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地下鉄サリン事件で公安関係者が想定した最悪のシナリオ「日本は彼らの支配下に置かれる危険性があった」

幹部が自分たちの失敗をカバーするために事件を起こした?

ジョー横溝:
 安田さんはいかがですか?

安田:
 僕はいろんな要素が絡まっているのだと思うのですけど、この地下鉄サリン事件というのは他の事件と本質的に質が違うというかですね、まず麻原さんが関与していない事件で井上嘉浩氏、村井秀夫氏、両氏が自分たちの失敗を何とかしてことをしようと。

 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件【※】で仮谷清志さんを拉致して、しかもそれがバレてしまって、そして殺してしまったと。それで大変大きな問題になって上九一色村のオウムの施設が家宅捜索を受けると、それを何とかして阻止しなければならない。つまり自分たちの失敗を何とかしてカバーしなければならないというのでやったのだと思います。

※公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
1995年に当時目黒公証役場事務長だった仮谷清志さんを拉致・監禁し、殺害・死体遺棄した事件。

 元々サリン製造に成功できるはずがなかったのに、たまたまできてしまったと。たまたま効力を持ってしまったということが、この事件だったのだと思います。

 偶然性が偶然性をよんでいって、そしてオウムの事件ではないところで物事が起きているというのがこの事件だなというふうに思っているのですね。もちろんその話は明らかにはならなかったのですけどね。この一連の事件の中の元々の一番の流れは坂本堤弁護士一家殺害事件【※】なのですよね。

※坂本堤弁護士一家殺害事件
1989年11月4日に元オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた坂本堤弁護士と家族の3人を殺害した事件。

ジョー横溝:
 ちょうど年表が出ていますけども。

安田:
 意図せずして坂本さんを殺害してしまったと、そこからどうやって自分たちが防衛して生き延びていくというところから武装が始まってですね、最終的には国家は自分たちが握る政治権力を自分たちが握るしかないというふうに思って選挙に出るが選挙が失敗すると何もうまくいかない、そうすると武器を持って立ち上がるしかないというのですね。

 しかも普通はそんな大胆な発想になるはずはないのですけど、それは先ほど言われた麻原さんの目が見えない情報が限られている、しかもそれがオウムの教理の中で上手に解釈されるというところで、どんどんどんどん拡大していって最終的には地下鉄サリンも含めてでしょうけども、国家そのものの転覆をやっぱりこの人たちは考えていたのではないかと思っています。

タントラ・ヴァジラヤーナよりも危険因子? 教義「マハームドラー」が厄介な理由

ジョー横溝:
 なるほど。その宗教性というところで言うと、なかなか裁判の争点にはなっていないとは思います。ただ僕の認識が甘かったら3人に言っていただきたいなと思うのですが、そのオウムの教えの中にいわゆる密教の教えというのがあったと思うのですよね。

 それがタントラ・ヴァジラヤーナ【※】というやつだと思うのですけれども、これは宗教学者の方とか元オウムの信者の方とかに聞くと、密教だけに基本的にはいわゆるマンツーマンの関係で教える非常にリスクのある教えであると。

 そういうところがやっぱり先ほど教団が大きくなった93年、94年、95年ぐらい、93年ぐらいからワァーと大きくなっていくわけですけども、その組織化もしていく中で、どうも教義というものが集団に流布していくときに、一つの悪い方に使われてしまったというか。

※タントラ・ヴァジラヤーナ
殺人を暗示的に勧める危険な教義。

 きちんと本当は宗教の中で、一対一で教える厳しい教えだったはずが、やはり組織化してしまったので大きな中で一人歩きしてしまったというか、信者によっては勝手に解釈してしまった。

 そういうオウムって元々危険性はあったと思うのですけども、それが何かちょうど事件が起きていく中で、捜査とかそれからそういったものの網をすり抜けていくように、うまいこと信者の側も利用した感がある。

 言葉を選ばなければいけないと思うのですけど、逆に言うと権力側も焚きつけた感というか、お前らの持っている凶暴性みたいなものを煽った感があるのかなという印象が、なんとなく僕はあるのですがいかがでしょうか。

安田:
 オウムの教義の中にはいろんな教義がありましてですね。暴力も肯定、ポアも肯定あるいは死ぬということ自体が否定されているのですよね。死んだって必ず輪廻転生で、もう一度違うものとして生まれ変わってくるわけですね。ですから僕たちが今考えているような死というのは絶対的という感覚ではないのですね。

 その背景の中にあって、やっぱり個別問題について対応していこうとするわけですから、いかようにも解釈できるということだろうと思うのですね。私たちの、特に今生きている僕たちにとっては、生か死というのは大変絶対的な問題なわけですね。

 死のあとには何もないと、生きていることすら大変重要なことだと思っているけども、しかしオウムの宗教の中には生きていることは、たまたま現世で生きているという話なだけであって、相対的なものなのですね。

