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『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』はなぜ今でも面白いのか「蓄積された“気がかり”を克服する満足感が得られる」

 今回ご紹介するのは、ゲーム夜話さんが投稿した『【ゼルダの伝説-神々のトライフォース】気がかりの蓄積-ゆっくり解説【第25回-前編】 / 中編 / 後編』という動画です。

 1991年11月21日にスーパーファミコン用ソフトとして発売した、“ゴージャス”で“リアル”な謎解きアクションRPG『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』。およそ27年前に登場したこのゲームには、充実したストーリーはもちろんのこと、当時の任天堂のゲームに対するスタンスや、プレイヤーを満足させるためのメソッドがこれでもかと盛り込まれていました。

 本記事では、このゲームの魅力について、音声読み上げソフトを使用して、博麗霊夢(はくれい れいむ)ピサロナイトのふたりのキャラクターが考察した動画の様子をご紹介いたします。


【ゼルダの伝説-神々のトライフォース】気がかりの蓄積-ゆっくり解説【第25回-前編】


いけにえにされてしまう姫を救うために冒険へ

霊夢:
 『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』のあらすじを説明します。

 はるか昔、ハイラル地方に災いをもたらしたとされる、聖地と黄金の力があった。その力をめぐる人々の争いや、そこから湧き出る悪しき力を食い止めるべく、聖地の入り口はハイラルの国王によって封印されていました。

 それから幾数年が経ち、その封印を解こうと企むものが現れました。

 その者の名は「アグニム」。突如として現れたその謎の司祭は、封印を解くべく国王を殺害し、城の兵士を操って、「七賢者」の血を引く娘たちを、次々といけにえに捧げていきました。

 雨の降りしきる真夜中。心の中に呼びかけてくる「ゼルダ姫」。

 「助けてください。私は白の地下牢に捕らえられています。私が最後のいけにえです。」と呼びかけました。

 心の中に聞こえた声の主・ゼルダ姫を助けに行くところから、主人公「リンク」の冒険は始まります。

操作の手応えを重視したアクションRPG

ピサロナイト:
 剣で草を切る。石を持ち上げると下に何かある。カギを使って扉を開ける。プレイヤーの取った行動に対して、実態を伴ったリアクションが生じ、様々なアクションを繰り返しているうちに、進むべき道が開ける。当作プロデューサーの宮本茂氏はこのように語っています。

 遊ぶ人が何かを考え、何かを試す。それに対し、わかりやすくフィードバックがあるということを大切にして、(これまでゲームを)作ってきました。

 レバーの前で、Aボタンを押せば、それで引くのではなく、Aボタンで、まずはレバーを“持たせる”のです。そして、プレイヤー自身が、コントローラーの十字キーを操作することで、初めて、その方向にレバーを“引っ張る”ことができるんです。Aボタンを押しただけで、リンクにレバーを引かせてしまっては、それはただの“指令”であって、操作ではないと、宮本氏は話しているのだと思います。

 プレイヤーがコントローラーを通じて得られる操作の手応えを、宮本氏は重視しているのです。

蓄積される気がかりと、それを攻略する快感

 そして、神々のトライフォースには、思考の面においても、プレイヤーの自発性を促す要素や、手応えを感じさせてくれるポイントが多々見受けられます。

 当作の特徴のひとつは、ゲーム進行上の多くの場面で、「あれは一体何だろう?」といった、様々な疑問を伴う、“気がかり”が蓄積されていく点にあると思います。それは“視覚的”に生じるものと、聞き込みの結果、人々の情報によってもたらされる場合もあります。

 当作の場合、神秘的な森に佇むこのマスターソードが、目的を示すシンボルのひとつとして、序盤に提示され、物語の牽引的要素としての役割を担っています。

 宮本氏は、「ゲームには“引っかかり”がなければ、プレイヤーの記憶に残らない」と話しています。おそらく引っかかりというのは、いい意味での躓きや、試行錯誤のことを指しているのだと思います。

 プレイヤーは、様々な気がかりを引き連れながら、本編の各ダンジョンを進めていくことになりますが、ダンジョン攻略後、キーアイテムの獲得を通じて、これまで蓄積されていた気がかりを思い出し、「あれっ、もしかしたらこのアイテムは、あの仕掛けの場所で使えるんじゃないか?」といった具合に、ゲームの本編とは別の部分でもひらめきが生じ、プレイヤーは“主体的に”世界を探索し、自力で試練や障害を克服できた満足感とともに、さらなる獲得の喜びを得ることになります。

 こうしてプレイヤーは、決して強制ではなく、自らの意思で広い世界を探索し、その過程でさらに別の様々な気がかりに遭遇することで、一定のルールが敷かれたゲームであっても、楽しみが自然と多様化し、好奇心と興味の持続のなかで、絶えず新鮮さを失うことなく遊べるようになっています。

 何気なく目に止まる、たくさんの気がかり。プレイヤーの主体性を引き出す、視覚的な問いかけ。そして、見返りと(良い意味での)意地悪の適度なバランス。本編ではプレイヤーを丁寧にガイドしつつ、自由と迷いと主体性の均衡が、見事に図られているゲームだと私は思います。

 今すぐには解決できなくても、ふと振り返った時にその謎が解ける。そんな体験を繰り返していくのが「ゼルダ」の魅力となっています。

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