『さらざんまい』考察してもいい? 「〇ア」「ミサンガ」「スカイツリー」…幾原監督からのメッセージを本気出して読み取ってみた
『さらざんまい』第1話を観た。
もう一度観た。
もう一度だけ観てみた。
すごい。すごすぎる。一見すると意味不明で、ここまでたくさんの要素が詰め込まれたアニメの第1話がこれまであっただろうか。これほどまでに、語らずにいられない第1話があっただろうか。
まだ第1話が放送されただけだが、もう、ぼくは、この作品が何を伝えたいのか、どうしようもなく考えてしまうのだ。
『ウテナ』、『ピングドラム』、『ユリ熊嵐』と、イクニワールドに長年浸かってきて、「幾原監督」という名前だけで新作を全裸待機してしまう筆者が、圧倒の第1話について語りたいと思う。
文 / いしや(@ishiya)
編集 /金沢俊吾(@shun5ringo)
「欲望」というキーワード
幾原作品の世界観を表現するために欠かせないのが、「謎のキーワード」の存在だ。
過去の作品を振り返ってみると、『少女革命ウテナ』では「薔薇の花嫁」「世界を革命する力」。『輪るピングドラム』では「生存戦略」「運命」。『ユリ熊嵐』では「スキ」「透明な嵐」などがキーワードとして登場する。
それらは第1話から繰り返し使用されており、最終話に近づくにつれてキーワードが作品のテーマとして明らかになってくる。 『さらざんまい』においても、過去の作品同様、キーワードが重要なテーマになることは間違いないだろう。
第1話をおさらいすると「欲望」そして、「つながり」「尻子玉」「箱(ハコ)」というキーワードを読み取ることが出来る。
まず、注目したいのが「箱(ハコ)」だ。
Amazonのダンボールを明らかに模した「Kappazon.co.jp」の「箱(ハコ)」は主人公である3人の中学生の「欲望」に関するものが入っている。
2019年において、Amazonは消費者の「欲望」を充たすサービスの代表格と言えるだろう。買い物もテレビも映画も、欲しいものはクリックひとつで、Amazonが家まで運んでくれるのだ。Amazonの「箱」を人間の「欲望」の象徴とするのは上手すぎると言うしかない。
また、第1話では主人公の矢逆一稀が、春河という女の子との「つながり」を作るためにどうやら女装をしていることが示唆されている。「つながる」という「欲望」を実現させるための化粧道具が、「箱」に入っているのだ。
きっと、残り2人の中学生、久慈悠、神内燕太の「欲望」も「箱」に入っているという形で表現されていくはずだ。
「欲望」というキーワードが赤字で強調されている。
ところで、公式ホームページに大きく書かれている「欲望」の文字。ここだけピンク色なのは、ただ強調するためだけではないと思っている。
そう、ピンクは「性」のことであり、作品の随所に「セクシュアリティ」の要素が隠されているのだ。
これでもか!と出てくる性的モチーフ
「セクシュアリティ」という視点で第1話を観てみると、たくさんの性的モチーフが象徴的に挿入されている。そのいくつかを挙げてみたい。
①色違いのミサンガ
冒頭、ランニングをする主人公の足にはミサンガが巻かれており、幼なじみの燕太の「箱」には色違いのミサンガが入っている。2人は元同じ部活のチームということだが、「友達」を超えたBL要素を感じずにはいられない。
そんな2人が、カッパになってカパゾンビの「尻子玉」を抜く……。
②欲望のまち「浅草」
浅草は雷門の北側、つまり浅草寺の裏手に広がる遊郭の吉原があったことから街が発展してきた。こうした歴史的・文化的な背景からも、街が持つ「欲望」の蓄積は計り知れない。
ちなみに、吉原と言えば火災というくらい歴史的に火事が多い。本作でもこうした火事が描かれるのかも1つの見所だ。カッパといえば、水である。
③スカイツリーはもう、そそり立ったアレにしか見えない。
第1話の20数分の中で、スカイツリーが何度も何度も登場する。上のシーンは最初に登場するスカイツリーなのだが、このスカイツリーに「血のつながり、街のつながり」という主人公のモノローグが重なる。血のつながり、つまり生殖的な行為の末に生まれた「性的なつながり」の象徴として、スカイツリーが使われているのではないだろうか。
