエネルギー資源高騰の際、ロシアはその儲けでソ連崩壊後の混乱にどうにか一段落をつけることに成功したが、残りは準備基金として溜めこむばかりで産業の近代化が進まなかった。その結果、原油価格が暴落した今になってロシア経済は未曾有の危機に苦しみ、せっかくの準備基金も来年には底をつきそうだと言われている。だが、もしロシアがこの危機をどうにか凌ぎ切り、次のエネルギー資源高騰の波まで持ちこたえるならば、そのときには産業近代化を果たした巨大な経済国家・ロシアが出現する可能性もないではない。

 ドイツの宰相ビスマルクが述べたように、「ロシアは見かけほど強くないが、見かけほど弱くもない」国である。

「ロシア」総力特集スペシャルサイト
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