『ハウルの動く城』は宮崎駿なりの「家庭論」だった!? お約束満載の“乙女のロマンス”の裏に描かれた”中年男の現実”を評論家が指摘
もし『カリオストロの城』をクラリスだけの視点で描いたら?
岡田:
1人の登場人物の視点だけで物語を語るのがどれくらい難しいのかということを説明するために、ここでは「もし『カリオストロの城』をクラリスのみの視点だけで語るとどうなるのか?」というのを、ちょっとまとめてみました。
最初は「修道院から本国に戻る」というシーンから始まります。そしたら、エロいオヤジとの結婚を仕組まれていて、それが嫌で車で逃げ出す。だけど、途中で事故を起こして連れ去られ、塔に閉じ込められちゃった。
その次には“泥棒さん”が助けに来てくれるんだけど、落とし穴に落ちちゃった。そして、泣いていたら自分の家庭教師の不二子が窓をぶち壊す。その後で、泥棒さんがまた助けに来てくれたんだけど、罠にかかって殺されかけたので、仕方なくエロオヤジに降伏することにした。
それから先は、薬を飲まされていてよく覚えてない。ハッと気がついたら、教会でウエディングドレスを着せられて、目の前で泥棒さんが殺された。「いやー!」って言ってると、泥棒さんは実は生きていて、一緒に時計台に逃げたら、また捕まっちゃう。で、また泥棒さんが殺されかけたので、湖へ飛び込んで助ける。
夜が明けるとインターポールが来て、泥棒さんは「怖いおじさんが来た」と逃げちゃう。最後に、「好きです。連れてって!」と言ったんだけど、ダメ。「ああ、私は恋をしたんだな」で、終わる。
あの面白い『カリオストロの城』が、クラリスの視点に固定するだけで、ここまでめちゃくちゃになるんですよ。これくらい、1人の人間の主観だけで物語をまとめるのは難しいんです。
主観だけで物語を描くのは難しい
映画を1人のキャラクターの主観だけでまとめる構造というのは、かなりわかりやすい話にしないと難しいんですけども。『ハウルの動く城』って、これなんですよ。基本的にはソフィーの主観だけで描かれているんです。だから、その端々から漏れ出てくる情報を観客側が積極的に読まないと、なかなか面白くならないんですね。
例えば、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』ってありますよね? 新劇場版の今の所の最新作である『エヴァQ』が、なんであんなにわかりにくいのかというと、あれも、ほとんどすべて、碇シンジの視点だけで描いてるからなんです。たぶん、視点をいろいろ動かして自由に描いていたら、もっとわかりやすく面白くなっていたはずなんですよ。
たった1人の視点だけで物語を語ると、主観的に深く入っていける文学っぽい作品になるんですけど、その代わり、一旦「ここ、変だな?」とか、「わかりづらいな」と思ってしまうと、物語に乗り切れなくなってしまう。そういう難しさが、1人語りの映画にはあります。
こういった元々のわかりにくさに加えて、キムタクというアイドルを声優に起用したということで、なんか無用の反感を持ってしまった人も多かったんだと思うんですよね。
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