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児童ポルノ規制法、有害図書指定、通信の秘密の瓦解、マンガ・アニメを規制する様々な圧力とは?【山田太郎と考える「表現規制問題」第3回】

現場の最前線にいる山口弁護士が考えるCGポルノ事件

山田:
 児童ポルノ、有害図書、通信規制とお送りしてきましたが、山口弁護士にお越しいただいているので、児童ポルノ単純所持罪、CGポルノ事件、ろくでなし子裁判などを踏まえて、現場がどうなっているのか? お聞きかせ願えればと思っているのですが。

山口:
 単純所持罪、正確に言うと性的好奇心を満たすことを目的とする所持罪ですね。これは児童ポルノ規制法が社会的法益のようになっている現状があるがゆえに、お墨付きをもらっているような状況になってしまっています。一部無罪とはなりましたが、CG児童ポルノ事件【※】などは分かりやすい例です。

※CG児童ポルノ事件
2013年7月に50代のデザイナーが、メロンブックスを通じてダウンロード販売したデジタル画集『聖少女伝説』『聖少女伝説2』が児童ポルノにあたるとして、逮捕起訴された事件。弁護団は無罪を主張しており、2審の判決を受けて最高裁に上告することを発表した。

山口:
 『聖少女伝説』は無罪となり、販売しても問題ないと裁判所の判決が出た。この件に関しても、個人的法益か社会的法益かということが大きな論点になりました。裁判所は、単純所持罪に対して、社会的法益の方が強いということを強調する根拠として、「性的好奇心を満たすことを規制する」のだと。性的好奇心を満たす目的の所持というのは、それ自体によっては持っているだけですから、状況が変わるわけではない。にもかかわらず、規制するということは、「児童を性の対象にしてはいけない」という社会的風潮がある。こういうことが言われているため、他の条文の解釈にも部分的に影響が出ています。

山田:
 そうなってはいけないから附帯も付けたわけなのになぁ。適用注意ということで第3条にも「濫用してはいけない」と書いてあるんですよ。

児童ポルノ禁止法3条
この法律の適用に当たっては、学術研究、文化芸術活動、報道等に関する国民の権利及び自由を不当に侵害しないように留意し、児童に対する性的搾取及び性的虐待から児童を保護しその権利を擁護するとの本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない。

山田:
 どうして立法した側の意思を越えて、どんどん勝手な解釈が広まっていくのか、と。三権分立がありますから、裁判所に文句は言えないけど、法律を作った側として意図していない判決が下されるのは、いかがなものかと思いますね。判決とは別にして、国会で立法した人間を参考人として集めて、「どういう立法趣旨だったっけ?」という確認を聞き直すことはできますから、そういうこともしなければいけなくなるかもしれない。

山口:
 法律の最終的な解釈権は裁判所にあるんですよね。とは言え、裁判所の専権の問題はある。

山田:
 でも、変な判事っているよね!?

山口:
 うん、そりゃいますよ。

山田:
 はははっはは! 

山口:
 弁護士をしていて、裁判官の当たり外れがあることは否めないですね。まぁ、弁護士にも当たり外れがありますから(苦笑)、裁判官だけ言ってもしょうがないんですけどね。

山田:
 国会議員なんて外ればっかりだから、まだいいですよ(笑)。

智恵莉:
 (笑)

山口:
 我々としては新しい論点がある事件ですから、最高裁は門前払いしないと思うので、粛々と最高裁で戦っていくしかない。僕のTwitterなどでカンパなども受け付けておりますので、ぜひよろしくお願い致します。

山田:
 ぜひぜひ皆さん、お願い致します。

山口:
 (2審である)高裁の解釈では、先述したように“変な性欲防止法”のように捉えられている節があった。この法律は、変態禁止法ではないわけです。

山田:
 (笑)

山口:
 もう一つ僕が担当している表現の自由に直結する問題がろくでなし子裁判です。一部無罪という判決が出たのですが、弁護側、検察側、双方が控訴しています。4月に判決があるため、ろくでなし子さんもはるばるアイルランドから来日予定です。
 芸術とわいせつの線引きが問題となっているわけですが、高裁ではスプツニ子!さん(マサチューセッツ工科大学メディアラボ助教兼アーティスト)の意見書を提出して、証拠として採用されました。「性器をテーマとして扱うことはいけない」となってしまうと、「特定の色の絵の具を使ってはいけない」ということと同じだとスプツニ子!さんは意見書で述べられているんですね。

智恵莉:
 なるほど。

第百七十五条に横たわる「芸術かわいせつか?」問題

山口:
 言い得て妙で、何か制約があると自由な表現はできなくなってしまいます。海外では春画展が行われているにも関わらず、日本では175条があるためできないわけです。

第百七十五条
1:
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
2:
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

