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『火垂るの墓』の“火垂る”とは「神戸大空襲の爆弾投下」を意味していた。「蛍のように生命が燃えて綺麗だね、という視点で眺めている」

この作品のテーマは「戦争反対」などではない

岡田:
 高畑勲監督は、単なる“戦争反対”の映画なんかを作るつもりはなかったんです。なので、『火垂るの墓』という作品についての公式見解としても、「高畑勲監督が本作品で描こうとしたのは、困難に立ち向かい、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ではありません。決して切り開くことが出来ない戦争という状況の中で、死ななければならない心優しい現代の若者の姿です」となっています。

 高畑さん自身も、「現代ではデジタル機器が発達し、煩わしい社会生活から離れ、ある程度自分の世界に籠もることも可能になった。そのような時代であればこそ、清太の心情が分かりやすいのではないか?」や、「兄妹だけで小さな家族を作ろうとしている清太に、社会的なつながりを煩わしく感じる現代の若者との類似的なつながりを見出しているということ。しかし、戦時中ではその社会的なつながりを排して、兄妹だけで生きることは叶わなかった。そこに悲劇があるとも言えるのです」と、こんなふうに言っているわけですね。

 実は、冒頭の清太が三宮駅で野垂れ死ぬシーンには、死にかけている清太に、おにぎりをあげている人がいるんですよ。この映画を清太の主観にどっぷり浸かって見ていたら「周りはもう、みんな鬼のような人達で、誰一人助けてくれない」と、ついつい見えてしまうんですけれど。

 こんなふうに、ちゃんと“頭を下げて”お願いすれば、こんなご飯がない時代にも、なんの見返りもなくおにぎりをくれるような人がいるんですよね。

 清太がこうなったのは、戦争のせいでもなければ時代のせいでもないんですよ。そして、そういった言い訳が出来ないように、高畑勲監督は、冒頭でハッキリとこういうシーンを見せた上で、物語を語り始めているわけですね。

 つまり、この映画は「戦争が悪い」とか「貧しさが人の心を荒ませた」という話ではないんです。

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