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まんが原画の保存に25年間、心血を注ぎ続ける美術館があった――ニッポンの漫画を文化遺産として残す為の“国内最高峰の原画収蔵システム”「マンガの蔵」に迫る

なぜ、いち地方美術館が国家事業の先導役になっているのか?

――まんが美術館の原画の保存に関する取り組みは、他の美術館に影響を与えていたりするのでしょうか?

大石:
 先ほどアーカイブルームでご説明した“ハイエンドなレベル設定”は、2015年に始まった文化庁のアーカイブ補助事業で設定したもので、これから原画保存の一つの指針としていただく考えです。
 また、今年度からは当館に国内唯一のマンガ原画保存の相談窓口となる「マンガ原画アーカイブセンター」が設置されますので、今後は全国規模のネットワークづくりを進めていきます。

――全国にアーカイブルームができあがっていく……ということなのでしょうか?

(写真提供:横手市増田まんが美術館)

大石:
 いいえ、そういうことではないです。私達としては、どんなレベルのアーカイブであっても、仲間になっていただきたいという考え方です。「スキャンまではできないけど大切に収蔵庫で保管します」みたいに、守ってくれる意志のある仲間と一緒になって原画を守っていく、そういう考え方なんです。

 極端な話、管理状態が悪い押し入れみたいなところから、どこかの美術館の収蔵庫に移動するだけでもすごく環境がよくなります。だから、決して他のレベルを否定したりは一切しない、許容していこうという考え方のもとでやっています。

――展示はできなくても保管ならできる、という人や団体があるかもしれませんものね。

大石:
 そうです。そういった仲間を増やしていくのがアーカイブセンターの大切な役割となります。
 さらには、これまでは地方館の立ち回りのよさで我々は保存事業を進めてきましたが、これからは国レベルで原画保存を担う機関ができることに期待しつつ、ここが先導役を担っていく必要もあります。

――ということは、10年、20年後を見据えてナショナルアーカイブセンター的なものができることを目指して頑張っているということでしょうか?

大石:
 当然、それは期待しています。なぜならアーカイブって100年のスケールで語らないといけないので、僕が生きてるうちに終わらないんですよ。この事業は何かをやってすぐに結果が出るものではなくて、今の人類が次の世代に残していく使命のようなものだと僕は思っています。

――「原画保存をして何になるのか」という問いかけに対して、具体的なメリットはあるのでしょうか?

大石:
 数字として具体的なものを示せるかと言えば、現時点ではそれは無理です。ただ、市や僕たちがこの事業に取り組む一番の意味は、はっきりしています。“シビックプライド”の醸成です。つまり原画保存事業を“市民の誇り”にしていこう、という考え方ですね。
 「福祉」「教育」等は行政の大切な役割ですが、それだけでは行政はうまく回っていきません。健全な横手市の成長のためには文化事業も絶対に必要で、ふるさとに原画保存に取り組んでいる美術館があることを、市民に誇りに思ってもらうことをベースに、この事業をしています。つまり、マンガ文化を支えてきた原画が地元の美術館で大事に保存されている事実を、市民ひとりひとりがみんな誇りに思えるようにしたいというのが横手市がここに対して抱いている原画保存事業の一番の願いなんですよ。

 一つ例を出せば、美術館運営の中で漫画を教育に市内の子どもたちを対象に活かしていく取り組みもおこなっています。

(写真提供:横手市増田まんが美術館)

 こういった取り組みができるのはまんが美術館に原画があるからだし、そういったものを少しずつ市民に広めていって、みんなでマンガを活用していこうと呼びかけています。やはり、どんなに大きい目標を掲げてても、地元に愛されない施設っていうのは長生きできないですから。

「美術館に来たときは右も左もわからなくて…」市役所職員時代を振り返る

――電話で原画保存の取り組みについて取材を申し込んだときに、美術館の方に「それなら市の職員だった大石という者が詳しいです」と言われたときには、まさかこんなに熱心な方が現れるとは想像できませんでした。

大石:
 僕はマンガ研究者ではないので、特別な知識もなくてただマンガが好きなだけです。他のマンガ関連施設の中心にいる人たちはみんな職業が「マンガ研究家」なわけですよ。だから、僕なんかシンポジウムで作品に関する話になったときは、ずーっと大人しくしています(笑)。

一同:
 (笑)

大石:
 加えて、美術館の担当になった当初は、運営自体の改革も求められていましたので、まさに暗中模索でしたが、逆にその分、好きにやれたとも思っています。

――ということは、ある意味何をやっても怒られることはないみたいな?