山口:
 細川元首相が協力したことで……さすがに元首相はしょっ引けないということだったと思うんですけど(笑)、日本でも2015年に永青文庫で春画展が開かれましたが、非常に世界の流れで見れば遅れているわけです。児童ポルノ禁止法におけるCG児童ポルノ的な発想が出てきてしまうと「バルティス展」なども開催ができくなってしまう恐れがある。子どもを模写したような昔の名画も展示できなくなる。
 日本は本来、芸術などには恵まれいる国なんですね。余計な宗教的な罪悪感や道徳、モラルに対する規制がないため、わりと何でもできる環境下にあったわけですね。175条の規制は理不尽ではあるものの、極端な話、局部さえ隠せば何をしてもいいという規制なんです。諸外国のように文脈に踏み込んで何かをするというわけではない。そういう観点があるにもかかわらず、司法の立場が人権侵害という見方で アートをしにくくさせるというのは、僕としては残念としか言いようがない。

山田:
 春画展もいろいろありましたよね。春画展の情報を週刊誌で伝えたら、175条を犯しているということで編集長が警察庁、警視庁に呼ばれた。芸術作品なのになぜ呼ばれるのかと問い詰めたところ、掲載した週刊誌には常日頃からポルノ的なグラビア写真が載っている……つまりポルノが掲載されているような雑誌に春画が掲載されるとわいせつ性が高まる、と。それはおかしいだろ!(笑)

智恵莉:
 ですね~。

山田:
 警察庁の人間を呼んで、僕は反論しました。並べて掲載しているわけじゃないし、「わいせつ性が高まるからけしからん」と呼び出すのはあまりに横暴だろうと。むしろ、「婦人公論のような雑誌に掲載したほうがわいせつ性は高まるんじゃないの?」と伝えましたよ(笑)。

山口:
 現行の裁判例の解釈としては間違ってはいないんですよね。かつてメイプルソープ事件【※】というのがありました。これは刑事事件として摘発されたのではなく、税関の検査でわいせつ物として輸入を禁止できるか否かが争われた。

※メイプルソープ事件
米国の写真家ロバート・メイプルソープの写真集を日本の税関が「わいせつ図画」に当たると判断し、没収した行為の妥当性を巡り没収処分を受けた出版社社長の男性と日本国政府が争った事件。

山口:
 確かに一部性器丸出しの写真もあるけど、全体を通してみるとそこまで性的刺激が強いものとは言えないよね、というロジック。メイプルソープの写真集を丸ごと売るのはいいけれど、一部性器が露出した写真を切り取って、それをカレンダーやポスターなどで扱うとわいせつとして摘発できないか? と言われると現行の枠組みだとできてしまうんですね。おそらく警察庁は呼び出した背景として、そういう意図があったと思うのですが、それはおかしいと思うんですよ。置かれている場所によって芸術性が左右されることはないですよね。

山田:
 本当だよね。書いている人は同じなんだから。

山口:
 書いている人の意図にも関係ないですから明らかにおかしいです。ただ、児童ポルノにおいてはそういったことが行われているんですね。額縁効果などと言われていますが、例えばある家族の写真がアルバムにあればいんだけど、同じようなものがペドフィリアが集うネットの掲示板に投稿されていたら性的刺激が強くなる。文脈によって、左右されてしまう……それによってわいせつ性が変わるのであれば、恣意的に文脈を切り出して捜査することもできるわけです。これはかなり問題があります。

 春画展のロジックも、永青文庫の中にある様々な展示物の中の一環として展示され、さらに春画の歴史なども紹介するという内容であったため開催ができた。全体として内容を問題視することはしないけども、個々の作品を単体として見ると問題ではないと言い切れない……そういう意図があることを警、察庁は必死になってアリバイを作ろうとしているのではないか。

山口:
 なぜアリバイを作ろうとしているかというと、わいせつという規制がある以上どこかに線を引かなければいけない。その線を引くラインが、時代が下るにつれどんどん解禁されていきました。乳首が解禁されて、ヘアが解禁されていった。じゃあ、今度は性器、チ●コ、マ●コが解禁されるのか? ってなった場合、わいせつって何を規制するんだ? ということになる。

山田:
 おおおぅ(笑)。

山口:
 性器が解禁された場合、これ以上後退するラインはなくなるわけです。そうなるとハメている部分はダメだというところまで撤退せざるを得ない。それゆえ警察庁もそうならないように事前の段階を死守したいんだろうな、と思います。

誰かにとっての利益は、他の誰かにとっての不利益になる

山田:
 ふむふむ。賛否あると思うのですが、「エロい」で片付けてしまう風潮もどうかと思うんですね。エロいからダメと言ったって、そういう行為があるから子どもが生まれるわけですよ。男女が一緒になれば、当然、そういう行為も行われる。冷静になって考える必要があると思うんですね。小説をはじめ読み物にだって男女の営みは描かれるのに、マンガ・アニメ・ゲームのときだけ過敏に反応される。他人に迷惑をかければ犯罪ですが、世論が決めるところもあるでしょう。警察が「黒」と言ったから黒と決めつけるのではなく、冷静に考えてほしいけどなぁ。私はエロ・グロ・暴力において、一番いけないものは暴力だと思うんですよ。

