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ロシア文学は時々爆発する――声優・池澤春菜とロシア文学者による「みんなが知らないロシア文学」

 読書家の中でも「重い・長い・難しい」と厄介なイメージで敬遠されることも少なくないロシア文学。

 でもそれ、本当にそうなのでしょうか? 氷の杭で打つと歌い出す心臓、クローンの身体にたまる青い脂、主人公の顔がXXXに!? 等々、ぶっ飛んだ展開をみせる作品の数々が表すように、かつて政治・哲学・宗教のすべてを集約し、いわば社会を映す鏡であったロシア文学は、いま新たな流れへと向かいつつあります。

 今回はロシア文学者である沼野充義氏松下隆志氏と、ロシア文学に興味はあるけれど詳しくはない池澤春菜氏の3人が、ロシア文学の成り立ちから、バックボーンとなる歴史や政治、そして新鋭の近代作家と作品紹介などを通して、その魅力を探ります。


池澤:
 まずアンケートを取りたいと思います。そもそもロシア文学は好きですか?

好き32.8%、苦手16.5%、読んだことがない50.7%

松下:
 半分は「読んでない」。

池澤:
 え〜、なので、「知りたい」と思って、この番組を見てくださっているということですね。「苦手」と「読んだことがない」が合わせて67.2%いらっしゃいますが、その理由をコメントでお願いします。

「読まないで済ますために見ている」「3ページで挫折」「愛称がややこしい」「ユーモアがない」「敷居が高いイメージ」「名前が長い」「メーテルはロシア人ですか?」「キリスト教に詳しくない」「重い」「難しそう」「外国文化がそもそも苦手」「お酒の匂いしそう」「ユーモアがない」「作者の理想と主張主義」「貨幣の価値がわからない」

池澤:
 なるほどね。ということで、理由のひとつは「暗い重い難しい」。あとは私も感じている、「名前がややこしい」「登場人物が多い」「愛称や父称で人の名前がいろいろ変化していくのでよくわからなくなる」とか、そこらへんですかね。なぜロシア文学というものがこういうイメージに至ったのかというところを今日はお2人にお伺いしつつ、ロシア文学の歴史というものをざっくりと紐解いていきたいと思います。

哲学・政治・宗教…… あらゆる思想が集中したロシア文学

池澤:
 まずロシア文学というものは、いつ頃形になってきたものなんでしょうか?

沼野:
 日本におけるロシア文学って、実は明治以来メジャーな外国文学のひとつなんですよね。

池澤:
 「教養のひとつとして読んでおいた方が良い」みたいな?

沼野:
 むしろ明治時代の人は熱狂して読んでいたと思いますよ。当時はフランス文学やイギリス文学と並ぶメジャーな文学で、マイナーな文学って感じではなかったんですよね。それがちょっと最近はマイナーっぽくなってしまって……。

池澤:
 もしかしたら、外国文学自体が読まれにくくなってきているというのもあったりするんですかね?

沼野:
 それも全体としてはそうですよね。ただ、アメリカ文学なんかはかなり根強いですからね。ロシアの近代文学のうち、日本で一番読まれているのは19世紀の小説ですよね。トルストイとかドストエフスキーとか。それからちょっと時代が下って19世紀末ぐらいになると、チェーホフが小説家としても戯曲家としても、とても有名。

 ロシア文学がいつ頃始まったかって話でしたけど、世界の人達が「ロシア文学」って知るのは19世紀初めぐらいからだから、非常に新しいものなんです。だけど、どんな国だって遡っていけばいろんなものがあります。中世にいけば叙事詩もあります。ロシアも11世紀、12世紀頃からキリスト教の文献や、叙事詩、年代記みたいなものはあったんです。

 ただ、その後の西ヨーロッパでは、ルネッサンスが花開いて近代へと発展していったのですが、ロシアはちょっと違う経路を辿って、長いこと近代文学の発展がなかったんです。せいぜい18世紀になってから、近代的な文学が発達し始めたという形です。ですが、19世紀の後半なかばくらいに爆発的に……。だいたい1850年から80年頃までの30年間で、トルストイもドストエフスキーもツルゲーネフもサルトィコフ=シチェドリンも、世界の文学史において驚異的な小説家が続々と現れて……。

池澤:
 そこまで出てこなかった分が、一気に花開いた感じなんでしょうか?

沼野:
 それはありますね。世界の文学の中でも、ここまでエネルギーが集中した時代というのはちょっと珍しいんじゃないでしょうか。

池澤:
 なぜそんな、ものすごい開花の時期が来ちゃったんですか?

沼野:
 当時のロシアは西洋化が遅れていて、社会的な矛盾を抱えていたり、帝政下で農奴制も残っていたりして。そういったいろんな抑圧されたものが文学に集中して、力を得たんじゃないんですかね。

池澤:
 社会のタイミングとして、いろいろなものがそこに集中して?

