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ロシア文学は時々爆発する――声優・池澤春菜とロシア文学者による「みんなが知らないロシア文学」

ソ連崩壊はロシア文学にプラスの影響を与えたか?

池澤:
 そういう統制とか細かくネチネチ言われる中でキーワードとなるのがサミズダート。これは秘密出版と訳するんですかね。

松下:
 サミズダートは自分で出版するということです。ソ連時代、細かい決まりみたいなものがあるせいで本当に自分の書きたいものがなかなか書けない状況の中、仕方なく作家たちが自分でタイプライターとかで打ったものを仲間内で回し読んだりしていて……。

池澤:
 同人誌みたいなことですね。

松下:
 まさにそうです。

池澤:
 いわゆるロシア文学版の薄い本みたいな。

沼野:
 でも地下出版とか秘密出版っていうと、なんか秘密の出版物のような感じがしますけど、その実態はタイプライターにカーボン紙を何層にも挟んで強く打つと、1回強く打てば4枚ぐらい取れるから、それを回しているだけなんですよ。要するにただタイプライターに字を打ったもので、本でもなんでもないんです。

池澤:
 作家回覧板とか、交換日記みたいな感じですか?

沼野:
 ソ連時代はコピー機も自由に持てないし、そもそも印刷機なんて普通の人は持てないんで、それしか方法がないんですね。

池澤:
 じゃあ、そうやって作られたペーパーって残らないですよね。部数もペラ何枚とかのものだから、なかなか世の中に出てくることがないんですね。

沼野:
 でもやっぱり、ひとりがコピーを作ると別の人がそれを受け取ってどんどん増えていくことには増えていきます。カセットテープに録音した歌なんかも、そうやって増えていったんですね。
 その頃ってやっぱり飢えているわけですよ。だから「公式に出版されてない、タイプライターで打った秘密のものだ」って、明日までに友達に返さなきゃって思うと、徹夜でも読んじゃうじゃないですか? 読むパワーが出てくるんですね。今の日本みたいになんでも溢れていて、本も本屋さんに行くといっぱいあって、何を買っていいかわからない状態だとそんな飢餓感はないですよね。

池澤:
 そうか、書くこと、表現すること、読むことが、今よりもっともっと貴重で、必死になって追い求めるものだったわけですね。そうやってサミズダートでいろんな自分の書きたいものを書いて、さらにもっと書きたいと思った方は国を超えて亡命して、より自分の書く文学を追求していくのでしょうか。

沼野:
 そうですね。亡命の歴史も長くて、ロシア革命直後にボルシェビキ政権、つまり共産主義政権を受け入れないで亡命した第一次亡命世代の人たちが1960から70年代くらいにいて、ソ連後期には反体制知識人みたいな人たちが国から追い出されるというようなこともありました。先程名前が出ましたが、ソルジェニーツィンとかが有名かもしれませんね。

 そういう人たちもいきなり国から出るんじゃなくて、そもそも当時のソ連って国から出ること自体、出たいから出られますってわけじゃないんです。まず出る前に海外出版の形で、本人はソ連国内に残っている状態で原稿だけ西側に送って出版するんです。パステルナークの『ドクトル・ジヴァゴ』なんかは、最初はそういう形で海外で出版されたんですが、そうしたら、パステルナークはそれが反ソ的行動って糾弾されちゃって、国内にいたものだからものすごいひどい目にあって。

池澤:
 国内で書いたものが翻訳されて海外へ渡っていくのではなく、そもそも海外でまず出版していたんですね。

沼野:
 ロシア語の原稿が海外に渡って、そのままロシア語で出ることもありました。もちろん翻訳されることもありました。でも1960年代から70年代くらいにそれが顕著になってきて、さらに1985年にペレストロイカが始まったことでソ連国内も言論がかなり自由になって、1991年にはソ連が崩壊しちゃって、そういう亡命の時代にも一応終止符が打たれました。

池澤:
 ソ連崩壊後の現代、今はさすがにタイプライターで4枚ずつ強く打ったりはしていないと思うんですけど、現代のロシア文学というのはどういう状況にあるんでしょう?

