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ノーベル平和賞授賞式でなぜ2人は目を合わせなかったのか――アパルトヘイト撤廃へ尽力した2人の政治家 マンデラvsデクラーク

 ニコニコドキュメンタリーでは、『ザ・ライバル』と題して、世界が注目する“ライバル関係”を描いた12作品を、ニコニコ生放送にてお届けします。

 本稿では、そんな『ザ・ライバル』シリーズの内容を、プロデューサーを務める吉川圭三が5月31日に放送される『マンデラVSデクラーク ~平和へのライバル~』を解説。
 「世界まる見え!テレビ特捜部」や「恋のから騒ぎ」など、数々の人気テレビ番組を手がけてきた吉川氏が語る、対決の見所とは……!?


「アパルトヘイト撤廃」に寄与した二人

 不思議だが奥の深いドキュメンタリーである。南アメリカの「アパルトヘイト撤廃」に寄与した二人の男。マンデラとデクラークが1993年スウェーデンのストックホルムで行われた「ノーベル平和賞」の授賞式に出席している映像が出て来る。

『ザ・ライバル』マンデラVSデクラーク ~平和へのライバル~より

 マンデラは終始満面の笑み。デクラークも回りの人たちに愛想良く微笑んでいる。
 しかし、何かが奇妙だ。2人は決して抱き合ったり、握手したり、見つめ合ったりしない。晴れのノーベル平和賞……疑り深い私はここまで来るのには我々の想像を絶する事があったのだ。と確信に近く思ってしまう。それほどこの作品はとても奥が深いのである。

世界で一番危険な地域「ヨハネスブルグ」

 2年前の秋のこと。東京である異業種の会での講演を頼まれた。メディアの事を私が知る範囲でお話した。終了後、軽い立食パーティがあった。隣に一流商社に勤めていると言う中年男性が現れ、名刺交換をした。金融を扱う部署にいた彼は家族3人で南アフリカ最大の金融都市ヨハネスブルグに3年間居住し3ヶ月前に帰国したのだと言う。

『ザ・ライバル』マンデラVSデクラーク ~平和へのライバル~より

 私も「世界まる見え!テレビ特捜部」を長年やっていたので大体の世界情勢は把握していたが、私の認識では「ヨハネスブルグは世界で一番危険な地域である。」ということであったので恐る恐る聞いてみた。「何かありましたか?」彼は平気で答える。
 「何かなんてもんじゃありません。何しろ危険だらけで。ドライブしていても赤信号で止まってはいけないです。止まった途端、どこからかバットや銃や鉄パイプを持った少年や青年に囲まれて窓ガラスを割られて金や貴金属を略奪されます」……ここから彼のヨハネスブルグ恐怖体験話が始まるが、際限ないしどれも酷く生々しい。家族で3年間過ごした彼らには当然複数のボディーガードが付いたと言うが、東京に帰って来れた事が奇跡の様だと言う。

『ザ・ライバル』マンデラVSデクラーク ~平和へのライバル~より

 また20年前のことである。南アフリカのある希少資源の鉱山の採掘現場のドキュメンタリーを日本テレビの「世界まる見え!」で紹介した。地下1000メートル以上、いつ落盤が起こるかわからない劣悪な労働環境、狭いし、湿気が凄いし、見ているだけで圧迫感がある。アパルトヘイト撤廃前で黒人労働者が作業にあたる。もちろん超低賃金だ。この鉱石が文明国に運ばれ加工されると驚くべき価値を生む。フランスのチームが撮った迫真のドキュメンタリーであった。