沼野:
 そうです。それに当時の帝政下のロシアって非常に検閲が厳しくて、言論の自由が抑圧されていましたから、社会評論・政治評論とか論文とかが書けないんですよ。だからありとあらゆる哲学的思想も政治思想も、宗教思想も、ある意味全部文学が吸収しちゃうから、小説の中にすべてが詰め込まれて、結果、重くて大変で深刻な内容のものになりがちだったんじゃないかなと思います。

池澤:
 もうひとつお伺いしたいのが、ロシア文学って書き言葉と話し言葉の乖離が社会的にあったと聞いたんですが、これは松下さん、いかがでしょうか?

松下:
 僕がやってるソローキンなんかは特にそうですね。ロシア語って罵倒語とかも豊富にあるんですけど(笑)。

池澤:
 罵倒語っていうのは罵るための言葉ですよね?

松下:
 そうですね。特に生殖器に関連するような言葉がいろいろ変化したりしてそれだけで文章ができるような……。そんなものまであるんですけど、それまでは全然表には出てこなかったんです。だけどそういったことをソローキンが文学に取り入れたので、ある意味でまったく発表できなかったというのもあります。

池澤:
 翻訳する方も大変ですね。「バリエーションをどうするか」とか。

松下:
 日本語はそういう言葉に乏しいので非常に苦労するんです。ただロシア語脳だから、そういう世界や言葉はものすごく豊かです。

池澤:
 今まで知らなかったロシア文学の一面ですね。あと、上流階級の方たちは普段フランス語を話しているけど、書き言葉としてはロシア語を使っていたそうですね。

松下:
 でも、トルストイは、かなりの量の小説をフランス語で書いたりしているので……。

沼野:
 『戦争と平和』って有名な長編がありますけど、冒頭のロシア貴族の夜会パーティーの場面、最初の10行くらいは全部フランス語なんですよ。なぜかというと実際そういう場ではフランス語で喋るから。つまりそれが当時の貴族の日常だったということです。

池澤:
 となると、それを読むことができる層も限られてしまうんでしょうか?

沼野:
 当時は「あのくらいのフランス語読めなきゃ、小説なんて読めない」ってことだったんでしょうね。

池澤:
 じゃあロシアでは、どの階層の人たちもフランス語もロシア語もできたということですか?

松下:
 いやいや、それは貴族だけですね。

沼野:
 教養ある階級の人達ですね。

池澤:
 ……ということは、文学が貴族階級のものだったわけですよね。

沼野:
 19世紀半ばぐらいまではそれが強いですが、徐々に読み書きも普及して、教育レベルも高くなって……ということです。でも貴族的なものと大衆的なものの両極が並行してあるという傾向が、ロシアは昔から強いですね。今はあんまりないと思いますけど。

池澤:
 ソ連時代はどうだったんでしょう。やはり書くものに対する規制だったり、弾圧的なものも……?

沼野:
 ソ連時代はイデオロギー的なものが強い社会ですから、思想統制・言論統制というものがあって。これは必ずしも思想統制ってわけじゃないんですけど、ロシア人って伝統的に「汚い言葉を書いちゃいけない」という観念がすごく強いので。

池澤:
 口で言うのは良いけれど文字にするのはいけない?

沼野:
 日常会話はすごいものなんですよね(笑)。英語でもフォーレターワードってあるじゃないですか、「ここで口にしない方がいい」っていうような、Fで始まるものね。でもロシア語の場合はそれを平気で使っていたんです。でも文字にしちゃいけないから、どんなに大きな辞書を引いても載ってないわけです。だから真面目な日本の学者なんかだと、ドストエフスキーの難しい文章は読めるのに、普通の人が喋る急に口にした言葉に関しては一生懸命辞書を引いてもわからないという感じでしたね。だから社会主義時代はある意味清らかな時代なんです。汚い言葉は絶対に活字にしないから。

池澤:
 口汚いけど、文字はきれいみたいな、ちょっと不思議な世界ですね。

沼野:
 他にもいろいろ社会主義時代は規制があって、例えば宗教は禁止されてないけど、建前上推奨しないとか。例えば「神」という言葉がありますよね。それは一神教の世界ではひとつの神、ひとりの神だから大文字で書くんですよ。ロシアでも「ボフ」って言葉の「デー」って文字は本来大文字で書いていたんですが、ソ連時代はそれを大文字で書いちゃいけないと。「神」って言葉はしょうがないから使ってもいいけど、使う場合は小文字で書きなさいとか、そういうつまんない規制がいっぱいありました。

池澤:
 それはちょっと面倒くさいですね。そういうのって翻訳するときに、日本語には非常に反映しにくいものですよね。

松下:
 そういう処理は、「神」の問題以外でも無数にあるんで、カッコをつけるなり、点をふるなり、いろいろ処理の仕方はありますけど、みんな悩むところだと思います。

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