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ファッション業界の礎を築いたドイツの皇帝とフランスの天才――ラガーフェルドvsサンローラン

 ニコニコドキュメンタリーでは、『ザ・ライバル』と題して、世界が注目する“ライバル関係”を描いた12作品を、ニコニコ生放送にてお届けします。ペプシとコカ・コーラによるコーラ戦争、スティーブ・ジョブスとビル・ゲイツ、ダイアナ妃とエリザベス女王の王室嫁姑対立など、さまざまなジャンルの“ライバル関係”の裏側に迫ります。

 本稿では、そんな『ザ・ライバル』シリーズの内容を、ニコニコドキュメンタリーのプロデューサーを務める吉川圭三が解説。「世界まる見えテレビ特捜部」や「恋のから騒ぎ」など、数々の人気テレビ番組を手がけてきた吉川氏が語る、それぞれの対決の見所とは……!?

ヨーロッパのブランド勢力図

 この、ドキュメンタリーをご覧になるにあたり、まず、ヨーロッパのファッション界・高級宝飾界・高級酒類界における以下の勢力図をご覧いただきたい。

<LBMH・Group>
(ルイ・ヴィトン、ブルガリ、モエ・シャンドン、ヘネシーGroup)
セリーヌ、クリスチャン・ディオール、ロエベ(スペイン)、フェンディ(伊)、ジバンシー(仏)、ブルガリ(伊)、ドン・ペリニオン(シャンパン・仏)、モエ&シャンドン(仏)、ヘネシー(コニヤック、仏)

<リシュモン・Group>
カルティエ、IWC、ジャガー・ルクルト、バンクリーフ&アーペル、モンブラン、ダンヒル、クロエ

<ケリング・Group>
グッチ、イヴ・サンローラン、ブショロン

<その他の単独GPと,独立系>
プラダGroup、ラルフ・ローレンGroup、シャネル(独立)、エルメス(独立)ベルサーチ(独立)、バーバリー(独立)、ティファニー&Co(独立)、アルマーニ(独立)

モード界に大きな影響を与えた「皇帝と天才」

 かつてこの世界では独立系が多かったと聞くが、第二次世界大戦後のブランド産業の拡大化、各企業の浮沈、EUの誕生、巨大金融資本を背景にした壮絶なテリトリー争いの後、多国間にまたがる覇権争いは一旦はこの状態に落ち着いたと言う。

 さて、今回の「ラガーフェルドVSサンローラン」はまさにこのファッション業界が巨大産業化し合従連合を繰り返す最中に起こったとも言える。これはそれを背景にフランス・モード界の頂点に立ちながら、全く違う生き方をした二人の男性デザイナーの生き方を描いた見事なドキュメンタリーである。

 二人は共通して有り余るほどの才能を持って居た。一方は野犬の様にタフで大胆「皇帝」と呼ばれ、一方は繊細な王室の貴公子の様で「天才」と呼ばれている。「皇帝」はカール・ラガーフェルド。1933年生まれの84才。「天才」イヴ・ローランは2008年惜しまれながら73才で病死した。

幾多のブランドを渡り歩いたドイツの皇帝

 「皇帝」ラガーフェルドは決して裕福でないドイツ生まれ。パリに出てオートクチュール(顧客の希望に合わせそれぞれハンドメイドでデザインされ縫製された特別なドレスや服)のピエール・バルマンで頭角を現す。プレタポルテ(既製服)のメーカーに移り、63年クロエ、65年フェンディ、83年シャネル(84年カール・ラガーフェルド自身のブランド設立)、92年クロエ復帰。
 目まぐるしい移籍だが、ラガーフェルドの功績は何よりもジリ貧の名門ブランド「シャネル」を「不死鳥」の様に甦らせたことである。1916年にココ・シャネルがオートクチュールを始め興隆を極めた「シャネル・ブランド」を、彼は一刀両断に大胆な改革をし、世界中のファッション業界はラガーフェルドの次に打つ手から目が離せなくなった。もし、彼がいなければシャネルは上記の様な独立メーカーとして存続していなかったと言われている。シャネルは現在、独立系で40か国に180店のブティックを持つ。

『ザ・ライバル』ラガーフェルドVSサンローラン ~モード界の皇帝と天才~より

 ラガーフェルドは実に話題豊富でフォトジェニック(写真家の的になり易い)な男である。1933年生まれだから、84才であるが実にエネルギッシュである。2000年ディオール・オムのスリムな服を着る為に43キロのダイエットに挑み成功している。また、友人から借りた猫を気に入った末、友人には決して返さず2人の“猫”専属メイドを付けている。
 デザインではドバイの“島”そのものもデザインし、コカ・コーラのボトル(1本7,500円)、独シュタイフ社のテディベア(16万円)等制作し意欲深い。また写真家・映画作家としても高額なギャランティで雇われることもある。強烈な“好奇心”と“表現力”を内包した男である。

パリ・ファッション界に突如現れた救世主

 一方、1933年生まれのイヴ・サンローランはティーエイジャーの時に行われた名門IWS主催のデザインコンクールのドレス部門で最優秀賞を受賞。(一方偶然にも同賞の毛皮部門の最優秀賞はラガーフェルドであった。)
 当時、フランス最高峰のメゾンの一つ、クリスチャン・ディオールに若くして入り、たちまち頭角を現す。そしてなんと21歳でディオール・ブランドの主任デザイナーに就任してしまう。パリ・ファッション界は突然出現した天才に騒然とした。一時、イタリア勢に押されていたパリは沸き立った。
 「イヴはフランスを救った。」

『ザ・ライバル』ラガーフェルドVSサンローラン ~モード界の皇帝と天才~より

 しかし、天才をほしいままにした繊細な男の頭にも暗雲が立ち込める。
 1960年アルジェリア戦争に召集され地獄を見て、一生、薬物に依存しなければならない精神状態になってしまったのだが、若い彼はどうにか堪え1962年クリスチャン・ディオールから独立し「イヴ・サンローラン」ブランドを立ち上げる。オートクチュールからプレタポルテへ。世界的女優のカトリーヌ・ドヌーブを起用。世界的ブランドに発展。特に1970年代~80年代イギリスの富裕層に大ヒットする。

 その後も栄華を極めたが2002年のパリコレで引退をし、以降モロッコ・マラケシュの高級リゾートで過ごす。レジオン・ド・ヌール勲章受章。黒人から黄色人種まで数々の有色人種を積極的にフレンチ・ヴォーグ誌やショーに起用したことからモデルのナオミ・キャンベル等から絶賛された。
 2008年73才で死去。その遺産・遺品は実に463億円ほどと言われている。イヴ・サンローランは死亡する前に上記の「ケリング・Group」にブランドを売却し、サンローラン自身は巨万の富を得たと言う。

 色んなブランドを渡り歩き「好きなこと」をやり抜いたラガーフェルド。ファッション界の隆盛を祈りつつただひたすら、服作りに没頭し燃え尽きるように命を落としたサンローラン。彼ら個性あるデザイナーが今のモード界を支えているともいえるのだ。

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プロフィール
ドワンゴ・エグゼクティブ・プロデューサー。ニコニコドキュメンタリーのプロデュースを務める。「世界まる見えテレビ特捜部」や「恋のから騒ぎ」など、数々の人気テレビ番組を手がけてきた。著書に『たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場』(小学館)、『ヒット番組に必要なことはすべて映画に学んだ』(文藝春秋)など。

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