沼野:
 じゃあそれは若い松下さんに……。

松下:
 先程、沼野さんが仰ったようにソ連時代はいろいろ規制があったんですけど、その反面、文学の価値をある種国家が保証するようなところがあったんです。だけど、ソ連が崩壊したことによって文学の社会的重要性が低下した一面があって……。

池澤:
 ソ連時代は、「いい本書いたら政府が何万冊は保証する、お金もこれだけあげよう」みたいな?

松下:
 実際に文学史の発行部数とかもソ連時代の方が多かったんですよね。ただ今は、その頃に比べてものすごく低くなっています。ペレストロイカ以前の禁止されていた時代の文学は、90年代以降国内でも発表されるようになって、それこそソローキンなんかは、そこでやっと国内でも自由に読めるようになったんですけど、ただその反面文学の社会的需要性というのはちょっと落ちたというね。

池澤:
 自由と引き換えにご飯が食べにくい時代が来ちゃったということですか?

松下:
 そうですね。現代作家ってどうやって暮らしているんだろうなって……。

沼野:
 それは、私の親しい友人でもあるロシアの人気作家アクーニンもよく言っていることで、「ロシアが普通の国になったんだ。普通の、でもちょっと面白くない国になった」と言うんですね。

 つまり昔は文学って、先程松下さんが仰ったように、いろんな意味でものすごく重要なものだったわけですよ。だからこそ作家が文学作品故に迫害されたりするわけですね。小説書いて政治的に問題だって逮捕されたり糾弾されたりって、今の日本はないでしょう? 村上春樹が悪い小説を書いたって政府に迫害されて……みたいなことはないですよね(笑)。

池澤:
 そこまではないですね(笑)。

沼野:
 でもソ連時代はそれが普通だったわけです。みんなひどい国だって思いますよね? でもそれは、そうじゃないかもしれない。つまり、文学がそれほど重要視されていたということです。

池澤:
 文学の影響力だったり、文学の持つ力というものがある意味正しく評価されていたということですか?

沼野:
 権力が恐れていたわけですよ。

池澤:
 なるほど、ペンの力を……。

沼野:
 その恐れが今はなくなってしまったから、同時に重要視されなくなりましたが、作家から社会的責任の肩の荷も降りて、自由になりました。そしてちょっとつまらなくなって、作家が食べにくくなりました。

 やっぱりソ連時代の有名作家って、それはそれはすごいものだったわけですよ。有名作家だってだけで、生活も保証されているし、映画スター以上の尊敬を集める存在でした。

松下:
 もちろん今も少数のスーパースター的な人はいて、例えばゼロ年代に有名になったプリレーピンって作家がそうで、彼は見た目がスキンヘッドでネオナチみたいな格好をしているけど、革ジャン姿で愛国主義バリバリな感じの小説を書いて、それがとても評価されているんですね。しかもなぜか歌まで歌っていたり、自分の服のブランドまで出していたりと、すごくマルチに活動しています。そういう少数の、ものすごく成功した人っていうのは今もいます。

ロシア文学は時々爆発する

池澤:
 じゃあ自由に書けるようになったことによって、今のロシア文学は何でもありというか、変な作品もいっぱい出てきているんですか?

松下:
 そうですね……日本から見ると、かなり(笑)。

沼野:
 日本よりもぶっ飛んでるんじゃないですか?