大石:
 怒られることばっかりだったですけど。

一同:
 (笑)

大石:
 僕は難しい手続きを経るよりも、効果があると判断できたら、その方向にすぐ舵を切りたいタイプなのです。上も下も関係なく進めようとしてたので、それが組織的には絶対NGなわけですから。

――美術館の担当になった当初の頃は、「どれだけ頑張っても、人事異動がきたら終わり」みたいな感覚はありませんでしたか?

大石:
 基本的にあんまり先は見ない感じでいつも仕事をしてるので、そういう感覚は一切なかったですね。
 僕、これまでの一つひとつの担当が長かったんですよ。高卒で増田の役場に入ったんですけど、商工観光労働で8年、そのあと財政にいって5年、それから1年だけ給与と選挙を担当して、そこから広報5年。こんな調子だったので短いサイクルで動かないって勝手に思ってたんですよね。

――その経歴を聞くと、あらためて大石さんが“役所の人”という感じがしてむしろ不思議な気持ちになります。

大石:
 市役所にいたころは、いつも悩んでいました。去年と同じ仕事をする場合「成長しているのか?」って。それもあって「今年よりも来年、来年よりも再来年」って、とにかく自分のやったことをさらに大きくしてかなきゃいけないっていうのが僕のベースにありました。

 だから、まんが美術館に来たときは右も左もわかんないけど、一年運営をやった。来年はそれよりももっと幅を広げたり、回数を多くしたりとか、いろんな新しいことに取り組む。ずーっとそれの繰り返しだったんですよね。

――大石さんのマンパワーではどうしようもないとき、役所全体をどういうロジックで巻き込んでいったのでしょうか?

大石:
 そういう役所の中でも、「変わった面白いやつがいる」と引き上げてくれる方はいました。「漫画で面白いことしたいときに手伝ってくれ」って……。新しいことをやりたいときにその方を頼ったことは何回かありました。

――味方がいたんですね。今もその方とは交流があったりするのですか?

大石:
 その方はだいぶ前に退職されましたし、今は特に交流はないです。その時代時代に救ってくれる方はいらっしゃいました。

「作品はお前に預けて天に行く」矢口先生から託された原画を前にして

――大石さんのこれまでの行動はいち市役所職員の領域を超えている、と失礼ながら思いました。なぜ大石さんはそこまでして原画を守ろう、と思えるのでしょうか?

大石:
 それはやっぱり地元出身のマンガ家である矢口先生の存在がすごく大きいと思います。
 矢口先生の作品って、『釣りキチ三平』はアカデミックな釣りの漫画ですけど、それ以外は全部ふるさとの秋田を題材にした作品ばかりなんですよ。

――『マタギ』とかですよね。

矢口高雄『マタギ』
(画像はAmazonより)

大石:
 『マタギ』もそうですし、『ふるさと』とか、『蛍雪時代』とか、作品はみんなベースが自分の田舎の原風景なんですね。そういった意味では、矢口先生の原画は「昔の人たちはこういう家で、こういう風習で生活していた」という文化資産というか、歴史民俗資料になり得るんですよ。

矢口高雄『蛍雪時代』
(画像はAmazonより)

――では、矢口先生が描いた地元の風景を残したい! というのがそもそものきっかけだったということでしょうか?