 放送翌日、港区のとある高級高層ビル最上階にある広い会議室に呼ばれた。そこは日本でも有数の有名弁護士事務所で十数名の弁護士がズラリと並んだ。私はドキュメンタリーの入手経路やフランスサイドのスタッフ名を聞かれた。弁護士が言う「一部の労働現場は日本では見せてはいけない事になっています。そのことに広告代理店のAともおたくの局とも協定を結んでいます」と民間放送では放送してはいけない映像を我々は放送してしまった事を追求された。
 その鉱物資源でビジネスしている会社は我々に取ってCMを沢山出稿してくれる大スポンサーだったのである。横の営業部長が「お詫び」のテロップを来週の放送に即刻入れることを約束してかたがついた。何かこの世界の巨大な闇を見てしまったようでしばらく重い割り切れなさが残った。

アパルトヘイトの歴史

 1400年代「大航海時代」が訪れた。イギリス・スペイン・ポルトガル等が巨大帆船を駆って、アフリカ・南米・南洋・カリブ海に覇権と利権を求めてこぞって乗り出して行った。1488年、南アフリカの南の喜望峰に初めてたどり着いたのはポルトガルであった。1652年、オランダ東インド会社が進出。ヨーロッパ風の気候が彼らに移住を促進した。
 18世紀末、有り余るほどの金とダイヤモンドが発見されイギリス人の入植がはじまる。19世紀オランダからイギリスの植民地(ケープ植民地)になり、英語が公用語になる。

 この時点で元々の現住アフリカ人、奴隷として連れてこられたインド系移民やインドネシア系移民、そして主に300年前に南アに来たオランダ系白人とこの国の実権力握るイギリス系の白人がこの国に混在し対立する事となる。だから、根は深い。

 1948年、白人を基盤とする国民党が当選。アパルトヘイト(人種隔離政策)をさらに推進。しかし、一方、ローデシア(アフリカ・ジンバブエを支配していた白人勢力の国)の影響で南アにもアパルトヘイト撤廃の波が1990年ごろ訪れ、当時のデクラークは人種隔離政策関連法の撤廃に動く。国民的なうねりのなかで1994年マンデラが大統領に当選する。しばらく、デクラークは副大統領を務めるが2~3年で何故か退任している。この時期の前後二人の間に微妙な確執があったと言われている。

マンデラとデクラーク、2人の生い立ち

『ザ・ライバル』マンデラVSデクラーク ~平和へのライバル~より

 マンデラは酋長の息子で弁護士資格を持つ。国民民族会議に入りアパルトヘイト撤廃運動に参加。逮捕され27年投獄される。デクラークは政治家の息子で弁護士を経て政治家に。

 デクラークはやはり注目を浴びるマンデラに嫉妬していたのであろうか? 歴史を紐解くと80年代~90年代にアパルトヘイト撤廃を含むこの国を変える法改正の下準備をコツコツとやっていたのはデクラークであることがわかる。

 しかしマンデラはアパルトヘイト撤廃の為に獄中に27年も居た人物。必然、民衆の人気も高い訳である。二人の間に言い知れぬ思いがあるのも不思議ではない。

『ザ・ライバル』マンデラVSデクラーク ~平和へのライバル~より

一掃できない南アフリカの闇

 南アフリカはその歴史が物語る様に植民地統治の歴史や、その豊富な資源から欧州に蹂躙され、各国の奴隷などの人種が入り交ざってしまった事等から「地球上で最も統治が難しい国」の一つとなってしまった。それにしても「強者どもが夢の後」とでも言うのか、アパルトヘイトが撤廃されても南アフリカの深い闇はそう簡単に一掃できないのである。

 この国で起きる厄介なトラブルの数々を見聞きすると、事態はまだ解決の端緒に入ったばかりと思わざるを得ない。時々、南ア事情を聞くにつれ比較にならぬ程安全な日本で生きる喜びを安易に感じてしまうのである。

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プロフィール
ドワンゴ・エグゼクティブ・プロデューサー。ニコニコドキュメンタリーのプロデュースを務める。「世界まる見えテレビ特捜部」や「恋のから騒ぎ」など、数々の人気テレビ番組を手がけてきた。著書に『たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場』(小学館)、『ヒット番組に必要なことはすべて映画に学んだ』(文藝春秋)など。

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