池澤:
 そうですよね。ということで、ソローキンの話にいく前に、ここでユーザーからの質問をいくつかご紹介したいと思います。

運営:
 【今までロシア文学を読んできて、「キリスト教に詳しくないと楽しめないな」と常々感じてきました。みなさんはロシア文学とキリスト教、ロシア正教との関係をどのようにお考えでしょうか?(20代男性・石川県)】

池澤:
 たしかに「キリスト教がわからないので読みにくい」という声は(ニコ生の)コメントでもいくつかありましたよね。宗教と文学、またちょっと別の番組ができそうなドッシリしたテーマがきちゃいました。

沼野:
 でも、それはロシア作家すべてについて必ずしも言えるわけではないかもしれなくて、例えばチェーホフって作家はあまり宗教的ではなく、むしろ彼は無神論に近いかもしれないです。かなり懐疑的な人で、宗教的なものを決して正面から論じない。ただ、やっぱり19世紀の作家として代表的なトルストイやドストエフスキー、このふたりに関しては生涯をかけて宗教や神というものを追求した人たちですから、彼らの文学は宗教文学と言ってもいいくらいですね。

 だけど、だからといって「ロシア正教の特別な教義の知識がないと読めない」とかそういうことではなくて。「人間にとって自由とは何か? 神とは何か?」という普遍的な問題を突き詰めた結果が宗教的な探索であったということなんで、別に予備知識がなくても問題はないと思います。

 ただ、「今の日本の読者がそもそもそういう問題に小説を通じて取り組みたいと思うか?」と考えると、そこがちょっとズレるかもしれないなと思います。でも、松下さんはもっと若い世代だから、ポストモダンから入って……。

松下:
 いやいや、でも僕も入口は高校時代に読んだドストエフスキーの『罪と罰』ですから。僕、ドストエフスキーがものすごく好きで、高校時代に『罪と罰』を3回読んだし、読書感想文を書いたこともあるし、とにかくものすごくハマっていました。ただ、別に宗教に詳しいわけではなかったんですよ。深く細かく知ろうと思ったら、もちろん宗教の知識は必要になるのかもしれないけど、物語としての面白さに宗教的知識ってそこまで必要じゃない気がするんですよね。

 例えばドストエフスキーのもっと短い作品で『地下室の手記』って有名なのがありますけど、これはちょっとネットの世界にこもる「2ちゃんねらー」とかに近い雰囲気の、ひたすら愚痴を垂れ流しているみたいなものもあります。

池澤:
 そう聞くとすごく親近感が湧くというか、ちょっと自宅警備員みたいな感じですよね(笑)。宗教というよりも哲学、つまり「自分とは何か? 生きるとは何か?」を考えていくステップのひとつとして、宗教や神様という概念があるという感じで思っておくといいのかもしれませんね。

松下:
 やっぱり世界的に受け入れられているということは、ある種普遍的なレベルの問題が語られているわけなので、必ずしも宗教の教義に関する細かい知識が必要なわけではないんですね。

沼野:
 それに、実はトルストイもドストエフスキーもロシア正教の伝統の中にはいますけど、教会の立場から見ると、どっちもあまり正統的な宗教者ではないわけで、特にトルストイは教会を痛烈に批判して破門されちゃったんですよ。当時のロシアってロシア清教徒でなければ人間ではないってくらい、国民全員がそんな状態だったんで、教会から破門されるというのは「お前は人間じゃない」と言われるような、普通の人なら生きていけないくらいのことなんですけど……。

 でもトルストイは強い人だから、国家権力と一体化した教会と闘いました。そういう意味では反宗教の人と言ってもいいわけです。宗教というか、政同化された教会という腐敗したものに対する別の宗教的探索者なんです。

池澤:
 自分自身の中に宗教をしっかり確立する。つまり、文学という神にすべてを捧げる……という感じのことだったのかもしれないですね。……ということでご質問者の方、「宗教はあまり気にしなくて良し」ということでした。

運営:
 ではユーザーからの質問をもうひとつ。
 【日本では『記紀神話』が最初の物語と言われることがあると思います。ロシアでは文学の成立が遅かったという話がありましたが、記紀のような民族神話などはないのでしょうか?(30代男性・福岡県)】

沼野:
 そもそもロシアにキリスト教が入ってくるのも遅くて、当時キエフを中心にキエフルーシという国ができていたんですけど、その国教としてキリスト教が受け入れられたのは10世紀以降なんですね。その前に異教キリスト教以前の原始的な宗教もあって、そこにはやっぱり神話的な伝承もあったんですけど、あまり体系化されていなかったんです。

池澤:
 ロシアは広いから、大変ですし……。

沼野:
 日本の記紀みたいな形なら、ロシアでは12世紀初めぐらいに原初年代記、日本書紀みたいなものがありますね。

池澤:
 実在とされる人物が出てきて、半ば神話的な偉業や伝説みたいなものも交えて、基本は歴史を書いたものですか?