 麻原さんが言っていたのは、例えば井上氏に対しては「今生においては自分の弟子だったけれども、前世では私を殺そうとした人かもしれない」というようなことを言うわけですよ。そういうふうに今生の人間関係でさえ、相対的に捉えているということですね。

 それはもう今の世の中の権力でさえ、相対的に捉えるというところが背景にはあったのではないかなと思いますね。しかし、じゃあオウムだけがその考え方だったかと言うとそうではないのですね。キリストの世界では復活はあるのだし、それから仏教の世界でも極楽浄土あるいは地獄というものがあるわけですからね。

 輪廻転生も仏教の中で言われているのですけども、ただ僕はそれを幾何学的にというか、数学的に解く余裕もなく、それで全てを解決すると説明しつくすというのがオウム。

 それでまた魅力があって、それで曖昧さとかあやふやさとかを残さないところ、出家をすれば当然現世と別れをするわけですから、たまたま父親であったり母親であったり、これは現世でたまたま出会っただけの話で、そうすると付き合う人が何もいないという、ものすごく研ぎ澄まされたガラス細工のような宗教だったのかなという気はしますね。

 それから麻原氏がもう一つ言っていたのは、「ここまで修行すればこれだけのステータス」というのを、「精神的に自分が高いステージに上がれるのだ」という、これも幾何学と同じようなものです。「これだけ修行を積むことによって、自分は菩薩になり、あるいは解脱ができるのだというところを、彼は自分たちに明らかにしてくれた」というのが信者たちの言っている言葉なのですね。

森:
 僕の実感で言うと、さっきジョーさんが言及したタントラ・ヴァジラヤーナという、要するにかなりトップシークレット的な教義ですよね。麻原もこれは普通口にしません。僕はずっと撮影していて思ったけれど、むしろマハームドラー【※】という教義もあるのですよ。

※マハームドラー
密教の一部。一般的な意味としては自己の身体的動作によって諸尊の動作を模し、自己を実在界の象徴と化することによって即身成仏をはかるもの、とされる。オウムで用いられていた意味としては、「弟子(信者)が無自覚でいる短所に気づき、それを改める機会とさせるために、グル(麻原)があえて与える試練」というものであった。

 これは要するに試練ですよね、単純に訳してしまえば。つまり今のこの苦しい状況は自分が試されているのだと。

 一旦これにはまってしまうと何があっても試練なのですよ。オウムがどんなことをやっても、あるいはどんな犯罪を起こしても、これは自分が試されているのだと。自分がここでどうするかを試されているからこそ、今こんな逆境が自分の目の前で起きているのだとみんな思ってしまうのですよね。

 僕はサリン事件以降のオウムの撮影をずっとしていたわけですけれども、ほとんどの信者のメンタリティにそれがありましたね。これが厄介だなと思ったのは、一旦これにはまってしまうとなかなか抜けられないのですよ。

 だからタントラ・ヴァジラヤーナは公安庁も、最もオウムが犯罪に走った要因であると断定しているし、オウムの一連の法廷でも盛んに使われたけれども、僕はむしろタントラよりもマハームドラーの方がはるかに犯罪に結びつく要素があったのではないのかという気はします。

ジョー横溝:
 もう1回整理しますと、タントラ・ヴァジラヤーナという教義の中に、例えばポアであるとか。

 ポアって実は教義の中でもっと広い使われ方をしているので、精神が浄化されるという意味もあったりするので、必ずしも報道で聞くような、殺すという意味ではなかったりするのですが、森さんが今おっしゃっていたマハームドラーというのは、何があってもそれは自分の試練なのだというふうになると、もう議論が成り立たないということですよね。

 そこがすごくこの事件の厄介なところというか、やっぱりそういう宗教観の持っている人をこの法律で裁くということ自体、意味があるのかどうかという感じが正直してしまうというか。

 元信者の方と話していて、やはり一番僕らが底なし沼のような議論になってしまうのは、やっぱり彼らは現世を捨てているわけですから、この世の中には興味がないのですよというところから出発している。

 何があってもこれは自分が乗り越えなきゃいけない試練だというふうなところになると、彼らからしてみると試練だけど僕らからしてみるとエクスキューズに聞こえてしまうというね。

森:
 ただやっぱり、日本は法治国家ですからそれは仕方がない。やっぱり僕たちは理屈で裁かなくてはいけないし、理屈で罰は与えなくてはいけないと僕は思っています。でも同時にそうしたような足りないところ、余っているところ、あるいは自分たちの解釈とは違うところはしっかり記憶しないと。

 記憶した上で線を引けばいいんだけれど、全部そのあたり一緒くたにして、わけがわからなくなって、それで全部ブラックボックスに押し込めて、じゃああとは処刑するだけでというのは、僕は違うのではないかと思います。

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