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「処女信仰の男はクズ」社会学者・宮台真司が語る”アカデミック童貞論”が快刀乱麻の切れ味

絆のない人たちは損得で生きるしかないから、一人寂しく死ね

宮台:
 仲間の空洞化を背景にしたクズ化=損得化の動きは日本だけじゃない。それに抗って、2010年から先進国でSNS離れが始まりました。ベルギーからフランスやアメリカを経て最近は日本に及んできた。SNS離れをした人々は「見えないコミュニティ」を作っています。シェアハウスにせよ、私塾にせよ、スワッピングサークルにせよ、クズが入ってこないようにネットから見えないようにした「絆の集団」が各所にあるわけです。

 こうした展開は「社会の問題」ですが、「個人の問題」として見れば、感情的劣化=損得化=クズ化の拡がりを前に「何か間違ってる」と気づく人たちが、減ってはいるものの今でもそれなりにいるということ。個人から見ればそれが手掛りです。仲間作りにおいても恋愛においても、ネットから見えない「絆の集団」を探す試行錯誤をすべきです。それをせずにネット炎上して溜飲を下げていれば、クズは永久にクズで終わります。

 リアルなコミュニティ=仲間集団を既に設けた人はSNSを必要としない。使うにしても完全にクローズドな利用法しかしません。だからネットに棲息する劣化した人たちからは「絆の集団」が見えないんです。すると、劣化した人たちは、「絆の集団」を生きる人たちに比べて、社会がより劣化=損得化したものに見えて、それに適応してますます劣化します。そうした「クズ化の自己増殖」が進みつつあるのが現状です。

「ちょっとこじれてるけど、お前は良い奴だ。だから心配するな」

宮台:
 繰り返すと、本人たちが原因でクズになったわけじゃなくても、その状態に甘んじるかどうかは本人の問題だと言うしかありません。それ以外の言い方をしたところで彼らは別の状態にシフトできないんです。何とかしてくれる政府や、何とかしてくれる中間層のソーシャルキャピタル(人間関係資本)はもうありません。だから「本人が原因じゃないけど、本人が何とかするしかないこと」が、今はあふれているんです。

 マクロにはそんな状況だけど、ミクロなやり方は単純です。僕のゼミにウヨ豚が来ても半年で脱ウヨ豚化できるし、クソフェミも半年で脱クソフェミ化できる。両方とも同じで「言葉の自動機械」を離脱させる。何かガミガミ言っていても「わかるよ」と。何を言ってるんだか分かんなくても「気持ちはわかる、お前はいい奴」と言い続け、そこから「今はこじれてるけど、根はいい奴」を経て、「いい奴だから、こじれは直せる」に進むの。

 「そんなに必死に喋らなくても、みんな気持ちは分かってるよ」とやっていくと、凄い勢いで棘がとれる。何度も目撃しています。感情的に劣化した連中も、何かのラッキーでそうした包摂的な仲間集団に加えてもらえば、気持ちに余裕ができて、ポジション取りや承認ゲットに右往左往する「損得厨」から逃れられる。包摂的な仲間集団を生きる側からすれば、先ほど紹介したノウハウを使って一本釣りしていくしかないです。

 そうした集団に出会えるかどうかは運もあるけど、「出会えないのは俺が悪いんじゃない!」って言っていると、偶然にでさえ出会えるチャンスが消えます。もがいて探してほしいです。僕のゼミに来るウヨ豚やクソフェミは、意識の表層では反発を抱いて宮台をやり込めようとして来るけど、後々聞くと、自分はどこか変だなと思って、もがいていたと思うって言うんです。僕らもウヨ豚やクソフェミを「根はいい奴」と思っています。

損得を越えた“仲間”がいない男に、女は絆を結んでくれない

──“仲間”の不在が根源的な理由ですか。
 
宮台:
 それがとても大きいですね。恋愛ワークショップを、東日本大震災の直後の「絆ブーム」を機に2年余りやりました。やめた理由は、特に男が「自分のどこが悪いのか分かったけど、自分はもう変われない」となってしまうからです。「損得で生きてきたので、損得を越えるっていう意味が分からない」とか。そういうのを前にすると、身体的・精神的童貞の、性愛関係だけを取り出して改善するのは、到底無理だと分かります。

 つまり、問題は性愛ワークショップ以前にあるということです。だから、僕がどこでも必ず言うのは、「損得を越えて君を助けてくれる仲間がいるかい?」「君は損得を越えて助けたい仲間はいるかい?」ということ。「いないのならそれを作ることから始めないと、女はセックスしてくれても絆は結んでくれないよ」とね。それはそうだよね(笑)。当たり前すぎるけど、その当たり前ができない若い連中が増殖しているわけです。

 もう一度、仲間——昔は共同体とか共同性と言ったけど——の定義を確認しますね。損得を越えて犠牲になったり貢献したりできる人間関係の範囲を、仲間と言うんですよ。仲間を作ることができない人間は、損得を越えられないので、性愛においても、セックスはできたとしても、絆を作れません。僕も長く生きてきましたが、一つの例外も見たことがないんですよ。ってことは、そこに処方箋の鍵があるということです。

──ネットにネガティブな情報が溢れすぎている?

宮台:
 20世紀半ばのマスコミ研究で分かったのは、テレビを見る場合、親しい人と一緒に視るか、視た後に親しい人と話し合うかすると、番組の暴力表現や性表現の影響が小さくなること。一人で視るとロクなことがないんです。ところがネットは一人で接する。だから、感情が劣化した人が、鬱憤を晴らしたり不安を鎮めてくれる情報ばかり選んで「いいね!」しまくる。かくて「類は友を呼ぶ」「クズがクズを呼ぶ」状態になります。

 そうなると、社会ネタであれ政治ネタであれ、真実や正義よりも、鬱憤晴らしに役立つものに、「言葉の自動機械」として反応しがちになります。SNS離れの話をしたけど、SNS離れした人たちは、気持ちに効くクスリとしてネットを使ったりしません。結局、「右か左かじゃなく、マトモかクズか」なんですよ。「ポスト真実」もそこから生まれます。デマに騙されるんじゃなく、デマと分かっても「だからどうした」という構えになります。

 1990年代半ばのネット勃興期、僕は、餌を撒いてクズが食いついたらコテンパンに叩きのめす遊びをしてたけど(笑)、当時からネットは「悪貨が良貨を駆逐する」状態。「見たいものだけ見て、見たくないものを見ない」クズや「実存(気分スッキリ)の観点から社会(正義や妥当性)を語る」クズが溢れていた。だから僕は「ネットで参加民主主義が強化されるどころか、クズの参加で民主主義が壊れると言っていたわけです。

 説明すると、表現と表出は違います。表現は相手に伝える営み。表出は自分がスッキリする営み。表現はexpression。表出はexplosion。右か左かは「表現の問題」だが、マトモかクズかは「表現と表出を峻別できるか否か」の問題です。僕はネットが表現と表出を区別できないクズを蔓延させるだろうと予想した。菅官房長官の物言いを真似れば、安倍政権は「右傾化」と言うには当たらない(笑)、単なる「クズ化」です、とね。

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