『さらざんまい』第1話。画像はニコニコチャンネルより。
それを踏まえてOPの最初のカットをあらためて見てみたい。細長い棒に、玉がふたつ。これはもう明らかに男性器を表しているのではないだろうか。
間違いなく、第2話以降も登場するであろうスカイツリー。物語にがっつりと関わってくるのか、それとも最後まで象徴的に、ただただ、そそり立っているだけなのか。今後のスカイツリーの活躍?に注目したい。
④やたらと強調される少年たちの裸とお尻
尻子玉を抜くシーンや、カパゾンビと戦うときの変身シーンで、たびたび主人公たち少年の裸とお尻が強調される。前述したミサンガも踏まえて、男同士のBL的なつながりを感じずにはいられない。
『ユリ熊嵐』では女性同士のつながりを描いた幾原監督が、本作では男同士の性的、精神的なつながりをひとつのテーマにしていることは間違いないだろう。
⑤「〇ア」と書かれた道路標識。
これは小説家・稲垣足穂の思想「A感覚とV感覚」が下敷きになっているのではないかと、ぼくは勝手に考えている。
稲垣足穂は人間を「口と肛門をつなぐ円筒」と見立て、「A感覚」つまり、アナル・肛門の感覚こそが人間の快楽や生命活動の根源だとした。つまり、「ア」標識は「人間の根源的な欲望」を意味しているのだ。
足穂はさらにこの「A感覚」を強く持っているのが「美少年」だと語る。主人公が美しい中学生男子で、やたらとお尻を強調しているのは、もちろん理由があるのだ。
「つながり」を手に入れる物語
ここまでやられると、「すべてのシーンに絶対に意味があるはずだ!」と考えたくなる。
イクニ信者としては、考えないわけなにはいかないのだ。
さきに結論をいってしまうと、「さらざんまい」は
吉原(性風俗)やAmazonで買えるような表面的・インスタントな快楽を超えて、精神的・本質的な心の「つながり」を困難の末に手に入れる物語
なのだと、断言してしまいたい。
吉原の花魁に始まり、現在のAmazonのように、自分の欲望を目に見える形で簡単に解消することができたこれまでの日本人。恋愛関係を苦労して作らなくても、吉原で女性が買える。お店まで歩いていかなくても、インターネットでおすすめ品を注文できる。
だが、主人公たちは、そういった簡単に解消できる表面的な欲望ではなく、「つながり」という、手に入れることが難しい、人と人とが求め合う「欲望」こそが大切なのだと、なんとなく感じ始めているのではないだろうか。
そう考えると、カッパとカパゾンビの戦いは、「つながりの欲望」と「インスタントな欲望」の戦いとも言える。
カッパとカパゾンビ。圧倒的にカッパが強いことは、第1話を観る限り、明らかだ。 カッパにとって、箱(インスタントな欲望)はあくまでも目的(つながり)を達成させるための「ツール(手段)」だが、箱そのものが欲望の目的になっているカパゾンビとは、想いの強さが段違いなのだ。
第1話の時点で、「つながりの欲望」はインスタントな欲望に打ち勝つと、幾原監督はぼくたちに示してくれているのではないだろうか。
これから、主人公たちが、どのようにインスタントな欲望の化身であるカパゾンビを倒し、「つながり」という本質的な欲望を達成していくのか。第2話以降も目が離せない。
物語は、はじまった
最後に、この1カットについて触れておきたい。
「つながらない」
「はじまらない」
「おわらない」
という文字が映されている。
人と人が「つながらない」と、物語は「はじまらない」し、はじまらなければ物語は「おわらない」。だが、主人公は誰かと(第1話の時点では春河という女の子と)「つながろう」とし、物語は、はじまったのだ!
たくさんの人に、はじまったばかりの、この物語をリアルタイムで体験してほしいと思う。2019年の日本を生きるぼくたちに必要な大切なメッセージを、きっと受け取ることができるはずだ。
『さらざんまい』を観ていないあなたも、この記事を読んでもう一度観たくなったあなたも、ニコニコチャンネルで配信中の第1話をぜひチェックしてみて欲しい!
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