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群雄割拠の世界アニメ市場で日本アニメは生き残れるのか? 世界最大のアニメーション映画祭アヌシー代表が語る、日本アニメのポテンシャル

 いま世界のアニメーション界が大変革期を迎えている。ハリウッドはCGアニメーションの最新技術を駆使した膨大な予算の大作映画を次々に世に送り出し、日本アニメを圧倒。テレビ・映画に対抗するNetflixなどの配信ビジネスが急成長し、独自のアニメーション製作にも乗り出している。
 アメリカだけではない。ヨーロッパ、アジア勢も急増。映画・番組の国際マーケットは、各国のアニメーションで溢れ返っている。グローバルなアニメーション界では、文化とビジネスの覇権を巡り競争は激化する一方だ。

 この大きな変化のなかで、日本のアニメーション業界は、これからどうすべきなのか。今回から始まる連載では、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーとも親交が深く、日本テレビで数々の人気番組を手がけ、エンターテインメントの未来の一つとしてアニメーションの動向に深い関心を寄せている、現・ドワンゴの吉川圭三と、『誰がこれからのアニメをつくるのか? 中国資本とネット配信が起こす静かな革命』などの著書のあるジャーナリストの数土直志が、世界で活躍するキーパーソンに話を聞き、今後のアニメーションの行方を明らかにする。

 この連載初回では、東京国際映画祭に合わせて、J-LOP4補助金事務局(特定非営利活動法人 映像産業振興機構)の招待で来日したフランスのアヌシー国際アニメーション映画祭/国際見本市MIFAを運営するCITIAマルセル・ジャン氏ミカエル・マラン氏に、世界のアニメーション界の変化、そのなかでの日本について伺った。アヌシーは作品上映本数、業界人の来場数で世界最大。さらにアートだけでなくビジネス、人材、テクノロジーに目を向けることで、アニメーションのプロであれば必ず訪れる場所として絶大な影響力を発揮する。
 ジャン氏はアーティスティック・ディレクターとして映画祭の運営を、マラン氏はマネージング・ディレクター 経済発展・MIFA会長としてビジネス面を担当する。世界のアニメーション業界を動かす最重要人物たちだ。

取材・文:数土直志
編集:サイトウタカシ


左からジャーナリスト 数土直志、ドワンゴ・エグゼクティブ・プロデューサー 吉川圭三、アヌシー アーティスティック・ディレクター マルセル・ジャン氏、通訳を務めたアヌシー日本代表でSUN BRIDGE Inc. 代表・コンサルタントの山口 晶 氏、マネージング・ディレクター 経済発展・MIFA会長 ミカエル・マラン氏

激変する世界のアニメーション界を牽引する「アヌシー」とは?

 日本のアニメーションの現在と未来。これを考えるうえで、まず2010年代に訪れた世界のアニメーション界の変動を理解する必要があるだろう。
 今回お話を伺う二人は、この潮流をいち早く捉え自ら創り出している。アヌシーの影響力は増す一方。近年の大きな変化は、ハリウッドのメジャースタジオの参戦だ。ディズニー/ピクサーや、『ミニオンズ』のイルミネーション・エンターテインメントが、プレミアの場としてアヌシーを選ぶことが増えている。文化とビジネスのグローバルの一大ハブを築きあげている。アヌシーは、世界のアニメーション界に不可欠なパートとして、いま日本の存在に注目している。

アニメーション映画祭/国際見本市MIFAのウェルカムエリアの様子

吉川圭三(以下、吉川):
 まず、アヌシー映画祭とMIFAについて伺わせてください。国際的なカンヌ国際映画祭から、アニメーション部門が独立して映画祭が誕生しましたが、現在のように影響力を持つようになった過程を教えていただけますか?

マルセル・ジャン氏(以下、マルセル):
 1960年にカンヌ映画祭から独立して初めて開催されたアヌシー映画祭は、アニメーションの映画監督やクリエイターが交流する場として誕生しました。
 それ以前のアニメーションと言えば、アメリカの子供向けのカートゥーンや、逆にテクニックを駆使したアバンギャルドな作品ばかりでしたが、映画祭の開催と同じ年に国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)も創立され、アニメーション表現で映像作品を作っていくというコンセプトが明確になった歴史に残る年となりました。

 その次の大きなターニングポイントとなったのは1985年です。テレビシリーズのアニメーションが普及し、テレビ局のプロデューサーとアニメーション制作者との交流の必要が生まれたことで、アヌシーのビジネスサイドである国際フィルムマーケット MIFAが誕生しました。

アヌシー アーティスティック・ディレクター マルセル・ジャン氏

ミカエル・マラン氏(以下、ミカエル):
 1985年という年は、フランスでは社会党が政権を獲得した時期であり、当時の文化大臣ジャック・ラングは、国が文化や映像産業も支援するべきだと強く打ち出していました。MIFAの誕生にはこうした政治的な背景もあり、アニメーション分野支援のため、既にあるアヌシー映画祭を活用してビジネスマーケットを設立するのが適切だと考えたわけです。

マルセル:
 そして3つめの大きな変化には、日本も重要な役割を果たしています。長編アニメーションの拡大です。まず80年代後半から90年代にかけて、『AKIRA』や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』といった日本の長編アニメーションが世界に初めて紹介され、大きな衝撃を与えました。90年代後半にはスタジオジブリの作品が次々に登場し、フランスではミッシェル・オスロ監督が『キリクと魔女』(98)を撮りました。さらにアメリカではCGアニメーションのドリームワークス・アニメーションが設立され、ディズニーとピクサーによる独占が崩れました。

 映画のマーケット拡大とともに長編アニメーションが出てきましたが、同時にアニメーションのマーケット自体も広がりました。アヌシーの変化はアニメーション業界全体の変化を反映していて、ビジネスの成長もそのひとつなのです。

吉川:
 アヌシーはその間、どのくらい成長したのですか?

マルセル:
 1960年に創立され、1980年での参加者、登録者は、300人です。これが1999年には3500人、2012年には7000人となりました。2017年の登録者は1万人です。

アヌシー 国際見本市MIFAの様子

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