沼野:
 ロシアの場合、基本は歴史ですね。そういった年代記が多く書かれるようになったのが、12世紀頃から。それから『イーゴリ軍記』っていう、日本で言えば『平家物語』に比較してもいいような作品もあります。ロシアのある大公が異民族と闘って捕虜になったときの話を書いているんですけど、ただ、やっぱり『平家物語』ほど大きな文学作品ではありません。文学の発展は弱かったんだけど、昔話みたいなフォークロアは、結構古い時期からありますね。

池澤:
 民話だったり、おとぎ話みたいな形で伝承されていたものとか?

沼野:
 あと英雄叙事詩みたいな歌うようなものとかその辺りがロシアは弱くて、だから19世紀ぐらいに急に爆発的に出てきた感じになっているわけです。日本だと11世紀頃から源氏物語みたいなすごい作品が出てきていますからね。

池澤:
 ロシアの場合はずっと民間伝承のレベルだったものが急にバンと跳ね上がったような、不思議な発展を遂げているんですね。

沼野:
 そう、時々爆発するんですよ。ロシア文学は(笑)。

池澤:
 「ロシア文学は時々爆発する」ということは、今後も次の超新星爆発みたいなモノがあるかもしれませんね。

松下:
 そうですね。「文化と爆発」みたいな論文もあるくらいなんで、ロシアには「何かが作られて、組み立てられて積み上げられていったものが爆発して、そして次の段階に……」みたいなものがあります。弾圧からの抑圧と、爆発が繰り返されるのがロシアの文化なのかもしれません。

池澤:
 ダイエットとリバウンドみたいですね。

沼野:
 まさにそれがロシアの国民性で、例えばロシアバンギャルドって言葉はもちろんお聞きになったことがあると思いますけど、20世紀初頭くらいって芸術から文学からアバンギャルド、つまり前衛的な文学芸術運動がものすごい勢いで突出して出てきた時期なわけです。それがロシア革命の中になだれ込んでいくわけですけど、当時世界最先端の激しい前衛的なモノが急に出てきたのは、その前の抑圧が強いからなんですよ。抑圧があるからこそ反動で過激な前衛も出てくるというのが、いつも私が言っていることで、だからあまり自由だと前衛的なものは出てこないんですよね。特に今の日本は自由すぎるので。

池澤:
 難しいところですよね。もうちょっとキュッとしてもいいのかもしれません。

沼野:
 あとリバウンドの話でもうひとつ、ロシア人って極端から極端へ走るってよく言うんですよ。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中でも、ドミートリイ・カラマーゾフが「ロシア人の心っていうのは広すぎる。できたら縮めてやりたいぐらいだ」って言っているわけです。広いっていうのは、要するにすごく下劣なおぞましい気持ちと、高貴な気持ちが同居していたりすることですね。

 例えば、それは食生活の中にもあって、ロシア正教ではある特定の日は肉を食べちゃいけないとか、すごく詳しく厳しい決まりがあるんです。しかもそれが厳しく守ると年間通してすごく多いんです。1年のうち半数以上は何らかの形で規制があるんです。だからそのときは、慎ましく肉を食べないし、厳しい人は魚も食べないし、牛乳さえ飲まないとかね。その代わり、残りの半分は人によっては暴飲暴食を……。

池澤:
 肉、ウォッカ、肉、ウォッカみたいな(笑)。

沼野:
 その両極の行ったり来たりがロシア的ですよね。

池澤:
 「おそロシア」と言われる所以はこういったところにあるのかもしれませんね……。

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