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HUNTER×HUNTER「キメラ=アント編」ゴンがアリの王と戦うどころか、会ってすらいないのすごくない?

ドラゴンダイブでキメラ=アントとの勝負はついていた!?

岡田:
 さて、軍議の名人コムギが登場して、ここで転換ポイントになってキルアのおじいちゃんが登場。おじいちゃんがドラゴンダイブという技を使って、おじいちゃんとネテロ会長がいよいよキメラ=アントの本部に突入する。キメラ=アントはここでもう敗北は決定してるんだよ。なぜならキメラ=アントって、王というただ1人の存在に向かって、種が進化していくんだよね。これをもってすごいというふうに描くんだけども、逆に言えば、人間に比べて何が弱いかっていったら、王が殺されたら全て終わりというね、すごい脆弱な組織なんだよね。

 人間は誰が倒されようが、生き残っている奴がいる限り、リベンジに賭けられるんだ。それが人間の多様性の強さで、これがラストに向かって行く。実は独裁政治と民主政治の、どちらが優れているのか、それも政治的な意味で優れているのかという話につながっていく。王1人の進化のために全てを捧げるというのは、逆に言えば、王1人が攻略されれば、全てが終わってしまう。一点突破の才能しか持っていない人間が、それを折られると全部終わりという不幸を描いているんだよね。

 その次にネテロ会長と王との戦いで、会長が死んでミニチュアローズで核兵器が爆発する。実はネテロ会長と王は、戦う必要ないんだ。ネテロ会長がやるべきことは、王に会って至近距離にいる瞬間に自分の心臓を突いて、ミニチュアローズを起動させることだったんだよ。

『HUNTER×HUNTER モノクロ版 27』
(画像はAmazonより)

 そこでもう彼のミッションは終わりなんだ。いわば、グリーンドアイランド編のゴンと全く同じことをやっている。ゴンは、ゲンスルーに会って、これくらい怒らせたら、すぐに次の段階に入りなさいというふうに、ビスケに言われていたんだけど「ごめんビスケ、俺やってみたいんだ、どこまで自分がやれるのか」って言って、ガンガンに戦って、死にそうになってからビスケの言うことを聞いたんだよね。やっぱり強化系は似てるんだよ。

 ネテロ会長が思ってるのは「ごめん各国の首脳、でも俺どこまで自分が続くかやってみたいんだ」って言って、これまで人間相手だったら試せなかった技を、全て出した。だから……幸福だったと思うよ。本当に、生涯に一度だけ全力で戦える相手と戦った後に自分の中に、熱いものはあるのかな。

 だって王の中に熱い思いがちゃんと出たんだもん。ところがネテロ会長の中に出たのは、王と散々戦って、「アリんコのために人間を滅ぼせねえよな」と言って、自分を殺すというひどい裏切り(笑)。

 人間の方が汚い、というかネテロ会長が汚いという、なかなかすごいシーンがある。王はこのときに、核爆発の被害を受けてるんだよね。ミニチュアローズという描き方をしているんだけどね。王はその後死んでしまう。そのときゴンは、サイドストーリーになっちゃってるんだよね。親衛隊のネフェルピトーを倒して、強制的に自分が成長して、瀕死の状態になってしまう。ラストは王とコムギの最後が描かれて、「キメラ=アント編」は終わります。異常なのはゴンが王と対決しない。それどころか、ゴンは王と会ってもいないんだよね。

「キメラ=アント編」は大河ドラマだ!

岡田:
 これは何かというと、大河ドラマの作り方なんだ。『機動戦士ガンダム』に例えると、テレビ版、劇場版を見ても、アムロ・レイは一度もザビ家の人と会ってないんだよ。あのドズル・ザビにも会ってない。ドズル・ザビだけ、「やらせはせんぞ!」というところで会ったけど、なんだこれっ? ていうね。

『機動戦士ガンダム ギレンの野望』
ガンダムの主人公、アムロは重要なキャラクターであったザビ家の人間に会うことなく、物語は進行していった。
(画像はAmazonより)

 主役が重要なキャラクターに会っていないまま、何のことかわからないままお話が流れる。でも、見ている人はそこに大きいものを感じるというのは、大河ドラマや歴史ドラマの作り方なんだ。『HUNTER×HUNTER』もこれまでの少年漫画的な文法や、「グリードアイランド」までの作り方だったら、王とゴンを会わせることも可能だったんだよね。

 でも、それをあえてせずに、全く別のステージで話を進めたのは、歴史物の大きい流れみたいなものを漫画の中に入れ込んでいこうとするから。「キメラ=アント」編後半はゴンがサイドストーリーになってしまっているのはなぜか、後半は王が真理に達するかどうかというクエストものになっているからなんだ。

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