大石:
 広い意味では日本全体に原画保存を呼びかけるところまでおこなっている感じなんですけど、スタートラインはやっぱり……。

――矢口先生の存在があった、という話ですよね。

大石:
 もちろんです。実は美術館に着任してから5年ほど経った頃、矢口先生が仕事場の整理をされたあたりから「作品はお前に預けて天に行く」という話をされたんです。

――まだ原画保存の取り組みをされる前のいち市役所の職員だった大石さんに、なぜ矢口先生はそのようなことをおっしゃったのでしょうか?

大石:
 それは、ただ単に僕が矢口先生に可愛がられていたというだけの話です。

 でも、そのとき考えたんです。僕が個人として矢口先生の原画を託されたとして、それをどうするのが一番良いのだろうかって……。

――美術館運営や原画保存に関する知識もまだない状態なのに、矢口さんから大切な原画を託されてしまったわけですね。その頃はまだ、アーカイブ事業を立ち上げる話も出ていなかったわけですよね?

大石:
 そりゃそうです! 「今の自分では先生の作品を託されてもうまく活用できない。だから、何が一番いいかを一緒に考えましょう」とお返事しました。それから先生と何度も話し合い、「横手市に全原画を寄贈し、マンガ原画保存の核としよう!」となったんです。

 こんな話、役所の職員の立場で言えないですよね……。本来、役所の仕事では属人化は良いこととされませんから。
 本質には矢口先生から原画を託されたことがあるのですが、最終的に原画保存事業が成り立ったのは市が調整をしてくれて、議会が予算を議決してくれたからですね。まして、私個人の功績ではありませんし、あくまでも市の事業としての実績であります。僕は経営者ではないので個人がフォーカスされちゃうとやっぱりバランスがいろいろ悪いですよ。

――なんだか、すごい話を聞いてしまった気がします……。もし、マンガやふるさとへの愛情がない人が担当者だったら、矢口先生は「この人に作品を託そう」と思わなかったと思いますよ。

大石:
 そんなことないですよ。いろんな側面があったのも事実です。市として社会教育施設(公民館)だったここをマンガの施設に単館化したいという話は着任時からあったのですが、美術館を改修するうえで中心的な取り組みがなかなか見つけられなくて先送りされていたこともありましたので、やっと「これだ!!」という取り組みを見つけられたのだと思います。

 そうして……市役所に32年間勤めましたけど、僕は2020年の3月で役所を辞めました。

――随分思い切った決断ですが、辞められた今はまんが美術館で館長の職に就いておられるということですね。

大石:
 このような田舎町で地方公務員を早期に退職するというのは、そうそうないパターンですし、民間との給与格差は50歳くらいからなくなっていくとも言われてますから、「何考えてるんだ」って言われることも多かったですよ。

一同:
 (笑)

――じゃあ、これからじゃないですか……もったいないと言われませんでしたか?

大石:
 だけど、僕はやっぱり原画保存に意欲を持ってくれる若い後継者を放っておけないし、原画をお預かりした先生方と交わした約束も果たせていません。自分の責務としてこれをやりたい、そういうことです。

 この原画保存のプロジェクトは永続的なスタッフが専門的な知識と経験を積み重ねていく必要がある分野です。だからこそ、郷土出身の漫画家と横手市が共同出資して、事業を永続的に担っていく組織として財団を設立しています。その財団が国の原画相談窓口を開設するのも、これまでの経験を反映させる必要がありましたから。

100年後の教科書には「横手市が原画保存に取り組んだ」って…

――さきほど、出版社と原画の関係についてお伺いしましたが、大石さんとしては、出版社がきちんと原画を保存するのならば、まんが美術館で収蔵しなくてもいいという考えなのでしょうか?