智恵莉:
 そうですよね。

山田:
 エログロはふり幅こそあれ、そういうこともあるだろうと。エロに関しては、みんなやっていることでしょ!? それ自体は犯罪ではないわけですから、その観点もきちんと踏まえて議論しなければいけない。しかも! 子どもをダシにしている節があって、エロ+子どもをセットにすることで規制を強めようとしているわけですよ。

山田:
 「山田さんは175条を失くしたいエロ解禁議員だ」なんて無茶苦茶なことを言われたりすることもありますが、決してそんなことはない。社会的法益の法律は、誰かを取り締まれる一方で、その法律によって違う誰かが損益を被ることもあります。個人法益は個人を守るものだからどんどんやるべきなんだけど、社会法益はそうじゃないから、冷静に進めないといけない。誰かにとっての利益が違う人にとっての不利益になる、それが社会法益です。

 ですから、私は立法時にバランスを取ることを務めたつもりなのに、実際の判決や影響に関しては趣旨と異なる結果になっている。本来の立法趣旨である児童の虐待(性虐待)を防ぐために何をするべきか、という部分を見つめ直さないといけない。有害図書の問題にしても、何が生活必需品で、何が趣向性のものなのか、という詳細な線引きをもっと議論したほうが良かったかもしれない。

智恵莉:
 先ほどの有害図書のお話で気になったのですが、エロ本は日常に必要ではない……って、それってどうなんですか? 必要な気がするのですが……(笑)。

山田:
 はははははっ! 必要だよね!?(笑) 正直な話で言えば、学ぶところも多いんじゃないですか?

智恵莉:
 だから、「あ、そこは必要じゃないんだ」って不思議に思ってしまいました(笑)。

人間が人間らしく生きていくためには水と粉のバランスが問われる

山口:
 人間は真面目一辺倒で生きていけるわけではないですよね。人間をパンに例えると、粉と水のバランスが重要だと思うんです。

山田:
 ほほう。

山口:
 水の量が多すぎるとグチャグチャになって、オートミールかおかゆのようになってしまう。かといって、パサパサすぎると味気ない。そこのところに水分をくれてやるのが、エロ本やアダルトビデオだと思うんです。

山田:
 良いこと言いますねぇ~!

山口:
 一方で後ろめたさがあるがゆえに、規制しやすい。どんな国においてもエロ・グロ・ナンセンスを好きにやっていいですよ、というところはない。逆言えば、必ず何かの規制というのは、ここから始まる。エロ・グロ・ナンセンスという第一線の中で表現の自由を考えていかなければいけないと思っているから、僕は最前線で戦っているつもりなんだけど、「なんで山口は国会前で戦っているデモ隊を擁護しないんだ」とか言われる。それは違うでしょう、と。僕は表現の自由の最前線であるエロ・グロ・ナンセンスを守らないと、真面目な表現の自由も絶対に守れないと思っています。

山田:
 技術だってエロ・グロ・ナンセンスから広がるところがある。インターネットが広まったのも最初、エロの力が大きかったですよね。現在、VRなんかまさにそのせめぎ合いをしている。だからと言って何でもやっていいというわけではなく、線引きとして文化や風習がある中で、エロ・グロが切り開くものもあることを認めなければいけない。押さえつけると潜ってしまうだけですよね。

智恵莉:
 うんうん。圧力を加えるとかえって水面下ですべて行われてしまいそう……。

山口:
 ゾーニングということがよく言われているんですけど、青少年に有害か否かというゾーニングはおかしいと思うんですね。個々に発達のレベルが異なるわけで一括りにするのは間違っている。あと、「見たくない自由」ということを挙げる人もいるのですが、そんなもんはないと僕は思っています。見たくない自由を守ろうとすると、表現物を失くすしかない。ゾーニングの観点で言うなら、「不意打ちを受けない権利」だと思います。性的なムードにないときに性的なものを押し付けられる、自分の好みでないものを否応なく見せられる、などを拒む自由……こういったものはあると思います。
 逆に言えば、エロ本がエロ本として表示されていれば自己責任の問題になるけども、子ども向けの絵本だと思って中を見てみたら性的描写が激しかったなどとなれば「不意打ち」ですよね。

智恵莉:
 電車の中のスポーツ新聞のおじさんというか、いきなりHなページが出てくるような(笑)。

山口:
 そうです、そうです。否応なく目に入れさせる、というのは一つのラインですよね。

山田:
 電車の中吊り広告にしてもけっこう過激な言葉が躍っているよね!?

智恵莉:
 子どもも見るかもしれないという意味では、いろいろなところにありますよね。

山田:
 ホントだよ(笑)。まだまだ話したいことはありますが、それは次回に取っておきましょうかね。

智恵莉:
 はい(笑)。次回第4回(2月23日放送)は『表現規制の本丸は「自主規制」~誰が敵で誰が味方か~』と題してお送りしますので、そちらもお見逃しなく。皆さん、本日はありがとうございました。





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