大石:
 いいえ、原画の保有者は作家ですので、出版社に保存の義務はありません。個人的には、原画は誰が保存してもいいと思いますよ。僕は原画が幸せな場所にあるのが一番いいと思ってるので、例えば今後、当館ですべての原画を預かっている作家さんの故郷などに原画を収蔵する建物ができれば、喜んでお任せしていいと思います。
 この館のキャパシティは70万点なので、すべての原画を守っていけるわけがないことはわかっています。だから、さっき言ったマンガ原画アーカイブセンターとしての取組みを通した全国のネットワーク組織を利用するなどして、大切に預かってくれるところに原画があればいいと思いますね。

 さらに言うと、僕、マンガ原画が海外に渡ることがだめとは基本的には思ってないです。

――それはどういうことでしょうか? マンガ原画が浮世絵の二の舞にならないように、という背景が保存事業にはあるように思うのですが。

大石:
 僕は原画が幸せな場所にあればいいと思ってるので、それが国内に限った議論では広がらないと思ってるだけです。一番だめなのは、四散流出することですから。

 それに、例えば、矢口先生の原画がルーヴルの世界的な名画や『モナ・リザ』と一緒に並んだとしたら、それは胸高鳴りますし自慢したくなりますよね。なのに「海外に原画が保存されるのはダメ」というのは、疑問です。だから、きっちりとしたルールが整備されていて、大切に保管してくれるなら場所が海外だったとしても、いいんじゃないでしょうか……という考え方です。

――それこそ原画にとって何が幸せなのかを考える、ということですよね。

大石:
 僕は、閉鎖的な感じではもう守っていけないっていうふうに思っています。きちんと筋道があり、原画を把握できる状況にあれば、保存を担う人が海外の方でもいいのではないでしょうか。

 ただ立場上、誤解を招いてはいけないので、そこまではっきりと言えないっていうのはあります。国や市が行政コストをかけて原画を守ろうと訴えているなかで、その中心人物が「海外でもいいんじゃないですか」みたいことを言ってると捉えられると、本意ではない部分はあるので……。
 基本的な考え方としては、とにかく二律背反してたとしても、そういうものも許容しないと、大量に存在する日本のマンガ原画を守っていくことはできないと思っています。

――今後、デジタル化が進めば紙の原画は減っていくかもしれませんが、これまでに描かれた膨大な原画をすべて収蔵するのは可能だと思いますか?

大石:
 私達だけの力では無理だと思います。けれど、いわゆるストーリー漫画、劇画や一枚絵も含めたマンガ文化の歴史って鳥獣戯画【※】のような古い時代まで遡らなくても、戦前のあたりから100年ぐらいですよね?
 これからますますデジタル化で生原稿が生まれてこなくなれば、100年ほどの資料を今の人類が守れないわけがない、と思います。今のこの時代に生きている人類の責務として、その取り組みに最前線で関わっていきたい気持ちがあります。

※鳥獣戯画
鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)。京都市の高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物であり国宝に指定されている。全4巻のうち、ウサギ・カエル・サルなどが擬人化されて描かれた甲巻が有名。一部の場面には現在の漫画に用いられている効果に類似した手法が見られることもあって、「日本最古の漫画」とも称される。

――できるはずだ、と思っていらっしゃるわけですね。

大石:
 人類の英知がこれだけあるんですから、僕はできるはずだと思っています。
 100年後の教科書には「横手市が原画保存に取り組んだ」って絶対に載っているって僕は常々言ってるんですよ。どうせ100年後は、今このセリフを聞いた人が誰も生きてないと思うから好きなこと言ってますね(笑)。

[了]


 出版社や作家との権利周りの調整、保存施設の運営、そして一人の作家の原画を保存するのに3年の月日を要するという時間感覚……原画保存には想像を超えた手間と時間がかかることを思い知らされた今回の取材。

 「先人から託された遺産を後世に残す

 原画に限らず何かを後世に伝えるには、道なき道を愚直に歩き続ける強い覚悟が必要なのかもしれない。

 マンガ原画を「印刷済みのゴミ」とするか、「故郷の風景が記録された遺産」と位置づけるか……横手市の皆さんは原画のなかに価値を見出し、後世に伝える選択を覚悟をもってしたのだと思う。
 すべてのマンガ原画が、“原画にとって幸せな場所”にあり続けることを祈りつつ、記事のしめくくりとしたい。

■info

・「横手市増田まんが美術館」公式サイト

・10月1日(木)19時から、横手市増田まんが美術館より原画アーカイブ施設をニコニコ美術館チャンネルで中継します! 

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